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ブラジルW杯前最後の親善試合ザンビア戦

本田がW杯前最後に結果を出した。日本代表は6月6日、ザンビア代表と親善試合を行い、4―3の勝利で米国合宿を打ち上げた。過去2試合で低調だった本田圭佑(27=ACミラン)は、ハットトリックを達成した12年6月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦以来、2年ぶりの2得点

しかし、「きょうもきつかった」と言うように、まだ本調子ではない。特に前半はパスミスも目立ち効果的なプレーは少なかった。

6月2日のコスタリカ戦も全身からは凄まじい徒労感を漂わせており、本調子でない様子が垣間見えた。絶好調時と比較すると、彼の状態はまだまだだと言わざるを得ないだろう

しかし、「どこが大丈夫じゃないんですか」と強気
「そういうふうに言っている人は僕に求めている期待値が高いから。大会が終わったら感謝したいですね。これを良しとして見てくれている人は大会を見て、これ以上の本田圭佑のパフォーマンスを見せてあげたい。どちらにしても良い意味でサプライズを起こせる」

本田圭佑は挫折の度に限界を突破してきた

中村俊輔「ああいう選手は、レベルの高いところにすぐに入っていける。長友もそうだけど、限界のさらに上に慣れていける能力がある」

非エリート 本田圭佑

俺の人生は挫折の連続なんです。
でもそこからはい上がろうとして、
未知の世界を知ることがある。

圭佑と同い年に家長がおりましたから。家長は小学生の頃から名が知れ渡っていて、大阪の指導者仲間はみんな『家長はすごい』と騒いでいて、ガンバとしても『なんとしてでも家長を獲れ』という話をしていた。

 一方、圭佑はまったく噂に上がっていなかった

上野山信行=当時のガンバジュニアユース統括のコメント

「僕を使ってもらえますか」。星稜高に進んだ本田は、初対面のサッカー部監督、河崎護(54)にいきなり問いかけた。強烈な自負。「ここへボールを出して」「このタイミングで動いてほしい」。上級生にも物おじせずに要求した。日本代表でもACミランでも、積極的に意見する男の片鱗がすでにあった

1年生の秋頃、同級生の陸上部員に本田に頼み「スタミナが課題やねん。サッカー部の練習だけでは補われへんし、朝練に交ぜてもらってもいいか」と、それ以降、平日の早朝6時から毎日自主トレに参加した。そして、入学後の体力テストでは1500メートル走で6分ほどかかっていたのが、2年の最後には4分半に縮めた

何で陸上部と一緒に練習してるんだ」。本田は、周りから揶揄されても、全く意に介さなかった。「ここが弱いからこれに取り組むというビジョンがはっきりしていた」。三輪の眼前に、シンプルに信念を貫く本田の姿があった

名古屋グランパスエイト

高卒でいきなり開幕スタメン、強烈なフリーキックを武器に司令塔として育って欲しかったですが当時の監督にはむしろ冷遇されていました。名古屋在籍時はトップ下では起用されず、左サイドハーフ、ボランチ、左サイドバック、FWで起用

シーズン中、第8節終了時点で2位まで上がったが、5月にマルケスが退団すると下降の一途を辿った。成績不振を理由にネルシーニョが監督を解任。不振からJ2降格争いを演じるが、最後の2試合を1勝1分で終えJ1残留を決めた。最終成績は14位(10勝9分15敗)

「ヤバイと思ってます? 俺全然思ってないですよ。絶対後半からウチは巻き返しますから。ホントにシュートが入ってないだけですから。形はできつつあるんで、ちょっと乗ってくれば一気に連勝しますよ」

その後、2006年11月アジア杯予選・サウジアラビア戦の日本A代表メンバーに飛び級で初招集。
2007年11月五輪アジア最終予選で主力として活躍し、北京五輪出場を決める。

VVVフェンロー

2008年1月名古屋グランパスからVVVフェンローへ移籍した。一年目シーズンはレギュラーとして出場したもののクラブは8月にエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定

しかし、2008-09シーズンでは、攻撃の軸として開幕から首位を独走するチームの原動力となり、シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任された。リーグ戦36試合に出場し16ゴール13アシストを挙げチームの2部リーグ優勝と1部復帰に貢献し2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞

2部リーグ降格が自分の心境的にはすごく追い込まれていたんです。「2部でやるからには結果を残さなきゃいけない」「ゴールを奪わないといけない」と、これまで自分の中の美学はパスでした。今でもその美学は持っていますが、それ以上に「絶対にシュート」という意識

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murasaki09さん

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