1. まとめトップ

真実は闇の中?・・・なモヤモヤする事件

事件の真実は闇の中に葬られてしまったのか?的なモヤモヤするグレーな事件をまとめ。いずれにせよ真実は当事者のみが知っている・・・

更新日: 2017年05月02日

10 お気に入り 369738 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

【御殿場事件】

御殿場事件

御殿場事件(ごてんばじけん)とは、静岡県御殿場市の御殿場駅近くで2001年9月に発生したとされる集団強姦未遂事件。「御殿場少女強姦未遂事件」または「冤罪御殿場少年事件」とも称されている。

▼事件の発覚

2001年9月16日の深夜に女子高校生が帰宅。母親に、遅くなった理由を「強姦された」と説明したため、静岡県警御殿場警察署に被害届が提出された。

▼当初の事件の内容

発生日時
2001年9月16日の午後8時頃。
部活動から帰宅中の女子高校生が、中学時代の同級生(被告人少年ら)に無理矢理手首をつかまれ御殿場駅から公園まで連行された。公園内で1時間ほど話をした後、被告人少年ら(10人)に強姦された。

▼一審 9月16日は少年達にはアリバイがあった

連日の取り調べで、逮捕された被告人少年らは9月16日の夜に犯行に至った事を自白した。しかし、裁判では「自白は強要されたものである」と一転して無罪を主張する。

9月16日の午後8時頃、被告人少年らは、別の友人たちと飲食店に居た(従業員の証言や、注文伝票による)。アルバイトのタイムカードの記録。などのアリバイがある事から「犯行は不可能である」と主張した。

▼女子高校生に嘘の供述があった事が公判で判明する

16日に事件がおこったとされていた2回目の公判において、被害者が、犯行があったとされる時間帯には御殿場市内ではなく富士駅におり、出会い系サイトで知り合った別の男とデートをしていたことが被告人側の指摘により判明した(携帯電話の通話記録から判明)。

デートをしていた男も証人として裁判に出廷し、「その女子高生は、『親には遅れた理由を誰かのせいにする』と言っていた」と証言。このことが判明した後、被告人は保釈を申請し認められた。その後少女はこの事件に関しての言及はしていない。

◎少女が公園に連れて行かれる時も、無理矢理では無く、駅前で声を掛けたらすぐに着いてきたとの少年達の証言があり「軽い女と思われたくなかったから嘘をついた」と、この部分の証言も覆している。

▼事件発生日の変更が認められる 9月16日→9月9日

女子高校生は、事件があったとされていた2001年9月16日に男とデートしていた事は認めたが、事件そのものは否定せず同年9月9日に被害に遭ったと主張。

嘘をついた理由は、「親に出会い系サイトで知り合った男性とデートをしていた事を知られたくなかった」ため。

▼事件日の変更の問題点

9月9日に犯行日が変更された事により、16日に犯行に及んだという被告人少年らの自白調書と矛盾する事になった。
被告人自身、訴因変更された事で警察が自白を強要した事を裏づけるものであると主張した。

また、女子高校生の新しい供述と被告人少年らの自白調書の内容との矛盾点も多く、この事件は冤罪事件ではないかと見る者もいる。事実、御殿場警察署内でも女子高生の証言をすべて信じられる訳では無いとの証言もある。

事件日(変更後)の天候
突然9月9日に犯行日が変更され、事件から長期間が経過しアリバイを証明できなくなった被告人側は、犯行当日の天候に注目した。 女子高校生は「犯行日は雨も降っておらず着衣も濡れなかった」「傘を差していた記憶もない」と証言していた。

しかし、当日は台風15号が接近して大雨洪水警報が発令中であり、御殿場市周辺では一日降雨量45mm以上の雨が降っていた。「犯行現場の公園だけ雨が降らなかったはずがない」と被告人側は主張した。なお女子高生は現場から逃げ帰る際、顔にポツポツと雨が当たったと二審で証言している。

◎一週間前に複数の男性から強姦の被害にあった女子高生(当時15歳)が、一週間後に出会い系サイトで知り合った見知らぬ男に会いに行くのだろうか?恐怖で外に出られないと思うが。

◎少年達が10人もいて強姦事件ではなく、強姦未遂事件なのは、少女が生理用パンツをはいていたためにやめたとある。が、10人もいてパンツを見ただけでやめるのだろうか。

▼最高裁

2009年4月13日、第一小法廷(櫻井龍子裁判長)は主犯格とされているA・B・C・Dに上告棄却の決定、懲役1年6ヵ月の実刑判決確定、最年少のJも保護観察が取り消されて懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の実刑確定。

2001年9月の事件発生、2002年の10月の仮釈放から10年近く経っている。そしてその1ヵ月後の5月末に彼らは静岡地検沼津支部に出頭した同日に地検近くの最寄の刑務所への収監を経て数ヵ月後に川越少年刑務所に移送され服役していた。収監前、彼らは「反省する事は何もないので行って来ます」と家族や友人・支援者等に見守られながらコメントしていた。なお、彼らの服役中も、残された家族達は彼らの無実を訴え続けており、被告人自身も「我々は喫煙や悪さばかりしていた札付きのワルだったから聞いて貰えなかったろうか」と同様の発言をしている。

▼出所後 加害者(元少年)側から元少女の女性に対し訴訟を起こす。

A・B・C・Dの4名は2010年夏出所。2011年末に元少年4人が静岡地裁沼津支部に被害者とされていた元少女である女性に対し2000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしている。

【城丸君事件】

城丸君事件

城丸君事件(じょうまるくんじけん)とは、1984年(昭和59年)1月10日、札幌市豊平区で発生した男児死亡事件。

1984年1月10日、札幌市豊平区の小学4年生・城丸秀徳君(当時9歳)が行方不明となった。

▼謎の電話

1984年1月10日午前9時35分頃、札幌市豊平区の会社役員の次男で小学4年生の城丸秀徳君(当時9歳)は自宅にかかってきた電話を受け、「ワタナベさんのお母さんが僕の物を知らないうちに借りた。それを返したいと言っている」と言って、家を出ていった。

しかし、城丸君はいつまでたっても帰らない。14日から公開捜査が始められるが、城丸君の行方はわからなかった。
 家族によると、電話は女性の声で、たまたま城丸君が電話をとり、そのまま話し続けた。他の家族はリヴィングにいたという。なお、家族の中で「ワタナベ」という姓の人物に親しい間柄のある人はいなかった。訳のわからないことを行っていた城丸君に対して、母親は心配になり、小学校6年の兄に「一緒に行ってやって」と頼んだが、兄は城丸君を見失ってしまった。

▼目撃者の証言

元ホステス(K子)のアパートの階段を男児が上っていったと言う目撃証言が得られたため、警察は彼女を重要参考人として事情聴取したが、有力な情報は得られなかった。

K子は84年1月当時、離婚して札幌市豊平区のアパートに長女(当時1歳)と住み、高級クラブのホステスをしていた。このアパートは城丸君方と100mほどしか離れていなかった。この時、K子は700万円以上の負債を抱えており、そのうち636万円の返済を迫られていた。
 事件当日、近くの小学生がK子のアパートの階段を、城丸君が上っていくのを見たと証言した。 その夜には近所の人が、K子が大きな段ボール箱を抱えて出ていくのを見ている。
 K子は城丸君の訪問を認めたが「付き合いはない、近辺の家と間違えたらしく、すぐ帰った」と答えた。K子はそれから3週間後に引っ越していった。

▼K子が嫁いだ家で火事が起きる

1 2 3