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スポーツの聖地、国立競技場の最後の日

国立競技場ありがとう。最後の公式戦となったラグビー国際試合を前に「TOKYO 2020」の人文字が作られました。

更新日: 2014年05月31日

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whisper.wordさん

国立競技場ありがとう。最後の公式戦となったラグビー国際試合を前に「TOKYO 2020」の人文字が作られました。

◆日本復興のシンボル

今から思えば、1964年は、戦後日本の復興を象徴する特別な年だった。

首都高速道路をはじめとするインフラが整い、この年の前後から、都心はその表情を大きく変えつつあった。とりわけ10月1日に開業した東海道新幹線と10月10日から始まった東京オリンピックは、日本復興のシンボルだった。

そして、その東京オリンピックの「顔」こそが「国立霞ヶ丘競技場」だったのだ。

1958年に竣工した国立競技場は、東京オリンピックを控え、バックスタンドを中心に大幅に拡張し、生まれ変わった。言ってみれば、このときから、スポーツの聖地としての役割を背負うことになったのである。

しかし、どんな物語も、始まれば終わる。

1964年10月10日、東京オリンピックと共に始まった国立競技場物語は、半世紀を経た今年、2014年5月31日、ついにエンディングを迎えることになったのだ。灯された聖火台の火は、この日、永遠に消えることとなった。

1964年10月10日、新生国立競技場では、東京オリンピックの開会式が行われていた。

約7万2000人の観客の目は、トラックを走る聖火リレー最終ランナーに注がれていた。ここまで、実に10万712人のランナーが手渡し続けてきたトーチを受け取るのは、この年、早稲田大学競走部に入ったばかりの坂井義則だった。

坂井は、1945年8月6日、広島市に原爆が投下された1時間半後に広島県三次市で生まれた。最終聖火ランナーに選ばれた理由のひとつは、その坂井が抱え持つ物語性にあったことは言うまでもない。

もっとも、本人としては、競技選手としてトラックを走りたいという思いが強かった。400メートルと1600メートルの強化選手に指名され、「高校時代から東京オリンピックに出場することだけを考えてトレーニングしてきた」からだ。しかし、それは叶わず、いわばアトラクションとして国立競技場を走ることになったのである。

坂井は、トラックを半周したのち、聖火台までの階段を駆け上がった。全182段。

いざ上りきって満員の観客席を見たとき、坂井は言いしれぬ興奮に包まれる。7万人以上を飲み込んだスタンド、グラウンドに立つ各国の選手たち、そして、無条件に青い秋晴れの空。坂井がトーチを聖火台へと差し伸べると、勢いよく炎が上がった。

競技者として日本代表に選ばれなかったことなど、すべて吹っ飛ぶような瞬間だった。やがて上空に5機の航空自衛隊機が現れ、5つの輪を描く。ブルーインパルスだ。

この開会式は、世界中に五輪史上初めて衛生中継された。世界が初めて日本の国立競技場を認識した瞬間だった。そして、それは同時に、敗戦国日本の復興を世界に誇示する絶好の機会でもあったわけだ。

◆マラソン中継をしていた父

そんな栄光の1964年から半世紀を経た2014年春――。 国立競技場のエンディングを飾る生中継番組「緊急生中継!さよなら国立競技場」を任されたのは、TBSスポーツ局の坂井厚弘プロデューサーだった。

坂井は、最初の局内のプロデューサー会議で、こう言い切っていた。

「最も国立を愛している人間なので、いい番組をつくります!」

坂井にとって国立競技場は、特別な場所だった。高校、大学と短距離の陸上選手だった坂井は、幾度となく、この歴史あるトラックで歓喜の声を上げ、悔し涙を流してきたのだ。

坂井が最初に国立競技場を訪れたのは、小学生のときだった。その頃、東京マラソンのゴールは国立競技場で、観戦に行ったのだ。このとき坂井は、フジテレビの中継車の内部も見学している。父親がディレクターとして番組を担当していたからだ。

そして、そのマラソン中継をしていた父親こそ、先の東京オリンピックの聖火ランナー、坂井義則だった。

息子の坂井はこう振り返る。

「仕事も忙しかったし、基本的にオリンピックのことを語る父親ではなかったので、あまり詳しく聖火ランナーだったことを聞いたことはなかったのです。ただ、広島の実家には、トーチが置いてあったし、昔、聖火ランナーとして国立を走った父だということは、いつもどこかで感じていました」

5月31日夜9時からオンエアする番組では、聖火消灯イベントをライブで中継する。その準備のため、坂井は半世紀前に父親が駆け上がったのと同じ場所に立った。

「ああ、父親はここに上がったのだ、と思いました。記事の中で父親は『特等席でした』と言っていたのですが、まさにすばらしい眺めでした」

坂井厚弘にとって、国立競技場と聞いていの一番に思い出すのは、1991年の世界陸上である。カール・ルイスが9秒86の世界新をたたき出した大会だ。もちろん、坂井に限らずとも、陸上、サッカー、ラグビーと、皆それぞれがそれぞれの国立競技場の思い出を抱えている。競技者も観客も。だからこそ、国立競技場には言いしれぬ重みと魔力が備わっていたのである。

そんな何百万、何千万もの思い出が詰まった国立競技場は、半世紀の歴史にまもなく幕を下ろすわけだが、それはすなわち、2020年の東京オリンピックに向けての新たな出発をも意味する。

坂井厚弘は今、「緊急生中継! さよなら国立競技場」が6年後に向けての架け橋となることを願いつつ、新たな物語を生み出していきたい、と思っている。

国立競技場の聖火が消える瞬間を生放送する特別番組「緊急生中継!さよなら国立競技場」は、5月31日(土)よる9時からTBS系列にて放送。

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