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新潟県神林村男子中学生自殺事件

2006年、新潟県岩船郡神林村(現・村上市)の村立平林中学校において、ズボンを脱がされた男子生徒がその後自殺した事件。当時の文部科学省の定義ではいじめだと認定するのが困難な事件であり、様々な問題点が浮上した。

同校では、ふざけてズボンを下げる遊びが流行っていた。同級生にズボンと下着を女子生徒がいる目の前で脱がされるといういじめの被害を受けていた少年がいた。

担任教諭が沈んでいる理由を尋ねても、「魚が釣れないから」などとはぐらかし、「大丈夫」と答えた。一緒に下校した友人3人には別れ際「死にたい」と漏らす。夕食後行方不明となっていた男子生徒が自殺しているのが発見された。遺書はなかった。

調査委員会は「いじめ自殺には当たらない」とする報告書を提出。同校では生徒間のズボン下ろしが流行しており、男子生徒も仲良しの同級生にズボンを下ろされていた点や、男子生徒が継続して一方的にからかわれたという事実が認められないという点などからいじめを否定した。

ズボンを脱がした点については、日常的なからかいだったとし、それを深刻に受け止めた事が原因で「衝動的」に自殺に至ったとした。

福岡中2いじめ自殺事件

2006年にいじめを苦にした少年が自宅の倉庫内で首を吊って自殺した事件である。いじめのきっかけが元担任教師による生徒達に対する不適切な言動だったことが調べで分かり、いじめが再び社会的に注目を浴びた。

同少年が中学1年の頃に受けたいじめについて当時学年主任で担任だった男性教師へ相談したところ、同教師がクラス内で相談内容を漏らしたために、いじめがエスカレートしたこと、この同教師は同少年へのいじめにも荷担し、これが少年への自殺の要因のひとつとなっていたことが発覚した。

この元担任は「からかいやすかったから(亡くなった)生徒を罵倒した」と述べた。元担任は生徒を、国語の成績別に、イチゴの品種を用いて呼んでいた。優等生の同少年に対しては「偽善者にもなれない偽善者」などの問題のある発言を繰り返していた。

学校側は当初いじめを否定していたが、後に発言を翻す。全校生徒への朝礼の際は校長が「先生たちがちょっと手を抜いちゃいました。ごめんなさい」と一応は謝罪した。

いじめに関与した少年達は同少年の葬儀にて笑いながら棺の中を携帯電話のカメラで撮ろうとしたり、自殺後「せいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」などと発言していたと言う。のちに14歳の同級生3人を書類送検、当時13歳のため刑事責任が問えない2人を児童相談所に通告した。

また、自殺した少年が遺書に「生まれかわったら(強くなりたいの意味から、当時連勝を重ねていた競走馬の)ディープインパクトの子供で最強になりたい」と記していたことから、ディープインパクトの主戦だったJRA騎手の武豊が遺族に自らのサイン色紙を贈っている。

丸子実業高校バレーボール部員自殺事件

長野県丸子町(現・上田市)の長野県丸子実業高等学校(現・長野県丸子修学館高等学校)に通っていた当時1年生の男子生徒(以下文中では「A」と表記)が、2005年に自宅で自殺した事件。

Aは中学2年の頃から声帯に異常をきたし、声がかすれ気味で大きな声が出せない状況だった。Aは2005年に丸子実業高校に入学し、バレーボール部に入部。部内でいじめられるようになった。そのことが原因でAは不登校気味になり、また病院でうつ病と診断された。

・上級生がAの声真似
・上級生からハンガーで殴られる
・日常的な暴力

このような事態に対してAの母親と学校側と長野県教育委員会が話し合いを続けていた。話し合いの際にバレーボール部顧問は「ふざけるな馬鹿野郎」などとAの母親に対して大声で怒鳴ったとされている。

Aの出席日数不足を理由に「このままでは進級できない」という状況も考えられるようになり、学校側がその旨を通知した直後、Aは自殺した。

学校側は「いじめと認識していない」という立場をとった。またバレーボール部の保護者会は自殺事件直後に記者会見を開き、Aへのいじめはなかったとの見解を示した。

Aの母親は、いじめや暴力をおこなっていたバレーボール部員等に損害賠償を求めて提訴したが、バレーボール部員等もAの母親に精神的苦痛を受けたとして提訴。判決では、Aの母親の主張を退け、Aの母親にバレーボール部員等に対して損害賠償を支払うように命じた。

上級生5人は、2006年5月に暴行の容疑で書類送検された。

滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件

北海道滝川市の滝川市立江部乙小学校に通っていた小学6年生の女児がいじめを苦にして自殺した事件。2005年、遺書を残した上で首吊り自殺を図った。その時一命は取り留めるものの、回復することなく死亡した。

教育委員会は聞き取り調査を行い、いじめは無かったと結論した。2006年9月、遺族が新聞社に遺書を公開。教育委員会はマスコミに対しては女児の遺書について「遺書ではなく『手紙』である」と回答した。その後、教育長が辞職した。

・性的魅力がないと中傷
・女児に近づかないなどの嫌がらせ

自殺した女児の両親は滝川市と北海道に対し損害賠償訴訟を札幌地方裁判所に訴え、2010年2月に裁判所から和解案を受け入れ和解が成立した。

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