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暗号 太平洋戦争 解読されても翻訳は誤訳だらけ

太平洋戦争の暗号とカルチャーギャップについてとりとめのないまとめです。

更新日: 2018年02月18日

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7月半ば、日本軍の南部仏印進攻を受けて、米国務省はチャーチルの対日経済制裁に同意した。
しかし、ルーズベルトは「日本との戦争になる」として反対した。
この時、イギリスは日本軍が南部仏印からオランダ領東インドシナに進攻し、米英の介入を軍事力で排除するという暗号解読をルーズベルトに伝えた。
その情報は中国にいた日本軍から伝えきいたもので、日本軍の正式文書ではなかった。
この暗号解読をきいたルーズベルトは、ついに対日経済制裁に同意した。

この2人の不在時に暗躍したのが、先のモーゲンソーです。彼は対日強硬派が影響力を持ちうる、外国資産管理委員会という機関に、禁輸に関する職務を専管させるようにしてしまいます。

ハルの国務省とルーズベルト大統領は、この委員会が対日資産の全面凍結と全面禁輸を実施していたことを、日本の野村大使からクレームがつけられるまで、なんと知らなかったのです。アメリカ側にも官僚制の対立があり、対日態度の差異による権力闘争があったということです。

日本の暗号解読能力とインテリジェンスがないこと

日本陸軍は、暗号解読など優れ、中国のみならずアメリカ暗号まで解読していた。 にもかかわらず情報戦に敗北したのは、「作戦重視、情報軽視」「長期的視野の欠如」「セクショナリズム」にみられる、日本軍のインテリジェンス能力の欠如にあるという。 とくに、本来、インテリジェンス活動は、「情報の分析」と「情報の共有」が水平的に連携した形で行われなければならず、「中央情報部(CIA)」のような一元的な情報集約組織によってプールしないと、政策決定者の主観・推測が交じったり、組織間の軋轢で情報の鮮度が失われ、情報が雲散霧消してしまう。 しかし日本では、「作戦」と「情報」が垂直的関係におかれ、インテリジェンス活動がまともに機能しなかったらしい。

安倍首相の親戚、松岡洋右外相や陸軍首脳部が推し進めた三国同盟の政策決定の場には、参謀本部の情報部長がいなかったと言うではないか!!!!!  「ドイツの勝利はない」といった駐英武官報告が、握りつぶされていただけではない。 なんと、驚く無かれ。 「独ソ戦が勃発する!」という駐独武官情報は、日本暗号の解読を通してチャーチルがその事実を知って、英米ソの結束に利用したにもかかわらず、日本では「情報を信じない首脳」だらけだったというのだ。 日本では、どんなに決定的な情報を得たとしても、調整によって政策決定をくだす時に間に合わないと、有効活用できないのである。 日本は、独ソ参戦を知らされつつ、南進論を決定したのだ。 また、太平洋戦争開戦直前の対米交渉でも、「情報の政治化」を防ぐための客観的情報評価部署がないため、政権首脳部はオシント(公開情報)で右往左往した挙句、ハル・ノートで観念。 ここまでくると、日本政治は自殺したのだと考える他はない

急速に重要度を増したシギント(通信情報)については、相当の解読力を有しており、イギリスやドイツでさえ成しとげられなかった、アメリカの「ストリップ暗号の解読」に成功しているという。 防諜を担当する憲兵隊は、領事館に侵入して、暗号書を始めとする機密文書を盗みまくった。 英米も手を焼き、防諜能力が低い中国側から日本に情報が漏れるので、中国に重要情報を与えない措置さえとられたらしい。 「中ソ重視」の陸軍は、「支那通」などからの情報が多すぎて困るほどだったが、アメリカに対してはまったく逆。 アメリカは、海軍省や外務省の領域と判断、ヒューミント(人的情報)がなかったという。 とはいえ、「仮想敵」国、かつ、鉄壁の防諜能力をもつ対ソ情報収集活動は至難の業にもかかわらず健闘しており、1945年5月には、ソ連の対日参戦の徴候をつかんでいたと言うのだから驚く他はあるまい。

日本軍による米軍暗号の解読は、昭和11年(1936年)から昭和17年(1942年)ごろまで米国務省の外交暗号、武官用暗号は解読はできていました。ところが、米軍は暗号を変えてしまったのです。その後、なかなか解読は進まず、昭和18年(1943年)になって数学者をの協力を仰いでいます。それまで暗号は軍の機密事項なので民間人を入れるのはタブーだったのです。協力を要請されたのは東大数学科の名誉教授・高木貞治という世界的権威の数学者で、高木教授は天才学者らメンバーを集めて暗号解読に取り組んでいます。昭和19年には米軍の暗号を解き始めていました。

