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三菱重工爆破事件(東京爆破テロ)とは

三菱重工爆破事件は、1974年8月30日に日本の東京都千代田区丸の内で発生した、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件。

更新日: 2014年05月12日

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三菱重工爆破事件

三菱重工爆破事件(みつびしじゅうこうばくはじけん)は、1974年8月30日に日本の東京都千代田区丸の内で発生した、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件。連続企業爆破事件の一つ。東アジア反日武装戦線の呼称はダイヤモンド作戦。虹作戦で使用する予定であった爆弾を流用した。

事件の背景

東アジア反日武装戦線は第二次世界大戦以前の日本を完全な悪と捉えており、太平洋戦争を侵略戦争として憎んでいた。戦前・戦中に日本の重工業を支え、戦後も日本を代表する重工メーカーであり、防衛産業を手掛け、海外進出を行っていた三菱重工業は現在においても「帝国主義」であると断定。グループの政治思想に基づき「経済的にアジアを侵略している」として無差別爆破テロに至った。
東アジア反日武装戦線は、1974年8月14日決行予定だった昭和天皇暗殺作戦「虹作戦」に失敗していた。しかし、翌8月15日に在日韓国人で朝鮮総連系団体活動家の文世光が朴正煕大統領暗殺を企てた文世光事件を起こした。彼らは虹作戦を断念したことを不甲斐なく感じ、文世光の闘争に呼応するため新たな爆弾テロを進めた。
当初9月1日の決行を予定していた。同グループが引き起こした風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件では、シャクシャインの戦いを起こしたアイヌ民族の首長シャクシャインが松前藩によって殺害された10月23日が選ばれていた。同様に、9月1日に発生した関東大震災で朝鮮人虐殺があったとされるためである。しかし、同年の9月1日が日曜日で従業員が出勤しておらず、8月31日も丸の内の企業の多くが週休二日で休業していることから、8月30日の金曜日に繰り上げたのだという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

経緯

1974年8月30日、「狼」の4人は、午後0時25分ごろ三菱重工業東京本社ビル(現:丸の内二丁目ビル)1階出入り口のフラワーポット脇に時限爆弾を仕掛けた。これは三菱重工業東京本社ビルと道を隔てて反対側にある三菱電機ビルの両方を破壊する意図からであった。現場から立ち去ったあと午後0時45分に時限爆弾が炸裂した。この爆発の衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内にいた社員が殺傷されたほか、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれ死傷した。三菱重工業東京本社ビルの窓は9階まで全て割れ、道を隔てて反対側にある三菱電機ビルや、丸ビルなど周囲のビルも窓ガラスが割れた。また、表の道路に停車していた車両も破壊され、街路樹の葉も吹き飛ばされた。

この爆風と飛び散ったガラス片等により、通行人を含む死者8人(即死5人、病院収容後に死亡3人)、負傷376人との戦後日本最悪の爆弾テロ事件となった。この被害は、1994年と1995年のオウム真理教によるサリン事件と地下鉄サリン事件迄は最大規模であった。この時の爆発音は新宿でも聞こえたという。このように甚大な被害が出たのは後述のように爆発物の質量が大きかったこともあるが、通常放射状に拡散する爆風がビルの谷間に阻まれ、ビルの表面を吹き上げ爆風の衝撃波で窓ガラスを破壊したほか、ビル内に入った衝撃波も階段などを伝わり窓から噴出し、ビル内部も破壊することになった。また爆心には直径30センチ、深さ10センチの穴が開いていた。この爆発の威力は陸上自衛隊によれば、敵軍侵攻を食い止めるために用いる道路破壊用20ポンド爆弾よりも強力だとしていた。

東アジア反日武装戦線の予想を超えた被害が出たのは、列車爆破用の爆弾を転用したためと、爆破予告が有効とならなかったためである。犯行グループは守衛室へ8分前に爆破予告電話をかけたが、最初は「悪戯電話」として切られ、再度かけ直した時もすぐ切られた。もう一度かけ電話交換手が爆破予告を最後まで聞いたのが4分前であったが、避難処置は取られなかった。電話交換手は、爆破予告を本を読むような一本調子の無表情な口調で具体的な事をいわなかったので冗談とは思ったが、念のため庶務課長に電話で報告した上で8階の庶務課長室へ向うためにエレベータに乗った時点で爆発したという。

