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「平和」の意味と使われ方まとめ【辞典・事典から見る】

国語辞典や専門辞典など複数の辞書を引いて書き抜きました。

更新日: 2016年02月24日

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pentascaleさん

国語辞典から

へい-わ[平和]
1 やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りのないこと。「―な心」「―な家庭」
2 戦争がなくて世が安穏であること。「世界の―」

へい-わ【平和】(名)
(1) おだやかに、やわらぐこと。静かでのどかであること。また、そのさま。
(2) 特に、戦争がなく、世の中が安穏であること。和平。

へいわ[平和](名・形動ダ)
1 争いなどがなく、おだやかなこと。「―国家・―(的)解決[=武力によらない解決]
2 争いなどを好まないようす。「―な民族」
[派生] 平和さ。

[へい-わ]〔名・形動〕
1 穏やかで、和らいでいること。「平和な家庭」
2 特に、戦争がなく、世の中が安穏であること。「世界の平和」「平和共存」

へい-わ【平和】〔名・形動〕
1 戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。「世界の―を守る」
2 心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。「―な暮らし」
[類語](1)和平・太平・昌平・安泰・安寧・静寧・ピース(2)安穏・平穏・静穏・平静・平安

* へい-わ【平和】《名・形動》
1 戦いや争いがなく、おだやかな・こと(状態)。「世界の―」[類語]平安
2 心配やもめごとがない・こと(状態)。「―に暮らす」

へいわ【平和】〔名・ナノ〕
1 もめごとや対立・騒動などがなく、穏やかで落ち着いていること。「―な家庭」
2 戦争・戦闘が行われずに世の中が静かに治まっていること。「世界―」

へい-わ【平和】(名・形動ダ)
1 戦争がなく、世の中が穏やかなさま。「―主義」
2 なごやかで安定しているさま。「―な生活」

へい-わ 平和 名詞 形容動詞
1 戦争などがなく、世の中が穏やかに保たれている。また、その状況。 世界の平和を希求する。 平和共存。
2 和やかで心配やもめごとがない。また、その状況。 平和な家庭。

へい-わ【平和】〔名・ダナ〕戦いや争いがなくおだやかな状態。「―運動」「―な毎日」

へいわ【平和】<名・形動>
1 戦争や争いごとなどがなくて、おだやかなこと。「世界の―を祈る」 [類]太平 [対]戦争
2 心配やもめごとがなく、おだやかなようす。「―な家庭」

