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【伝説の日本人モデル】山口小夜子まとめ【日本の美】

資生堂のCMでも有名な方です。この方ほど日本的な美を追求したモデルさんは居ないように思います。

更新日: 2018年08月12日

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tomsan2106さん

山口 小夜子(やまぐち さよこ、1949年9月19日 - 2007年8月14日)は、日本のファッションモデル、ファッションデザイナー。

日本人モデルの先駆けとして、1970年代に最も活躍したファッション・モデルです。

1971年にプロのモデルとしてデビューし、高田賢三や山本寛斎のショーで注目を集める。1972年、パリコレクションにアジア系モデルとして初めて起用され、次いでニューヨークコレクションにも出演した。おかっぱ頭に切れ長の目で日本人ブームを起こした。

1977年 Newsweek が選ぶ「世界のトップモデル6人」にアジア人として始めて選出される。

山口さんは、1970~80年代に資生堂の広告塔として化粧品や香水のポスターに登場した。世界的クリエーターでフランス人のセルジュ・ルタンス氏が手がけた作品は特に有名で、資生堂の名をパリに知らしめるとともに「日本の美」を世界に発信し、20世紀の広告史に残る作品となった。日本でもハーフなど西洋的なモデルがもてはやされた時代に、東洋の美を象徴するような山口さんの存在は日本女性の美を再認識させた。

おかっぱの黒髪に、切れ長の目を強調するような漆黒のアイラインとまぶたに差された紅、まるで日本人形に命を吹き込んだかのようなビジュアルは、強烈な日本美をファッション界に持ち込んだ。

特にヨーロッパで人気が沸騰し、「SAYOKO マネキン」というマネキン人形が発売されたほどだった。現在でもアナスイニューヨーク店で使用されているという。

1973年、資生堂の専属モデルとなり、同社のCMに出演。その後も長くモデルとして活動しながら、ファッションデザインや服飾品のプロデュースも幾度となく担当。

1970年から80年代にかけて、山本寛斎をはじめ三宅一生、イヴ・サンローランなど、多くのトップデザイナーたちにとって、山口 小夜子はまさにミューズ(女神)といえる存在でした

常連となったパリコレでは「東洋の神秘」とまでいわれ、ワールド・ワイドで活躍した彼女は、現在欧米ファッション界で活躍する日本人女性モデルの先駆け、まさに日本人ファッション・モデルの「偉大なる先駆者」でした

身長は170センチとモデルとしては小柄な彼女でしたが、ステージに於けるあのゆっくりとした独特のウォーキングは寺山修司氏から学んだといわれ、モデルというよりは能楽など日本舞踊の表現者といった趣で他を圧倒し、ファッション・モデルの枠をこえてパフォーマーあるいはアーティストと呼ぶにふさわしい、まさにONLY ONEの存在でした

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