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武富士弘前支店強盗殺人・放火事件とは【小林光弘】

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件(たけふじひろさきしてん ごうとうさつじん・ほうかじけん)は、2001年5月8日に青森県弘前市田町で起きた強盗殺人・放火事件である。

更新日: 2014年08月29日

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武富士弘前支店強盗殺人・放火事件

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件(たけふじひろさきしてん ごうとうさつじん・ほうかじけん)は、2001年5月8日に青森県弘前市田町で起きた強盗殺人・放火事件である。

2002年3月3日、タクシー運転手・小林光弘(当時43)が逮捕された。

小林光弘について

青森県南津軽郡平賀町で4人兄弟の次男として生まれる。
 千葉県で定時制高校に通っていた当時、ガソリンスタンドでアルバイトしていた。

 1987年、青森に帰りタクシー会社に勤務。人当たり良く、勤務態度も真面目だった。

 1995年1月、自宅購入。このときの1760万円の住宅ローンを組む。

 1997年ごろ、自身の仲人の女性・A子に「面倒を見ている一人暮らしの老人から近々1000万円もらえる予定だが、その手続きに金がいる。貸してもらえないか」と持ち掛けられ、青森市内の4つの消費者金融から50万円ずつ、計200万円を借金した。小林の妻も消費者金融から50万円を用立てていたという。

 1998年頃、タクシー会社の労働組合から10万~20万円程度を借りて青森競輪場に行き「一発勝負したが負けた」などと話していた。この借金は給与から天引きで返済していたというが、競輪資金として複数の消費者金融から金を借りていた。借金の総額は2300万にまで膨れ上がっていた。

 一時は同僚を交え、A子に金を返す旨の念書を書かせたりしたとされるが、既に督促に困っていた小林は、退職金を見込んで10年勤めた青森のタクシー会社を退社して、以後職場を転々とする。上京し、東京のタクシー会社にも勤めたこともあったが、3ヶ月ほどで青森に戻った。

 2000年4月、増収を見込んで軽貨宅配の仕事を始める。(軽貨宅配については名古屋・立てこもり爆破事件を参照のこと)

 4月末、行方をくらましていたA子が、岩手県にある港で一家三人と心中。A子はその直前、詐欺容疑で青森署から指名手配されていた。小林もA子を信じ込んでおり、A子の死で借金を完全に背負う形になった。増大した借金に小林はますます競輪にのめりこむようになる。

 2001年5月、1度辞めたタクシー会社で再び働き始める。同僚は「勤務態度はまじめ」「安定したノルマを果たす仕事ぶりだった」と話している。

http://yabusaka.moo.jp/takehuji.htm

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件とは

犯行

5月7日、勤務先の休日を利用して弘前支店を訪れ、カウンターの位置や従業員数を確認。浪岡町周辺のガソリンスタンドで約4リットル入りの金属缶でガソリンを購入した。ちなみに犯行当日も休日だった。

 5月8日午前10時45分頃、小林が弘前市田町5丁目のビル3階の武富士弘前支店に押し入る。支店には出入り口から奥が見えないように、カウンター部分と店舗奥にある管理室との間を仕切る壁があり、男は出入り口近くからカウンターの内側に向かって、金属製の缶に入ったガソリンを主成分とした混合油をまいた。撒き終えると、小林は「金を出せ出さねば火をつけるぞ」と津軽弁で脅迫、支店長が断ると火を付けた。同48分には支店長が「今、男が来て火を付けるところだ」と通報。凶行はわずか2~3分の間に行われた。
 当時、支店内の金庫には1000万円が入っていたが、小林は予想以上に火の勢いが強かったためか、何もとらずに外に停めておいた緑色の軽ワゴン車「スバル・サンバー」で青森市方向に逃走。
 
 この火災により、同支店勤務の田沢伸治さん(36歳)、太田はるかさん(20歳)、葛西志保里さん(22歳)、笹森容子さん(46歳)、福井貴子さん(30歳)の5人が焼死、他に店長ら4人も火傷を負った。亡くなった5人は店舗奥に追い詰められたような状態で発見された。出入り口は1カ所しかなく、このため、従業員らは出入り口から反対方向の管理室の方に逃げたが火の回りが早く、避難口に設置したロープ式の避難器具も使えなかった。駆け付けたファストフード店の店長らがかけたはしごで、火傷を負いながらも4人が脱出できただけだった。
 同支店では防犯ベルが5箇所に設置されており、ベルが鳴れば数分で警備員が駆けつける体制になっており、2台の防犯カメラも24時間稼動していた。しかし、店内の焼失とともにカメラも燃えてしまい、科学捜査研究所にまわせないものが多かった。

