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かつて実在した「人間動物園」の再現に波紋が広がる

ノルウェーの首都オスロで、異人種を見せ物にした100年前の「人間動物園」を芸術活動として再現する計画が進められて開催された。忘れられた差別の歴史を示し、議論を喚起する狙いだが、反人種差別の団体はかえって差別を助長すると反発、波紋を広げている。

更新日: 2018年09月14日

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rainshineさん

「人間動物園」

1928年にドイツのシュトゥットガルトで行われた人間動物園のポスター

人間動物園(「民族学的展示」「人間の展示」とも)とは、19世紀から20世紀にかけて行われた、社会進化論や人種差別、進化主義、植民地主義に根ざした、野蛮・未開とされた人間の文化・生態展示のことである。

19~20世紀に実在した

1958年に撮られたベルギーの「人間動物園」にいるアフリカ人少女

19世紀から20世紀の欧米の主要都市には、アフリカ人やネイティブアメリカンを展示する人間動物園があったそうです。

19世紀~20世紀にかけて流行した”人間動物園”。またの名を”黒人村”(必ずしも展示品が黒人とは限らない)はヨーロッパを中心に植民地主義の中で一般的なものとなりました。

1906年
ニューヨーク市のブロンクス動物園にコンゴのピグミーのオタ・ベンガを霊長類や他の動物と一緒に並べて展示した。

19世紀後半、ダーウィンに代表される人種理論が広まっていた西洋諸国では、動物園で植民地統治下の人間の展示が行われていた。こうした展示は当時各地で開催された博覧会でも行われ、好評を博した。

1910年の日英博覧会でも、日本文化や伝統工芸の展示と並び、パイワン族、アイヌの展示が行われた。

コロンブスが米大陸を「発見」した1492年以降にアメリカ先住民がスペインに連れられていったことに始まり18世紀末まで、先住民たちは、時にはエキゾチックな、時には奇怪な生き物としてヨーロッパの特権階級への見せ物にされた。

欧米社会における最初期の動物園は、メキシコのモンテスマにつくられた。そこでは動物だけではなく、小人症、アルビノ、脊柱側弯症といった身体障害者も展示していた。

1881年にチリで誘拐されヨーロッパの人間動物園に展示された5人。全員1年以内に亡くなりました。

20世紀半ばまでアフリカやアジア、オセアニア、アメリカ大陸の先住民は「未開人」と呼ばれ、このことが植民地支配の残虐性を正当化する1つの根拠になっていた。

当時は人類の平等が認められておらず、黒人をはじめとする未開の民族は獣同様に扱われていました。動物園のさらし者として、全裸で展示されることもあったそうです。

ノルウェーでも

オスロでは1914年、アフリカ系の80人が5カ月間、「コンゴの村」と名付けられた区画に住まわされ、当時のノルウェー人口の3分の2にあたる約140万人が見物に訪れたとされます。

4:50あたりから当時の様子が記録されています

これを再現しようという動きが

ノルウェーの首都オスロで、異人種を見せ物にした100年前の「人間動物園」を芸術活動として再現する計画が進められている。

ノルウェー憲法制定200周年の記念行事の一環。主催者によると、政府支援も含め120万クローネ(約2千万円)を調達。動物園で衆目にさらされる有志も公募し、1日までに世界中から80人以上を確保した。5月15日から8月末まで開く計画という。

これに波紋が広がっている

忘れられた差別の歴史を示し、議論を喚起する狙いだが、反人種差別の団体はかえって差別を助長すると反発、波紋を広げている。

今回の芸術活動に対し、英紙ガーディアンは「非人間的な見せ物の再現に芸術的価値があるのか」との批判を掲載した。

構想したアーティストは

構想したアーティスト2人のうちスーダン出身のモハメド・アリ・ファドラビさんは電話取材に対し、「多くの支援の一方、脅迫も受けている。国際的に議論を巻き起こし、狙い通りだ」と満足げに語った。

非難を浴びるも予定通り開催された

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