このように企業体制に対する認識不足が原因であったが、犯行グループがその後引き起こした企業爆破では爆発の威力を抑えて爆破時間帯を深夜などとし、十分な予告時間をとって予告電話するようにしたという。また予想を超えた多数の死傷者の位置づけをめぐり内部で議論となった。彼らが最初に作成した犯行声明文は破棄され、最終的な犯行声明は自己弁護とイデオロギー色の強いものとなり、9月23日付となった。

http://japanhistoryx.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

8人の死者をうみ、376人もの負傷者をだした爆発の凄まじさ

午後0時25分、狼の四人は三菱のビルのフラワーポットの側に時限爆弾を仕掛けました。時限爆弾はその20分後、狼が犯行現場を去った午後0時45分に爆発しました。爆破した衝撃で、一階部分が大破して玄関はめちゃくちゃに、表通りにも被害が拡大して通行人が被害を受けました。とめられていた車まで破壊されるほどの爆発の規模だったそうで、戦争で敵軍の侵入を食い止めるために使われる爆弾よりも破壊力があったそうです。

http://aqurend.com/trend-news/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%88%86%E7%A0%B4%E3%83%86%E3%83%AD%E3%80%81%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BB%B0%E5%A4%A9%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%A7%E6%94%BE%E9%80%81/

8人の死者

51歳の三菱重工主任 - 病院収容後翌日死亡
41歳のデザイン会社役員 - 脱血ショックで病院収容後に死亡
38歳のメーカー所長代理 - 静岡県から商談のため訪問し、地下食堂から出たところ巻き込まれ即死
23歳の会計士事務所事務員 - 脳損傷と全身打撲で病院収容後死亡
37歳の三菱信託銀行課長 - 即死
28歳の船舶エンジニア - 即死
49歳の鉱業会社社員 - 即死
50歳の三菱重工社員 - 即死

何故東京爆破テロは起こったのか?

東アジアは第二次世界大戦以前から日本を敵対視していました。太平洋戦争を起こした日本が侵略目的で起こしたと恨みを増幅させていました。重工業の中心的存在であった三菱重工が狙われたのも必然だったかもしれません。狼は昭和天皇暗殺計画、虹色作戦に失敗しました。虹色作戦に失敗したことが、三菱重工を狙う原因になりました。

http://aqurend.com/trend-news/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%88%86%E7%A0%B4%E3%83%86%E3%83%AD%E3%80%81%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BB%B0%E5%A4%A9%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%A7%E6%94%BE%E9%80%81/

犯行グループ

爆破事件から一ヶ月後、「東アジア反日武装戦線」が反抗声明を出す。東アジア反日武装戦線は斉藤和(都立大学中退)と友人の佐々木則夫が昭和46年に結成した。《アジアの発展途上国に進出する日本企業を日本帝国主義の走狗》としアジアや南米など発展途上国に進出する日本企業を攻撃することを目的とした「新左翼」の集団であった。

東アジア反日武装戦線の組織は『狼』、『さそり』、『大地の牙』の3グループに編成され、メンバーが逮捕された場合は青酸カリで自決するように指示されていた。

三菱重工ビル爆破を実行したのは『狼』で実行犯は佐々木則夫、大道寺将司、大道寺あや子、益永利明の4人であった。昭和50年5月19日、警視庁公安部はアジア反日武装戦線の幹部7人を都内のアパートに潜伏しているところを逮捕した。『狼=佐々木則夫、大道寺将司、大道寺あや子、益永利明』、『大地の牙=斉藤和、浴田由紀子』、『さそり=黒川芳正』。この内、斉藤は連行された取調室で青酸カリを服毒し自殺している。

公安の取り調べで、三菱重工ビル爆破以外に昭和49年10月14日に三井物産(大地の牙)、11月25日に帝人中央研究所(狼)、12月10日に大成建設(大地の牙)、同月23日に鹿島建設(さそり)など連続爆破テロもアジア反日武装戦線の犯行であることが判明した。

その後、昭和50年8月4日、日本赤軍の西川純、日高敏彦ら5人がマレーシアのアメリカ大使館とスウェーデン大使館を占拠し日本政治犯の釈放を要求。指名された8人のうち佐々木則夫を含む5人が超法規的措置で釈放され日本赤軍に合流した。さらに52年9月28日、日本赤軍の日航ハイジャック(ダッカ事件)で大道寺あや子、浴田由紀子ら6人が同じく超法規的措置で釈放され日本赤軍に合流した。

残った大道寺将司、益永利明は昭和53年11月12日、東京地裁で死刑判決。黒川芳正に無期懲役が言い渡された。「超法規的措置」で釈放したのはテロに屈したことを意味し国際社会から非難の声が高まった。

http://jikenshi.web.fc2.com/newpage104.htm

犯行声明(全文)

一九七四年八月三〇日三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。
三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。
今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。“狼”の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。
“狼”は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。
“狼”は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上がっている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。また『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する。
最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。
海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。
この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である。

— 9月23日東アジア反日武装戦線“狼”情報部

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

国際指名手配

佐々木規夫と大道寺あや子の裁判は公判停止となり、現在も国際指名手配となっている。

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