 5月9日、小林は事件翌日にはなにくわぬ顔で出勤している。この日、ガソリンを入れていた4リットルの金属缶を自宅近くの雪捨て場のようなところで捨てた。

 5月下旬、小林、裁判所で自己破産の申請。

 12月25日、事件が起こった弘前市のビルが取り壊される。

 武富士では犯人の似顔絵入りのポケットティッシュ2億5000万個を配り、犯人逮捕に協力した。ニュース番組などでも似顔絵がたびたび紹介されるなど、小林を追いつめていった。

http://yabusaka.moo.jp/takehuji.htm

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件とは【小林光弘】

当時の状況

平成13年5月8日午前10時40分ごろ、青森県弘前市 田町にあり、あるビルの前に一台のワゴン車が停まり、中から男が降りて来た。男の名は小林光弘(43)である。

小林は顔を隠すように帽子を深くかぶり、顔には白いマスクをしている。水色の作業着を着て、右手にはオイル缶、左手には新聞紙をヒモで縛った束を持っている。

そのまま小林はビルの中に入り、階段を昇っていった。目指しているのはこのビルの3階にある消費者金融 武富士の店舗(弘前支店)である。

途中、階段の踊り場に着くと、そこに新聞紙の束を置いた。そして右手に持ったオイル缶の中にはガソリンが入っていた。オイル缶を傾けて新聞紙にガソリンをかける。その新聞紙はそのままここへ置き、再び階段を昇り出した。

小林はオイル缶を持って3階の「武富士」の店舗へとやって来た。自動ドアが開き「いらっしゃいませ。」と店員が声をかける。

だがその一瞬後、小林は「うりゃっ!」と気合を入れた声と共に、オイル缶に入っていた残りのガソリンをカウンターの中に一気にぶちまけた。ガソリンの量は約4リットルだった。

「何?! これ?」「ガソリンだわ!」臭(にお)いでガソリンだと気づいたカウンターの女性が悲鳴を上げる。

「奥へ逃げろ!」
放火の可能性を察知した男性店員が大声で叫んだ。店員たちは一斉にカウンターの奥にある部屋へ駆け込んだ。

しかし支店長は席に座ったまま、その場に残った。

「なんだ、君は!」支店長が怒鳴る。

「とっとと金を出せ! 出さねば火をつけるぞ!」

小林はつなぎの作業着のポケットから、ライターと紙を取り出し、今にもこの紙に火をつけるかのような動作をしながら支店長を脅(おど)す。

「金はない。」

支店長は落ち着いて答え、自分の机にセットされている警察への通報ボタンを押した。

「ウソをつくな!」
「いや、本当にない。馬鹿なことをやめないと警察に通報するぞ。」

そう言いながら支店長は机の上の電話を取り、番号を押し始めた。

「おい! 脅しじゃねえぞ!本気だぞ!」小林は怒鳴りながら、ライターで紙に火をつけた。小林の手に持っている紙が燃え始めた。

奥の部屋から様子を見ていた店員たちから悲鳴が上がる。
「支店長! そいつ本気ですよ!」男性店員が叫ぶ。

支店長は警察につながった電話で「今、強盗が侵入してきて店に火をつけました! 大至急パトカーをよこして下さい!」と叫んだ。

「この馬鹿、本当に警察を呼びやがったな!」小林は動揺し、復讐のためか、もはやヤケクソになったのか、

「クソッ!」

と叫んで火のついた紙をカウンターの中へと投げ込んだ。

「ボン!」と音がして一気にガソリンに火がついた。灯油とは違ってガソリンは爆発的に燃え上がる。

一瞬でカウンターの中はすさまじい炎に包まれた。
「うわあぁぁ!」「キャアァ!」「助けてーっ!」と炎の中から店員たちの悲鳴が聞こえる。

あまりの炎に火をつけた本人も驚いた。
「うわっ、まずい!こんなはずじゃなかった! 大変なことになっちまった!」

http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/047takefuji.htm

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件とは【小林光弘】

死者が出たことを知る

事件から一夜明けて、小林は通常通りタクシー会社へ出勤して来た。
昨日はせっかく強盗に入ったのに金は全く手に入らなかった。次の返済日までに60万円返さなければならない。どうしようかと考えながら、会社で何気なくテレビを見ていると、昨日自分が起こした事件が報道されていた。

