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元歌手・藤圭子 壮絶人生の「光と陰」

宇多田ヒカルの母親として知られる元歌手・藤圭子が突然この世を去った。彼女の人生はどういったものだったのか。

更新日: 2019年06月14日

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romonさん

孤高の歌姫

出生名:阿部純子

生年月日:1951年7月5日

出身地:岩手県一関市

浪曲師の父と三味線奏者の母の間に生まれ、17歳のときにさっぽろ雪まつりのステージで歌っていたのをきっかけにスカウトされ1965年に歌手デビューする。

1969年「新宿の女」でデビューし、ハスキーな歌い方に当時の歌謡界に衝撃を与えた。

夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な楽曲(『怨歌』)を、独特のドスの効いたハスキーボイスで伸びやかかつ深々と歌い上げ、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。
(wikiより)

デビューアルバムの『新宿の女』、続くセカンドアルバム『女のブルース』の2作品がオリコンチャートで37週連続1位という前代未聞の記録を打ち立てた。

代表曲「圭子の夢は夜ひらく」

1974年、喉の手術をして歌声が変わり、引退を決意。

「喉を切ってしまった時に、藤圭子は死んでしまったの。今ここにいるのは別人なんだ。別の声を持った、別の歌手になってしまったの」(藤圭子)

1979年、引退を突然表明し、アメリカ合衆国に渡る。

宇多田照實

音楽プロデューサーの宇多田照實と再婚し、娘の宇多田ヒカルをもうけた。

1948年生まれ。東京都中野区出身。ベトナム戦争に参加した経験を持つ。16歳で渡米した事もあり英語が堪能である。ドラム、ギターなど演奏出来るマルチミュージシャンである。
(wikiより)

藤と宇多田は何度も離婚と再婚(計7回)を繰り返しており、中には離婚してから2週間後に再婚したこともあった。

「ささいなことで口論になって、お互いが意地を張って、そのまま離婚しちゃって。あとで『寂しいなあ、何であんなことになったんだろう』って。あとで『あれっ』と2人とも思って、『別にこんなことで離婚する必要なんかなかったよな』って思った時に、また入籍してた」

かつては楽曲提供もしていたが、現在はプロデュース業に専念している。

宇多田ヒカル

1995年、夫・照實と娘・ヒカルの3人でユニット「U3」を結成し、インディーズでレコードを発売。

娘の宇多田ヒカルがデビューしたばかりの頃、ラジオ番組にゲスト出演し、娘自慢を繰り広げた

ヒカルの天性の才能にいち早く気づいたのは、藤さん自身だった。「娘は天才なのよ。今、ニューヨークで歌の勉強をしているから、見ていてごらん。あと何年かすると、あっと驚くようなデビューを見せるから」

2000年、娘・ヒカルの全国ツアー札幌公演でステージに飛び入り参加し、「圭子の夢は夜ひらく」を歌う。

2010年、アーティスト活動を無期限休止することを発表。

「来年から、しばらくの間は派手な『アーティスト活動』を止めて、『人間活動』に専念しようと思います」(宇多田ヒカル)

藤圭子と宇多田ヒカルは符号する点が多い。10代でデビューして大ヒットを飛ばし、日本中をセンセーションに巻き込んだのも同じなら、19歳で結婚して4年間で結婚生活に終止符を打ったのも同じ。歌手活動を休止したのも同じ28歳のときである。

容姿や声帯も酷似

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