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二代目尾上松也の魅力〜苦節の生い立ちから現在の活躍まで【決定版】

本命は前田敦子?一般女性?とお騒がせな松也。ビストロスマップでSMAPに絶賛され、バラエティの才能開花。気になる素顔と今後の出演情報をまとめました。◆「メレンゲの気持ち」レギュラー!9月は京都南座、10月は歌舞伎座に出演!

更新日: 2016年05月26日

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じわさん

「エリザベート」出演でも話題!

「情熱大陸」放送後大反響!

今もっとも旬な歌舞伎俳優・尾上松也、29歳。(略)
取材で見えてきた素顔は、パンツ一丁でもお構いなし、隠すことを一切しない「オープンな男」。「松也さんはモテますか?」こんな質問にも笑いながら答えてくれる、旬な男の本性に迫る。

尾上松也は30年位したら、松本幸四郎のポジションに就きそう。声が、いいね。現代劇と伝統芸能のブリッジ役。愛之助さんと同様、大名跡の御曹司ではなく外様上がりがこれから、歌舞伎の中核を担いそう。 #情熱大陸

尾上松也かっこよかったわ〜 情熱大陸。 お父さんを思うところが… 顔とかではなくそうゆうところ含めて全部かっこよかった。

情熱大陸!松也さん!歌舞伎はテレビでしか見た事ないけど、 頑張って欲しい!DVD観ながらの自主レッスン、亡きお父様の後、ご指導戴けなく大変なご苦労と努力が必要ですものね、応援したい。

尾上松也ってどんな人?

出典ameblo.jp

屋号●音羽屋(おとわや)
定紋●抱き若松
本名●井上龍一
誕生日●1985(昭和60)年1月30日
出身●東京都
血液型●O型
身長●178cm
靴のサイズ●27.5cm
学歴●堀越学園高校卒業
公式サイト●http://www.onoematsuya.jp/
ブログ●http://ameblo.jp/onoe-matsuya/
自主公演「挑む」Twitter●https://twitter.com/idomukabuki

名前にちなんだ松の模様が素敵です。

2013年、自身初のカレンダー(2014年版)を発売。

尾上松也ってどんな人?

父は六世尾上松助(おのえ まつすけ)。
二世尾上松緑に師事し、菊五郎劇団で二代目松緑や七代目尾上菊五郎らを支えた。
もともと歌舞伎役者の家系ではない。

「部屋子(へやご)」とは、歌舞伎の場合、子役の時分から幹部俳優の楽屋にあずけられ、鏡台を並べて楽屋での行儀から舞台での芸など、役者として必要なことを仕込まれる立場をいいます。いわば幹部候補生として英才教育を受けるわけですから、まだ名題資格を取得していなくとも、名題と同格の扱いをうけることになります。

平成2年5月歌舞伎座、『伽羅先代萩』の鶴千代で二代目尾上松也として初舞台。

子供の頃から父の舞台を、「かっこいいなあ」と、見て育った。しかし松也本人は、子役を卒業する頃、アメリカで俳優としてやっていきたいという夢を持つようになる。

きっかけは中学一年生のとき、リバー・フェニックス主演の映画『スタンド・バイ・ミー』を見て衝撃を受けたこと。アメリカの演劇学校で演技の勉強をして映画や舞台で活躍したい。当時は渡辺謙のようにハリウッドで活躍する日本人俳優はほとんどいない時代だった。「僕が入る隙はないと思っていましたが、それでも挑戦してみたかった」

父・松助の答えは「高校を出てから考えなさい」。

ところが中学卒業後、松竹から歌舞伎の舞台出演の打診があり、「日本の伝統芸能を三年学べば、外国で武器になる」と考える。
再び、歌舞伎の舞台に立ったとき、雷に打たれたように考えが変わった。

「歌舞伎って堅苦しく思われがちですが、実はとっても斬新で、かっこいい。せっかく歌舞伎俳優の子に生まれ、チャンスがあるのなら、やってみるしかないと思った」

20歳のとき父を亡くし、歌舞伎界での後ろ盾を失う

歌舞伎俳優の道を歩み始めて間もない20歳の時、父が亡くなります。自分の未来を考えざるを得なくなった。父も歌舞伎の家柄があったわけではなく、一人で築き上げた人です。父のいない自分は今、家柄がないも同然だと思いました。

父の六代目尾上松助は2005年(平成17年)12月26日、59歳の若さで死去。
死因は原発不明癌(どの臓器で発生したのか特定できない癌)。

突如、家族や弟子たちを養う大黒柱として、1人で一門を背負わなければならなくなった。「妹がまだ中学生だったんで、妹の学校のことも僕がしなきゃいけなくなって」。借金をするほど生活は切迫していった。

25歳という異例の若さで立ち上げた自主公演「挑む」

父の死はマイナスではあるが、プラスに転じなければいけない。あこがれの役にたどり着くには、どんなアプローチをしなければならないか。待っているだけではチャンスは来ない。その焦りが25歳で始めた自主公演につながりました。

すべて自費で行う興行だが、まだ無名だった松也が自主公演を行うことに「多くの人に白い目で見られました」という。「お客さんは半分以下だった」と大赤字を出し、さらに多額の借金を抱えた。
「お金がどうにもならなくて、ある夜、大泣きしながら家族と大切な友達と一門にメールで遺書を書きました」。自殺も覚悟するほどだった苦悩を吐露する。

2012年、蜷川幸雄演出の現代劇に出演

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