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元サッカー日本代表 中田英寿「サッカーが楽しくないから引退した」。

2014年6月12日から始まるサッカーブラジルW杯を目前に中田英寿が電撃引退の理由を語る。

更新日: 2016年08月16日

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ikemattiさん

愛称
ヒデ
生年月日
1977年1月22日(37歳)

出身地
山梨県甲府市

身長
175cm

体重
72kg

電撃引退した理由を初めて自分の口で語った。5月20日発売のワールドサッカーキング増刊 『俺たちが愛したワールドカップWORLD CUP CHRONICLE1986-2014』のインタビューの中で明かしている。

引退の真相!!

引退の理由について当時けがと報じられていたことについては「全く関係ない」と否定。「僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなものでもあります。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。それが自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。だから、自分に嘘をついてまで続けたくなかった」と本当の理由を明かした。

「サッカーが楽しくないから引退する」

サッカーを単なるスポーツと考えたり、ビジネスと考えている人には理解できないかもしれません。僕はサッカーが本当に好きなんです。僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなものでもあります。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。その時、それでお金を稼いでいるということを、自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。サッカーに人生を懸けてきましたが、それはサッカーが好きだったからで、お金のためにやっていたわけじゃない。そのバランスが崩れてしまった。楽しくないことを、お金のために続けるのは、僕には考えられなかったんです。

中田英寿が齎した日本への功績!!

19歳でオリンピックに飛び級で出場し、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の主力、更にA代表に選出されすぐにスタメンを勝ち取ると言う偉業を成し遂げる。
日本の初出場となった1998年フランスW杯出場に大きく貢献。

1998年フランスW杯

日本の初出場となった1998年フランスW杯では、チームの核としてグループリーグ全3試合にフル出場。中田のプレーは海外のクラブに認められ、W杯後獲得に名乗りをあげたクラブは12にのぼった。
同年7月、21歳でイタリアのセリエA・ペルージャへ移籍金470万ドルで完全移籍した

ペルージャ時代

1998-1999シーズン開幕戦で、ジネディーヌ・ジダンを擁する強豪ユヴェントスFCから2ゴールを奪うセンセーショナルなデビューを飾ると、年間10得点。
当時の日本人海外リーグ最多得点記録を打ち立て、イタリアの有力スポーツ誌グエリン・スポリティーボが選出するセリエA初年度の外国人選手を対象にしたセリエAサプライズ賞に選ばれた。

ローマ時代

1999-2000シーズン
1600万ドルで名門ASローマへ移籍。
当初はボランチで起用されることが多く、フランチェスコ・トッティが欠場した時などに従来のポジションであるトップ下で出場した。しかし、トッティが復帰すると再びボランチで起用され、外国人枠の問題もあり、徐々に途中出場が多くなっていった。
2000-2001シーズン 日本人で初めてセリエA優勝メンバーとなった。

パルマ時代

2001年パルマ移籍、移籍金はアジア人選手最高額の約33億円。
トップ下でプレーしたが、高額な移籍金に見合うパフォーマンスを発揮したとは言いがたく、チームの成績も振るわなかった。

2002年日韓W杯

チームを牽引する中心選手として、グループリーグ3試合、決勝トーナメント1試合の全試合に出場した。グループリーグのチュニジア戦では、ヘディングで自身のW杯初ゴールを記録した。

ボローニャ、フィオレンティーナ時代

2003-04シーズン冬の移籍市場でボローニャへ半年間のレンタル移籍。
2004-05シーズン直前にACFフィオレンティーナへ完全移籍。

ボルトン時代

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