専門辞典・用語集

平和 peace
平和という語は、さまざまな生活現象についてひろく使われているが、そのもっとも重大な意義を持つのは、国家間の戦争と平和との対立にかんする問題においてである。この意味での平和は、国家の政策遂行のために武力手段を使わず、諸民族・諸国家のあいだに戦争のない状態である。平和にたいする願望はすでに遠い古代からいいあらわされており、人びとがたがいに生活を楽しみ、武力構想のない状態をえがきだして、<楽土><桃源境>という表現にもなってしめされてきた。近代になっても多くの思想家が平和について語っており、たとえばコメンスキー*は《人間にかんする事柄を改善することについての提言(De retum humanarum emendatione consultatio catholica ad genus humanum……)》(1657)でそれを説き、イギリスのクエーカー教徒でアメリカに渡ってペンシルヴェニア州を拓いたペン(William Penn)は《ヨーロッパの現在および未来の平和について(An essay towards the present and future peace in Europe)》(1693)を書いた。フランスの聖職者サン‐ピエール(Abbé de Saint-Pierre)は1713年に《永久平和の草案(Project de paix perpétuelle)》3巻を書いたし、ルソー*はこれに賛意を表し、つづいてカント*が《永久平和論(Zum ewigen Frieden)》(1795)を発表している。このように、平和の問題についてはかねてから、ひきつづき考えられてきたが、それらはまだ構想の段階であって現実的な平和確保の保証は見いだされていなかった。ところが、プロシア・フランス戦争(1870~71)では、両国の労働者はたがいに兄弟的連帯をもって戦争に反対する行動をしめし、また第一次世界大戦(1914~18)でも第二インタナショナルにおける裏切り行為のためにその成果をえられなかったが、社会主義政党と労働者階級は戦争反対の立場をしめした。そしてこの戦争の末期に<平和とパン>の要求のもとにロシアの十月社会主義革命が遂行された。これらの事実から平和を現実的に実現し、これを維持する社会勢力が事実として出現してきたことをしめしている。平和のための運動はそれいら、各国に起こってきたが、それはまた戦争勢力である帝国主義の野望をおさえるにいたらず、第二次世界大戦の勃発をゆるした。しかも、この世界大戦では日本で最初に実験されたアメリカによる原子爆弾の出現をきたし、つぎの新たな大戦は人類にとってはかり知れない惨禍をもたらすことが実証された。しかも、それいらい大量殺戮の兵器は、原水爆をはじめ種々な化学兵器がつくりだされている。しかし、他方では社会主義は10ヵ国以上におよび、社会主義世界を形成し、また各国の労働者階級の資本家階級とその国家の政策に対抗する力が増大したばかりでなく、大多数の諸国民が平和を守ることの重大性にめざめて平和擁護の組織された勢力が形成されてきた。このようにして、今日では、平和を思想的に唱えるだけではなく、社会主義諸国、社会主義をめざす国際的な労働者階級の運動、そしてこれらと連帯する平和勢力が、平和を維持し固める現実的な力となって、帝国主義が依然としてもちつづけている戦争への危険をおさえる働きをしている。しかし帝国主義が存在しているかぎり、戦争の危険は消滅していない。したがって、上述した平和勢力の一致連帯が弱いならば、平和の守りは打ちくだかれる可能性もまたある。それゆえ、平和のためには現実的に存在している平和の守り手を不断につよめていくことがもとめられ、その方針としては平和共存*の方向を前進させることにあるということができよう。→平和共存
(森宏一 編『普及版 哲学辞典』青木書店、2000年12月15日、pp.423-424)

平和 [ギ] eirenē [ラ] pax [英] peace
【消極的平和と積極的平和】
もっとも狭義の平和は、*戦争がないこと、すなわち<戦争の不在>である。しかし、<戦争の不在>として定義された平和は、<平和は何でない>と否定的・消極的(negative)に定義された平和であるため、消極的平和と呼ばれることが多く、<平和は何である>と肯定的・積極的(positive)に定義された広義の平和概念である積極的平和と区別される。消極的平和という概念は固定的かつ静的であり、積極的平和という概念は発展的かつ動的である。しかし、戦争のない状態を消極的平和と呼ぶからといって、戦争のない状態が否定的・消極的に評価されるということではない。戦争がないこと自体を積極的な価値として評価するのは、戦争のない世界の構築を人類の理想として追求することが普遍的な願望とされてきたことと照応する。他方、積極的平和という概念は、時代や状況の推移とともに変化するが、積極的平和の構成要素は消極的平和を前提とするから、前者は後者を包摂する概念だということができる。すなわち、積極的平和の基本的要素は、豊かさ、秩序、安全、*正義、公平、*自由、*平等、*民主主義、*人権尊重などだが、これに加えて健康、*福祉の充実、文化的生活、生き甲斐、環境保全を含めるなど、要素の加除が時代や状況の推移と連動して行われる。米ソ冷戦時代には、地球規模の核戦争による人類絶滅の可能性が平和にたいする最大の脅威として認識されたが、米ソ冷戦終結後においては、グローバルな環境汚染が人類の存続を脅かす深刻な平和問題として知覚されるようになったのはその例である。

(『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年3月18日、p.1436)

