1. まとめトップ

「ベルリンの壁」崩壊は勘違いから生まれた?!報道官の「今でしょ!」が変えたドイツの歴史

ベルリンの壁の崩壊は、報道官に就任したばかりのギュンター・シャボウスキーが文章の意味を良く理解できず、勘違いを興した発表をして、旅行の自由化が「今でしょ!」と発言した事によって起こりました。

更新日: 2018年05月07日

17 お気に入り 106872 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

misukiruさん

1990年まで「壁」で分断されていたベルリン

第二次世界大戦後、ベルリンの周辺地域はソビエト連邦(ソ連)の占領地域となったが、ベルリンはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連によって周辺地域とは別に分割占領

西ベルリンは、西側社会への亡命を望む東ドイツ国民にとって格好の抜け穴と化してし まう。西ドイツと東ドイツとの経済格差は年毎に拡大

ベルリンの壁は、ドイツのベルリンを東西に分割するものとして建設されて、東西ドイツを分割する象徴ともなっていました。

勘違い報道官の「今でしょ!」発言が歴史を変えた!

書類を見て勘違いして、東ドイツ出国を認められるのは、「今でしょ!」と発言して、ベルリンの壁を崩壊させた人物です。

ギュンター・シャボウスキーは目に飛び込んできた「出国ビザを遅滞なく発給する」を勘違いし「私が知る限りでは…今でしょう。東ドイツ国民は今すぐ全ての国境通過過点からの出国が認められます」と発言。

1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可書発行の大幅な規制緩和を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で誤発表した事によって生じた。

これは実は誤報であった。東ドイツ政府はすでにソ連大使館を通じて、この通達を翌日の10日に行うつもりであったが、シャボウスキーは全くそれを知らされることなく会議を中座して記者会見に臨んだのだった。

僅か5分間の会見でしたが、ベルリンの壁の崩壊につながりました。

「政府が今すぐ西へ行くのを自由化すると発表 したぞ!」と押し問答を始め、東の警備兵も突然たくさんの市民が「自由化されたぞ!」と言いながら押し寄せて来るのでどう対処したらいいのか混乱

警備兵が呆然とする中をその夜のうちに数万人の東ベ ルリン市民が西ベルリンへ出国。さらに浮かれた東西双方の群衆たちはハンマーを持ち寄り、「もうこんなものいらないだろ!」とその場でベルリンの壁を壊し 始めてしまった。

日本では、バブル絶頂期であった1989年、西ドイツと東ドイツがようやく自由に行き来できるようになったのでした。

「ベルリンの壁」の構造

1961年8月13日0時、東ドイツ政府は東西ベルリン間68の道すべてを遮断し、有刺鉄線で、最初の「壁」の建設を開始した。6時までに東西間の通行はほとんど不可能になり、有刺鉄線による壁は13時までにほぼ建設が完了した。

ソ連と東ドイツは住民の流出を防ぐために壁の建設を決定、1961年8月13日に最初の「ベルリンの壁」の建設が始まりました。壁は何度か作り替えられ、1975年にコンクリート製のものが最終形として完成しました。

東ドイツの経済の遅れ

東ドイツは社会主義国の中では最も経済発展を遂げ「社会主義の優等生」と呼ばれたが、1970年代後半の第二次石油危機以降西側諸国が経済構造の転換を進めたのに対して、計画経済、党官僚の支配の下で硬直化した東側陣営では経済の構造改革が出来なかった。

1953年に東ドイツが生産性向上を狙って労働者のノルマ引き上げを発表すると、東ベルリンをはじ め各地で暴動が発生。暴動はソ連軍の出動で鎮圧されたが、この年だけで33万人が西ドイツへ亡命。

東ドイツの崩壊へ

1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可書発行の大幅な規制緩和を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で誤発表した事によって生じた。

翌年の1990年に東ドイツで壁の崩壊の熱狂の渦を受けて最初で最後の自由選挙が行われ、ここで東西ドイツ統一を早急に進める政党が勝った事により、東西ドイツの統一が実現されたのです。

日本の戦争法案のデモに繋がる

速報!本日の水島教授スピーチ! 【スピーチ全文掲載】「憲法で33年飯を食って来たが、今日、初めて何が憲法かが分かった。これなんですよ!」水島教授がSEALDs集会で熱弁〜ベルリンの壁崩壊直前のアレクサンダー広場と国会前が今、重なる iwj.co.jp/wj/open/archiv…

1 2