先頭に来るコールサインによってアメリカ本土からテニアン経由で特殊な目的をもってB-29が日本に向かっていることまではわかっていましたが、それが何かまではわかりませんでした。それは結局、原爆機だったわけですが、米軍の暗号解読で「ヌクレア(核の)」という文字が出たのは原爆投下後の8月11日のことでした。陸軍情報部は地団駄踏んで悔しがったといいます。陸軍の暗号少佐の釜賀一夫さんは戦後、「あと二年早く昭和16年から数学者を使い始めていたらあんなに簡単には負けなかった」と悔しがりました。

 実は山本五十六連合艦隊司令長官がブーゲンビルで戦死したのも日本軍の暗号が読まれていたからです。山本長官が戦死した地点から米軍のガダルカナルのヘンダーソン基地までの間は米軍機P-38の航続距離とぴったり同じでした。そんな劇的な遭遇は万が一にも考えられません。日本陸軍はこれに気づいたので民間の数学者を入れる決断になったのです。海軍も暗号が読まれていることに気がついたようです。しかし、どうも事なかれ主義で口をつぐんだか、情報に対する重要性の認識不足で黙っていたようです。

日本外務省の紫暗号の解読

第1章では、米上院のパールハーバー査問委員会議事録を骨幹として、日本の外交暗号がいかにして破られ、何故奇襲を防止できなかったかを明らかにするとともに、フリードマンを筆頭とする米解読チームの骨身を削るような辛苦と献身ぶりを述べている。
 第2章では、米の解読チームが外交暗号に引き続き日本海軍の戦略暗号を解読することに成功し、その成果を珊瑚海開戦以降に利用して戦争期間短縮に寄与した。
 日本海軍の暗号については全期間を通じて海素読していたが、日本陸軍の戦略暗号は、最後まで破ることは出来なかった。これは、陸軍の努力と米側の熱意不足だと述べている。

旧説 真珠湾前にはアメリカは大日本帝国海軍の暗号は解読できていなかった

新説 真珠湾前にはアメリカは大日本帝国海軍の暗号は解読できていた!?

大日本帝国外務省の暗号 紫暗号 パープル暗号

暗号戦史

日本が対ソ連戦の意図(北進)が無く、南進を企図しているという情報が如何にスターリン(ソ連最高指導部)に伝えられたか、それが独ソ戦においてソ連の勝利に如何に貢献したか、が本書の中心命題である。

主要な情報入手経路
├ゾルゲ(HUMINT)─ドイツ大使館や尾崎秀実(近衛文麿側近)から日本の外交・戦略を入手
├トルストイ(SIGINT+暗号解読)─日本外交機密電報(パープル暗号)解読
├クリヴィツキー(HUMINT+暗号解読)─日本外交暗号電文+暗号解読書→日独防共協定把握
└エコノミスト(HUMINT)─「帝国国策遂行要領(1941.9.6)」を先取ってスターリンに伝達

経緯等
エコノミスト 本書では高毛礼茂(たかもれしげる)説。他には天羽英二説がある。
 └→第三次近衛内閣商工大臣左近司政三の北樺太石油幹部との昼食会(1941.9.2)に同席し、その発言内容が「帝国国策遂行要領」を先取ったものであり、これがベリヤ経由でモロトフとスターリンに伝達された

1940年9月に米国で開催された
「ハノーバー米国数学会及び米国数学協会の開戦準備委員会の報告」において、

(1)陸海軍科学ないし軍備拡張に必須なる数学的問題の解決
(2)そのために必須な数学研究者の養成
(3)米国高等専門諸学校の数学指導を各種陸海軍服務に適切なように強化
(4)弾道学、航空術、計算、工業数学、公算論及び統計、暗号分析の
6分野に代表評議員を任命した。

1940年10月に東北帝国大学の高須教授がこの委員会報告を知り、
朝日新聞に寄稿して米国の数学者動員を世論に訴えた。
肝心の軍部が反応しなかったが、
多くの日本数学者は暗号に数学が必要だと知った。

1943年6月に参謀本部通信課は暗号学に数学を導入する必要性に気付き、
東京帝国大学の高木教授と接触を図る。

1944年4月に陸軍暗号学理研究会が発会。
参加した数学者には熱心な人も居れば冷めた人も居た。
米国とは異なり、日本陸軍は数学者達をパートナーとして扱った。

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