【諸文化圏における平和の意味】
概念史的にみても平和という語には戦争の不在に尽きない意味が包含されていた。いずれも<平和>と訳される異なった文化圏の語がそれを示している。たとえば、古代イスラエルの<シャローム>やイスラーム圏の<サラム>という語は第一義的には神による正義や公平の実現を、ギリシャの<エイレーネ>、ローマの<パクス>、中国の<和平>という語は基本的には秩序と繁栄を、インドの<アヒンサー>という語は*不殺生をそれぞれ意味した。それゆえ、消極的平和(平和=戦争の不在)という限定は、平和という概念の本来的な広がりを制約し、さらに<平和な風景>や<平和な家庭>といった、平和という語の日常的な使用の中に含まれている積極的な意味を抑制した、限定的な平和概念である。世論調査の項目に「現在の日本は平和だと思うか」という趣旨の設問があり、多様な回答の意味が分析されるのも、広義の平和概念が一般に的であることを示している。
 また、旧植民地地域が独立し、国連をはじめとする国際会議や国際学会において支配される側の声が聞かれるようになり、政治、経済、文化、教育、情報などの国際化現象が進むにつれて、平和、自由、平等、人権などの伝統的な共通理解にも亀裂が生じ、それらの諸概念の再定義が必要になってきたという経緯もある。さらに、数千年におよぶ父権制社会を戦争文化として位置づけ、女性的価値を中心とした新しい平和文化の創出を目指す*フェミニズムの立場に立つ平和研究者からは、父権制社会の中で温存されてきた諸概念の歴史的制約が指摘され、抜本的な見直し作業が試みられてもいる。

(『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年3月18日、p.1436)

【直接的暴力と構造的暴力】
インドのS.ダスグプタは戦争と平和という二分法を退け、平和の対極にあるのは戦争ではなく、非平和(peacelessness)であるとして、途上国の状況を特徴づける平和概念を提示した。先進国では戦争がなければ平和だが、途上国では<戦争がなくても平和ではない>から戦争と平和という二分法は妥当しないというのである。こうして<戦争の不在>と同時に非平和(平和の不在)が途上国に特徴的な問題であることが認識され、平和概念の再定義に不可欠の新しい前提となった。ノルウェーのJ.ガルトゥングは<戦争もないが平和もない>という状況、すなわち、貧困、無秩序、不安定、不正義、不公平、弾圧、不平等、殺傷、飢餓、疾病、医療施設の不在、低い識字率などを特徴とする非平和状況を<構造的暴力>と呼んで、戦争やテロのような<直接的暴力>と区別し、ダスグプタの着想を概念的にねりあげ、その結果、近年の平和研究(平和学)においては、戦争と平和という伝統的二分法とは別に*暴力と平和という二分法で分析する道が開かれ、新しい要請に応えることができるようになった。
〔文献〕 J.Galtung, "Violence, Peace and Peace Research", Journal of Peace Research, vol. VI, no. 3, 1969; Sugata Dasgupta, "Peacelessness and Maldevelopment", IPRA Studies in Peace Research, IPRA Second Conference, vol. II, 1968; B.Reardon, Sexism and War System, 1985; 石田雄『平和の政治学』岩波新書、1970;岡本三夫『平和学を創る―構想・歴史・課題』広島平和文化センター、1993。

〔岡本三夫〕

(『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年3月18日、pp.1436-1437)

【シク教の平和思想】
インド思想において平和は、個々人の自我の圧制と暴力の否定によって成立するものとされてきた。この点を最も明確に主張したのは、*仏教の開祖*ゴータマ・ブッダと*ジャイナ教の開祖*マハーヴィーラである。彼らは不殺生や非暴力を主張すると同時に、個々人の欲望抑制の重要性を説き、両者の上に平和な社会が成立すると教えた。しかし、彼らの主張は、厳しい修行を前提としていたために、理想的ではあっても実効性には限界があった。この点で、*シク教の開祖ナーナクの存在は注目に値する。
 ナーナクは、実社会における平等・平和の実現を重視し、一般人が実行不可能な観念的理想論的平和思想とは一線を画した。また彼は、宗教・カースト・性等の世俗社会における差別の要因となるものの一切を、神の名のもとに否定した。ナーナクは、宗教紛争を繰り返す*ヒンドゥー・イスラーム両教徒らに「あなたたちは争い合ってはならない。この世にヒンドゥー教もイスラーム教も存在しない。あるのはただ唯一の神の教えのみ」〔グラント・サーヒブ〕と呼びかけ、紛争のない平和な社会の実現を説いた。
 ナーナクらの積極的平和観は、20世紀には*ガンディーの独立運動の基本理念として改めて注目された。
〔文献〕保坂俊司『シク教の教えと文化』平河出版社、1992.

〔保坂俊司〕

(『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年3月18日、p.1437)

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