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【面白い!!】思考実験・パラドックスまとめ2

第二弾です。アキレスと亀、ギュゲスの指輪、スワンプマン、バナッハ=タルスキーのパラドックスなどをまとめました。随時更新予定です。

更新日: 2018年11月15日

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plutocharonさん

アキレスと亀

あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか[2]なので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。

スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。

バナッハ=タルスキーのパラドックス

球を5個以上に分割して組み立てなおすと、もとの球と同じ大きさの球が2個できる、というもの。選択公理の不自然さを指摘したもの。

抜き打ちテストのパラドックス

ある教師が、学生たちの前で次のように予告した。
来週の月曜日から金曜日までのいずれかの日にテストを1回行う。抜き打ちテストであり、テストが行われる日がいつかはわからない。
これを聞いたある学生は、以下の推論の結果「抜き打ちテストは不可能である」という結論に達した。

1.まず、金曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から木曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、木曜日の夜の時点で、翌日(金曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。これでは抜き打ちとは言えないので、金曜日には抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。

2.次に、木曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から水曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、水曜日の夜の時点で木曜日か金曜日のどちらかの日に抜き打ちテストがあることが予測できるが、1. により金曜日には抜き打ちテストがないことが既に分かっているので、翌日(木曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。よって、木曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。

3.以下同様に推論していくと、水曜日、火曜日、月曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。したがって、「先生はいずれの日にも抜き打ちテストを行うことができない」という結論になる。

しかし翌週、テストは水曜日に行われた。上記の推論にもかかわらず、学生は全くテストの日を予測できなかった。
すべては教師の予告通りになった。

張り紙禁止のパラドックス

「この壁に張り紙をしてはならない」という張り紙は許容されるか。

予防的正義

コンピュータと人工知能の発達により、『犯罪を犯しそうな人』が一定の確率でわかるようになった。その人を先行して調べておくことで、小さな犯罪の段階で立件し、更生プログラムを受けることで刑は軽く済むのだ(重大犯罪を行うよりは。)。

それなのに、自由主義の連中が「まだ何もしてない人間を勾留するのはけしからん」という。
さて、あなたはどう思う?

しゃべる豚

肉を食べるというのは動物を殺して肉にするから、動物愛護の精神により食べないというベジタリアンがいる。

そのベジタリアンが、食べられることを望む、しゃべる豚に「私を食べて」と言われたうえ、その食肉加工された肉が目の前に並んでいたら?
限りなく脳死に近い状態で育つように改造した鶏の肉を食べることは良いことだろうか?

誕生日のパラドックス

誕生日のパラドックス(たんじょうびのパラドックス)とは「何人集まればその中に同じ誕生日の人がいる確率が50%を超えるか?」という問題から生じるパラドックスである。鳩の巣原理より、366人(閏日も考えるなら367人)集まれば確率は100%となるが、しかしその5分の1に満たない70人が集まれば確率は99.9%を超え、50%を超えるのに必要なのはわずか23人である。

カルテジアン劇場

カルテジアン劇場 (Cartesian Theater) とは、アメリカの哲学者・認知科学者のダニエル・デネットが、古典的な意識についての考え方である意識のホムンクルス・モデルを批判するために提唱した思考実験。人間の脳の中には小人(ホムンクルス)が住んでいる劇場があり、そのスクリーン上に人間の身体が経験した感覚的データが上映される。それが人間の精神現象であるとする。では、その小人の脳の中はどうなっているのか、さらに小さな小人がいるのか――デカルトのいうような、精神は身体に還元できない実体であるとする実体二元論は、意識の説明について無限後退に陥るという批判である。

ギュゲスの指輪

羊飼いのギュゲスが、自由自在に透明人間になれるという不思議な指輪を手に入れて、最終的には王妃と通じて王権を奪ってしまう、つまり「もし誰も見てないのならば、人間は元来、悪いコトをしてしまう」ということのたとえ話。

もし自分が透明人間になれるとしたら、どうなるのでしょうか?
誰も見ていないと知ったとき、あなただったらどうしますか・・・?

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