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最悪の結末をたどった香田証生氏人質事件の真実

イラクを訪れていた香田証生氏が武装組織に拉致され殺害された。彼はなぜ危険地帯に足を踏み入れたのか?

更新日: 2018年11月23日

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romonさん

イラク入りまで

東海大第五高校を中退後、通信制高校の「NHK学園」に転入。高卒の資格を取得した後はフリーターとして働いていた。

香田証生氏は、ニュージーランドにワーキングホリデーで滞在していた。

ワーキングホリデー…若者が働きながらその国を実体験する制度

2004年1月ワーキングホリデーが終了した香田氏は、日本へは帰国せず、そのまま他の国々を旅することにした。

イスラエル、ヨルダンを経由して、最終的にイラクへ入国。

アメリカ合衆国が主体となり2003年から、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ侵攻したことで始まった軍事介入である。

正規軍同士の戦闘は2003年中に終了し、「大規模戦闘終結宣言」が出たが、イラク国内での治安の悪化が問題となり戦闘は続行した。2011年、米軍の完全撤収によって戦争の終結を正式に宣言した。
(wikiより)

ヨルダンのホテルに滞在していた映画監督の四ノ宮浩氏に香田氏は「イラクに旅行に行きたいのでホテルを紹介して欲しい」と依頼した。四ノ宮氏は危険なので引きとめようとしたが、忠告を振り切りイラク入り。

「非常に好奇心旺盛な若者だった。たくさんのイラク人がなぜ殺されなくてはいけないのか。なぜ一般のイラク人までが米軍に銃を向ける状況になっているのか。そうしたことに興味を持っているようだった。それを確かめるためにイラクに行ったのだと思う」(四ノ宮氏)

「やはり戦争を体で体験しないと平和は語れないですよね」。そう言い残して香田さんはイラクに向かった。

人質

2004年10月、イラクで香田証生さんが拉致され、武装組織「イラクの聖戦アルカーイダ」が、イラク南部サマワに派遣されていた自衛隊を48時間以内に撤退させるよう求める犯行声明を発表。

・公開された映像の中での香田氏の発言
「彼ら(武装グループ)は、なぜ日本政府が法を破ってイラクに自衛隊を派遣したのかと尋ねています。小泉(純一郎首相)さん、彼らは日本政府に自衛隊の(イラクからの)撤退を求めています。さもなくば、僕の首をはねると言っています。すみませんでした。また日本に戻りたいです」

それに対し日本政府は、青年の解放を求めたが、要求についてはテロリストとは交渉しないとの立場から、「自衛隊は撤退しない」と電話で指示、拒否した。

有力な情報がないまま、犯行グループが香田さんの殺害を警告した「48時間」の自衛隊撤退期限が過ぎた。

処刑

その後、香田氏はグループにナイフによって首を切断され殺害された。遺体は31日未明にバグダード市内で発見された。

犯行グループが犯行声明とともに、青年を星条旗の上で殺害する場面をネット上で動画配信した。

拉致、殺害にかかわったのは計6人。イラク内務省はこのうち4人を逮捕。2006年、アメリカ軍が戦闘機の爆撃で首謀者ザルカーウィーを殺害した。

自衛隊は撤退すべきだったか?

自衛隊は米軍の後方支援、そしてイラク国民の人道支援、復興支援のために活動した。

テロ組織は極めて残忍で、それまでもニック・バーグ氏(米国)、金鮮一氏(韓国)、ケネス・ビグリー氏(英国)等を殺害してきた。香田氏の解放/救出が極めて困難であったことは確かである。

一方でフィリピン人労働者のアンヘロ・デラクルス氏はイラク関連組織に拘束されながらも無事解放された。

フィリピン政府が軍をイラクから撤退させたからである。

香田氏の行動に対する厳しい意見

香田氏のイラク入りに対しては
否定的意見が大半を占める。

政府が厳しく入国を規制している中で、それを無視して入国し、つかまってしまうとは、あまりにも無知で子供っぽい行動。

危険な場所であることは分かりきっていること。外務省も再三避難勧告を出している。やはり軽率な行動としかいいようがない。

信じられない行動だ。ちょっと考えられない。捕まえてくださいと言っているようなもの。

一方で四ノ宮氏は「彼は今、まるでただの観光旅行をしていたように言われているが断じて違う。戦争の真実を見ようとした勇敢な若者だということを知ってほしい。真実を見に行った、尊敬できる日本人だ」と話す。

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