「武富士 弘前支店の火災は強盗に入った男の放火によるものでした。この火災で5人が死亡し、4人が火傷を負うなどの重軽傷を負い・・。」

「5人も死んだ!? そんな・・殺すつもりなんかなかったのに・・。」
小林はニュースを見て、初めて死者が出たことを知った。

しかし動揺はしたものの自首する気にはならなかった。
「俺は悪くねえ。通報した店の奴が悪いんだ。通報さえしなければ誰も死なずに済んだんだ。俺は絶対自首しねえ。」

すぐに開き直った考えに達した。

小林が日常に戻って生活している間、青森県弘前警察署では着々と捜査が進んでいた。生き残った従業員の証言から、犯人は水色のつなぎのような作業服を着ていたことや、年齢は40代であることが分かった。

また、あの時ビルの中から不審な男が飛び出してきて、ワゴン車に乗り、慌てて発進していったのを何人もの人が見ていたことも分かった。ワゴン車の色は深い緑色である。

武富士に押し入った時にはマスクと帽子で顔を隠していたので、武富士の社員は犯人の顔をほとんど見ていない。しかし、ビルから飛び出して来た時にはマスクも帽子もはずしていたため、社員の証言だけでは似顔絵の製作は困難だったが、ビルの外で不審な男を見たという人たちの協力を得て似顔絵が製作された。この似顔絵は出来栄えは良く、小林の特徴をうまく捕らえていたが、捜査の方は思いのほか難航していた。

防犯カメラも現場の遺留品も全て燃えてしまっており、手がかりとなる物的なものがほとんどないのもその理由の一つだった。

警察はこの似顔絵を全国に公開し、テレビでも放送して協力を呼びかけた。

テレビでは相変わらず放火事件の続報を放送していたが、この中で「犯人が5人もの従業員を殺した。」といったような表現が多々あり、テレビを見ていた小林はこれに腹を立てた。

「殺そうと思って殺したわけじゃないのに、あの言い方は何だ!」

頭に来た小林は青森テレビに電話して「俺が武富士放火の犯人だ。」と名乗った後、
「目的は金だった。あの時俺がまいたのはガソリンで、店側とすれば俺が火をつければどうなるか分かっているはずだった。金を出さなかった店側の責任だ。俺は絶対自首せんぞ。」

と一方的に言って電話を切った。あくまでも従業員が死んだのは店側の責任だと主張した。

警察は、武富士弘前支店に恨みを持つ者の犯行と考え、弘前支店から金を借り、なおかつ恨みを持っている可能性があるお客のリストを武富士に製作提出してくれるように頼んだ。

しかし武富士の方からは「個人情報保護の立場から個人名を公表するのは困難」という返事であり、お客からたどっていくという線はここで諦めざるを得なかった。

だが武富士は後に、犯人の似顔絵入りのポケットティッシュを全国で2億5000万個作って街頭で配り、個人情報の面では協力出来ないものの、それ以外のことでは会社を上げて警察への協力を行った。

あの時、火をつけられる直前に支店長が警察に電話していたが、その時の会話は録音されて残っており、その中に犯人の声も混じっていることが分かった。これを分析し、犯人に津軽弁のなまりがあることが判明した。

また、犯人が階段の踊り場で火をつけた新聞紙の燃え残りを徹底して分析し、印刷のズレやかすれ、紙の質などから新聞の種類を特定し、その新聞が配られていた地域も特定出来た。

犯人が逃走に使った車に関しても捜査は進められ、似たような車を持っている人間全てを捜査の対象とした。その数は青森県全域で27000台にものぼったが、これらを一件一件当たって確実に捜査網をせばめていった。

似顔絵が公開され、車もほぼ特定されると、小林はいずれうちにも聞き込みが来るのではないかと思うようになってきた。

警察が来た時のために、小林は事前に妻に言っておいた。
「武富士の犯人はうちと同じ車に乗っていたらしい。俺は犯人じゃないが、疑われると面倒だからよ。警察が来て事件の日のこと聞かれたら、お前がパートに乗って行ってたことにしろよ。」

「そうねえ。面倒なのも嫌だし、その方がいいわね。」何も知らない妻はすぐに同意した。

後に本当に弘前署の署員が聞き込みに小林の自宅を訪れた時にも、妻はこの通りに証言してやり過ごしている。

また、捜査をかく乱させるために小林は、下のように書いた手紙を青森テレビの建物の前に置くという小細工も行っている。
「犯行に車は使っていない。ガソリンは購入していない。私は40代ではない。」

あまりにも汚い字で幼稚な内容であり、捜査の混乱を狙ったものであるということは明らかで、警察側も本気にはしなかった。

一方、似顔絵の方からは「似ている」という人物の情報が280件寄せられていた。こちらも一人一人捜査に当たっていった。

似顔絵に似ている人物、車、使われた新聞紙とその配布された地域など、徹底して捜査していった結果、ついに警察は小林へたどりついた。

似顔絵に極めてよく似ているという点はもちろんであるが、その他の条件が全て当てはまっている。小林の家に聞き込みに行った時には、事件当日、車は妻が乗って出た答えているが、身内の証言などは信用性が低い。

