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戦国最高の屑男【軍師官兵衛】で大人気の荒木村重が凄い!

岡田准一さん演じる黒田官兵衛が主役なら、準主役級の活躍を見せているのが荒木村重!人間としての弱さ・醜さをこれほど感じさせる人物はなかなかいません。戦国時代は英傑だけで成り立ったわけではありません。忠義などの徳目は江戸時代に成立したものでありもっともっと生臭い時代だったはず!

更新日: 2015年02月20日

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francescさん

荒木 村重(あらき むらしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。利休十哲の1人である。幼名を十二郎、後に弥介(または弥助)。荒木氏は波多野氏の一族とされ[1]、先祖は藤原秀郷である。

村重⇒荒木道糞⇒荒木道薫と改名

信長には負けぬと大河ドラマ「軍師官兵衛」で叫んでいた男。信長死後に荒木道糞(どうふん)としてどのような登場をしてくるのでしょうか?

摂津、池田氏の家臣から度胸と戦上手で成り上がった男

織田信長に仕えて摂津(大阪府北と西)を支配

織田信長に使えて戦功あり。明智・羽柴・柴田など軍団長よりワンランク落ちる位にまで出世する。織田株式会社の中国・近畿方面軍を助ける摂津支店長

出典ameblo.jp

山陽道を通り中国地方に向かう通り道

ここでひとつ信長と村重の有名なエピソードを紹介しておきます。
とある宴席でのこと、信長は突如、刀で側らにあった餅(饅頭とも)を突き刺します。すると村重の前に歩み寄り、その餅を村重の眼前に突き出します。一同騒然とする中、村重は動ずることなく、刀に突き刺さった餅にかじりつき、餅を食べつくします。
さらに餅で汚れた信長の刀を自分の袖でふき取ると言う徹底振り。
この振る舞いに信長は、大いに感心し、以後村重を厚遇することになります。

嫡男「荒木村次」の妻は明智光秀の娘「倫子」

倫子のお話は小説で登場することもしばしば。
元々、光秀の従兄弟として配下にいた明智秀満と相思相愛の仲。
ところが、信長の命令により勢いのあった荒木村重の息子に嫁がせることに。
泣く泣く嫁に行く倫子。諦める秀満足。

しかし、荒木村重の謀反により離縁されて戻ってきた倫子。

今度は、その道にうとい光秀も秀満と倫子の気持ちに気付き二人を娶せることに。

出典gree.jp

東里さん。「ザ・今夜はヒストリー」で細川ガラシャ役で出ます。

荒木村重が謀反!

村重謀反により秀吉の中国方面軍は大ピンチに

3つの説と史料

1、石山本願寺への兵糧横流し 『陰徳太平記』
村重は中国戦線におり、石山包囲を受け持っていたのは寄騎の中川瀬兵衛である。瀬兵衛、もしくは瀬兵衛の部下が、石山城内(境内)に兵糧を横流ししたことが発覚し、謀叛に至ったというもの。

2、小姓からの侮辱 『当代記』
大意は長谷川というものに二階から小便をかけられ、村重はこのことを遺恨に思っていたということ。この長谷川とは、長谷川秀一ではないかと思う。

3、家臣団の突き上げ 『フロイス日本史』
概要は、信長から与えられた土地がいつか取り上げられると心配し、また戦に駆り出されず平穏な生活を望んでいた家臣団が、村重を信長から引き離させ、石山本願寺および毛利家と同盟を結び、謀叛に至ったというもの。

家臣・妻・親族を見捨てて逃亡

続く籠城、来ない援軍、その中で総大将が逃亡する!

言うまでもなく、籠城で負けた時は城の主だったものが切腹や戦死し兵士等は助けるのがマナー(美学)

業深き大名・荒木村重
天正6年(1578)、荒木村重は信長に反旗を翻し、有岡城に籠城した。

織田信長は荒木村重に対して「降伏して尼崎城と華熊城を明け渡せば、妻子の命は助ける」との使者を出した。

荒木村重は織田信長の申し出を断り、ひとり尼崎城へ逃亡した。

有岡城は妻子を残したまま、あっけなく落城してしまった。荒木村重の逃亡により、妻子や家臣は見捨てられたかたちになった。

信長は引っ捕らえた荒木村重の一族郎党を処刑した。

主君なき処刑
荒木村重の家臣ら122人は、尼崎近くの七松で処刑された。処刑には鉄砲や長刀が用いられた。

女中388人や下士124人は、4軒の家屋に分けて押し込められ生きながらにして焼き討ちされた。

当時の様相は、「灼熱に責め立てられた男女は、魚が跳ねるように上下へ飛び上がり、その悲鳴は煙に包まれて空にまで響き渡った」と記されている。

信長は、荒木村重の妻子らに処刑模様を見届けさせた後、京都三条河原まで連行。一人残らず、その首を刎ねた。

織田信長は心の天下統一を狙っていた!

信長は武力だけで天下を統べる気ではなかった。
宗教問題、朝廷関係、庶民や武士がどう生きるべきか
彼がこう生きるのが理想の姿だと美学を広く世間に流布していた。

その彼の美学に徹底的に反逆した男が「村重」だったと言える

絶世の美女と謳われた妻の「荒木だし」

「今楊貴妃」と謳われるほどの美貌の持ち主で貞淑さも持ち合わせていたと言われている。

だしは夫である村重に「霜がれに残りて我は八重むぐら 難波の浦の底のみくづに(わたしは霜で枯れた八重葎<道端の雑草>のようなものです 難波の海底に沈む水屑となるだけです)」という歌を送ります。


この歌に村重は「思ひきや あまのかけ橋ふみならし 難波の花も夢ならんとは(これまで築き上げてきたものは夢のようにはかなくこのような状態になるとは思わなかった)」という歌を返します。


家臣たちの必死の説得にもかかわらず村重は信長の要求を受け入れることをしなかったのです。窮した久左衛門らは何と逃亡!これにより有岡城にいる荒木一族とその家臣たちの命運が尽きたのです。

茶器を持って逃げる?

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