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かつての琉球列島で女性の手に施されていた刺青 ハジチ 針突 について

現代では人形、絵画、マンガ、ゲームなどでは再現されることがない、かつての民族習慣である針衝 針突(はじち ハジチ  ハヅキ はりとつ)についてまとめました。

更新日: 2017年08月10日

mototchenさん

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滅亡した琉球

blog更新。「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」鳥越 皓之 著 kousyou.cc/archives/11106

同じく滅びた習慣である琉球諸島のハジチ

ハジチ彫りを生業とする針突師(ハジチャー)が居て、各地を廻り、「首里那覇では今、菱形模様が流行っている」などと、情報を提供してハジチ商売をしていたようだ。

場所によっては、心得のある者が、その地域のハジチを一手に引き受けていた…地方の女子たちは、1〜2年に一度やって来る針突師を心待ちにしていたんだって。

…親たちも、この針突費用稼ぎだけは、大目にみていたようだ。むしろ、奨励していたような節がある。

初めて針突をする手を「サラ手。サラてぃー」と言い「まっさらな手」を意味する。奇数年齢の年の吉日を選び、そのサラ手に「ハジチ」が施されると、家族はもちろん、友人知人が集まり、祝いの座が設けられた。美風だったのである。
 
針突の所要時間は存外に短く、3、4時間。術後はトーヌカシー(おから)で突き跡を洗い、痛さと腫れを引かせたようだ。
トーヌカシーには民間療法の特効があったのだろうか。神経が細やかな指や手の甲を針で突くのだから、痛くないわけがない。

ハジチセーク(針突き職人、ハジチャーとも)とよばれる専門の女性があたったという。
泡盛で墨をすり、それを手の甲に模様を描いてから針に墨をつけ、上から縫い針を束ねて突くやり方と、針で突きながら模様をつくっていくやり方があったという。針で突く痛みをこらえるために、大豆を煎って黒砂糖でまぶしたものを食べたようだ。

始めて7歳前後の少女の中指と無名指とに豆大の點を黥し,人妻となり出産前後又は24~5歳に至りて手背に黥するのを通例

十文宇形の紋様臓物の上達せんが爲めの黥…

カシキと稱し絲巻を示した紋様であつて,意味は前掲のものと同じく織物の巧みならんが爲めの黥…

鋏を示した紋様であつて,機又は縫物の上手ならんが爲めの黥

繊維工業学会誌
Vol. 6 (1940) No. 4 P 149-167
JST.Journalarchive/fiber1935/6.149

この写真によって、人々がこの個人的な装飾の方法に頼った度合いに関していくらか見当がつきます。日本政府はこの風習を禁止しましたが、かつてこの習慣が広く行われていた時代には、違った島あるいは違った社会階層から来た女性は、手や腕に彫り込まれた模様によってただちに区別することができたのです。

歴史 分布

婦人以墨黥手,爲蟲蛇之文

列傳第四十六 東夷 流求國

『流求国伝』には「流求では,婦人の手に入れ墨を施している」と書いてあるそうだから,かなり古い時代からあった風習なのだろう。ただし,そこで言う「流求」が今の沖縄なのか,あるいは台湾を指しているのかは分かっていない。

女人の針衝(女人ハ掌ノ後ニ針ニテシゲクツヰテ墨ヲサスナリ)何事ゾヤ

女子すでに人に嫁すれば、すなわち左右の手指表面に墨黥す。これを波津幾(はづき)という。鍼衝(はりつき)の中略なり。婦女もっとも愛好す。もし久しく白指なる者は、※(ちくり)これを笑う。ゆえに、二十一、二をすぎて墨黥せざる者なし。『隋書』「流求伝」に、婦人手に墨黥して梅花の形をなすと。上古の遺風なり。すでに黥して数年を経れば、墨色淡薄になる。ふたたび黥して新鮮ならしむ。すでに黥して五、六回におよぶときは終身淡薄になる憂いなし。置県の今日にいたり、人身墨黥するを許さざる法律を発せらる。もしこれを犯しおよびこれを業となす者あらば、捕えられて処刑せらるるにつき、ついにその悪弊を止めたり。

針突の分布は小原一夫の調査報告を見ると喜界島から与那国島に至っている。

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石部統久@mototchen 1963 岡山県笠岡市出身玉島育ち岡山市在住の男 糖尿病、鬱病で服薬 後縦靭帯骨化症
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