事件から一夜明けて、小林は通常通りタクシー会社へ出勤して来た。
昨日はせっかく強盗に入ったのに金は全く手に入らなかった。次の返済日までに60万円返さなければならない。どうしようかと考えながら、会社で何気なくテレビを見ていると、昨日自分が起こした事件が報道されていた。

「武富士 弘前支店の火災は強盗に入った男の放火によるものでした。この火災で5人が死亡し、4人が火傷を負うなどの重軽傷を負い・・。」

「5人も死んだ!? そんな・・殺すつもりなんかなかったのに・・。」
小林はニュースを見て、初めて死者が出たことを知った。

しかし動揺はしたものの自首する気にはならなかった。
「俺は悪くねえ。通報した店の奴が悪いんだ。通報さえしなければ誰も死なずに済んだんだ。俺は絶対自首しねえ。」

すぐに開き直った考えに達した。

小林が日常に戻って生活している間、青森県弘前警察署では着々と捜査が進んでいた。生き残った従業員の証言から、犯人は水色のつなぎのような作業服を着ていたことや、年齢は40代であることが分かった。

また、あの時ビルの中から不審な男が飛び出してきて、ワゴン車に乗り、慌てて発進していったのを何人もの人が見ていたことも分かった。ワゴン車の色は深い緑色である。

武富士に押し入った時にはマスクと帽子で顔を隠していたので、武富士の社員は犯人の顔をほとんど見ていない。しかし、ビルから飛び出して来た時にはマスクも帽子もはずしていたため、社員の証言だけでは似顔絵の製作は困難だったが、ビルの外で不審な男を見たという人たちの協力を得て似顔絵が製作された。この似顔絵は出来栄えは良く、小林の特徴をうまく捕らえていたが、捜査の方は思いのほか難航していた。

防犯カメラも現場の遺留品も全て燃えてしまっており、手がかりとなる物的なものがほとんどないのもその理由の一つだった。

警察はこの似顔絵を全国に公開し、テレビでも放送して協力を呼びかけた。

テレビでは相変わらず放火事件の続報を放送していたが、この中で「犯人が5人もの従業員を殺した。」といったような表現が多々あり、テレビを見ていた小林はこれに腹を立てた。

「殺そうと思って殺したわけじゃないのに、あの言い方は何だ!」

頭に来た小林は青森テレビに電話して「俺が武富士放火の犯人だ。」と名乗った後、
「目的は金だった。あの時俺がまいたのはガソリンで、店側とすれば俺が火をつければどうなるか分かっているはずだった。金を出さなかった店側の責任だ。俺は絶対自首せんぞ。」

と一方的に言って電話を切った。あくまでも従業員が死んだのは店側の責任だと主張した。

警察は、武富士弘前支店に恨みを持つ者の犯行と考え、弘前支店から金を借り、なおかつ恨みを持っている可能性があるお客のリストを武富士に製作提出してくれるように頼んだ。

しかし武富士の方からは「個人情報保護の立場から個人名を公表するのは困難」という返事であり、お客からたどっていくという線はここで諦めざるを得なかった。

だが武富士は後に、犯人の似顔絵入りのポケットティッシュを全国で2億5000万個作って街頭で配り、個人情報の面では協力出来ないものの、それ以外のことでは会社を上げて警察への協力を行った。

あの時、火をつけられる直前に支店長が警察に電話していたが、その時の会話は録音されて残っており、その中に犯人の声も混じっていることが分かった。これを分析し、犯人に津軽弁のなまりがあることが判明した。

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武富士弘前支店強盗殺人・放火事件とは【小林光弘】

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件(たけふじひろさきしてん ごうとうさつじん・ほうかじけん)は、2001年5月8日に青森県弘前市田町で起きた強盗殺人・放火事件である。

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