また、小林は、事件の前日と当日は会社を休んでおり、事件前日に市内でガソリンを購入していることも警察側は突きとめた

http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/047takefuji.htm

逮捕

翌2002年3月3日朝、犯人が逃走に使った車と同じ色の緑色の軽ワゴン「スバル・サンバー」を保有、犯人の似顔絵とよく似ていたことから、青森県浪岡町の小林に任意同行を求めた。3月4日、取り調べた結果「わたしがやりました」と容疑を認め、逮捕。犯行当時着ていたつなぎも小林の自宅でみつかった。

 逮捕後の小林の供述は以下のようなものである。

http://yabusaka.moo.jp/takehuji.htm

「5人も死ぬと思わなかった」

「火を付けたのは逃げるためで、殺意はなかった」

「人生、命を奪ってしまい、ひたすら頭を下げるだけです。後は、法の裁きを受けるだけ」

犯人逮捕の決め手

警察は犯人が逃走する際に引火した新聞紙の燃え残りを徹底的に分析、印刷する際、四隅に入る「トンボ」のわずかな見当ズレや版の消耗から発生するわずかな印刷擦れ、「第〇〇版」という紙面上部に入る印刷完了時を示す符号等から工場に複数台あるオフ輪印刷機の特定並びに配達地域を割り出した。その地区の住人で逃走車両と同型の車を持っていたのはこの男だけだったため、警察は重要参考人として事情聴取、家宅捜索の結果、犯人が犯行後テレビ局に送りつけた犯行声明の筆圧が残った便箋が発見され、この男は犯行を自供した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%BC%98%E5%89%8D%E6%94%AF%E5%BA%97%E5%BC%B7%E7%9B%97%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E3%83%BB%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

テレビ番組

2002年3月2日に日本テレビ系で放送されたFBI超能力捜査官という特別番組でのナンシー・マイヤーの透視が、犯人逮捕のきっかけになったと言われるが、実際は放送前から参考人としてこの男が浮上しており、犯人のモンタージュの似顔絵もメディアで広く報道され、武富士のポケットティッシュにも似顔絵が同梱されていた。また、番組内で紹介された犯人の素性(住所、職業、犯行動機など)や事件後の動向(番組の超能力者は「犯行時に火傷を負い仕事を休んでいた」と主張していたが実際は事件後も仕事を続けていた)は、実際のそれとは隔たりが大きかったが、逮捕後の番組では「超能力者が描いた想像図は犯人の顔とそっくり」という強引な主張をしていた。
犯人逮捕後、未解決事件の情報提供を求めるTBS系の公開捜査番組内で同事件の再現ドラマが放映されたことがある。気弱な犯人役を演じたのは渡嘉敷勝男であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%BC%98%E5%89%8D%E6%94%AF%E5%BA%97%E5%BC%B7%E7%9B%97%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E3%83%BB%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

街頭などで配布するポケットティッシュの裏面に犯人の似顔絵を掲載

武富士の対応

店長が犯人の要求を断った背景には、ノルマに追われる営業実態に原因があるのではないかという指摘が一部報道でなされた。このため、武富士は1年近くテレビコマーシャルを自粛、一方で全国の街頭などで配布するポケットティッシュの裏面に犯人の似顔絵を掲載するなど、事件解決に向けて協力する姿勢を見せた。
遺族側は、店舗に非常口がなく、防犯訓練等も行われていなかったことから、武富士に損害賠償を要求。後に示談が成立したという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%BC%98%E5%89%8D%E6%94%AF%E5%BA%97%E5%BC%B7%E7%9B%97%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E3%83%BB%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その他

事件の発生した店舗は2階建てのテナントビルであり1階にはレンタルビデオ店が入居していたが、2001年12月26日に取り壊されている。
死亡した5人の社員の中に東奥義塾高校の卒業生が1人おり、事件がニュースで取り上げられた際、当時担任だった教師が報道陣のインタビューにコメントをして、高校でも追悼礼拝がおこなわれている。
奇しくも2001年にはこの事件の一ヵ月後の6月8日に大阪で附属池田小事件が発生しており、2001年に起きた日本の事件の犯人の死刑が確定するのは有名になったこの事件に続いて2人目である(なお池田小の件は2004年に執行済み)。

http://matome.naver.jp/odai/new#id=2139987443746915501

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