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忘れてはならない。W杯にまつわる悲劇まとめ

世界中で盛り上がりをみせる2014FIFAワールドカップ。決して忘れてはならない、ワールドカップ歓喜の影をまとめる。

更新日: 2014年06月15日

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FAL1008さん

目次
●マラカナンの悲劇
●エスコバルの悲劇
●ガボン航空惨事
●ドーハの悲劇
●メルボルンの悲劇

●マラカナンの悲劇

1950年7月16日にリオデジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナンで行われた、FIFAワールドカップ・ブラジル大会の決勝リーグ第3戦、ブラジル対ウルグアイの試合でブラジルが優勝を逃したことを指す通称である。

最終戦を残してブラジルはウルグアイに対し引き分け以上であれば優勝が決まる状況にあった。

ブラジル対ウルグアイの会場エスタジオ・ド・マラカナンには199,854人の観客が集まった。この試合でブラジル代表は初めて白のホームユニフォームを着て挑んだ。
後半開始2分にフリアカのゴールでブラジルが先制しブラジルの優勝が決まったかと思われた。ところがウルグアイは後半21分にスキアフィーノが同点ゴール、後半34分にギジャが逆転ゴールを決め、そのまま試合終了。この結果、ウルグアイが3大会ぶり2回目の優勝を達成した。

199,850人の大観衆を集めたマラカナ競技場での決勝はー期待の重圧のためか選手の動きが鈍く、攻め続けながらウルグアイの守りを破れない。後半開始早々に、ようやく左からのクロスを右サイドのフリアサが決め手1-0。しかし、ここからウルグアイが攻撃に転じると、ブラジルの守備が乱れ、あと20分というところで2点を奪われてしまった。

会場は水を打ったように静まり返り、自殺を図る者まで現れた。結局2人がその場で自殺し、2人がショック死、20人以上が失神し、ブラジルサッカー史上最大の事件となった。この事件を忘れるため、ブラジル代表はその後ユニフォームを黄色(カナリア色)に変更。以後、白いユニフォームの着用を避け続けることになる。

当時は人種差別がまだ激しい時代だった。敗戦による観客の怒りは出場していた3人の黒人選手に向けられ、特にGKのモアシール・バルボーザは死ぬまで疫病神扱いされてしまった。

ブラジル=カナリアには悲しき歴史があった。

当時9歳だったペレがこの試合後落ち込んでいた父親を「悲しまないで。いつか僕がブラジルをワールドカップで優勝させてあげるから」と励ましたというエピソードが知られている。

その言葉通り、8年後のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会にて17歳ながら代表となり、6得点を挙げてブラジルのワールドカップ初優勝に大きく貢献した。

●エスコバルの悲劇

アンドレス・エスコバル・サルダリアガ(Andrés Escobar Saldarriaga、1967年3月13日 - 1994年7月2日)は、コロンビアのサッカー選手。ポジションはディフェンダー。コロンビア代表のキャプテンをつとめた。

1994 FIFAワールドカップ本大会に臨む代表メンバーにも名を連ね、攻撃陣にはカルロス・バルデラマ、ファウスティーノ・アスプリージャらを擁したコロンビアは同大会の優勝候補の一角と目されていた。

しかし初戦の1次ラウンド第1試合・ルーマニア戦を1-3で落とし、第2試合の開催国アメリカ戦は、決勝トーナメント進出のためには負けられない状況となった。

コロンビアの守備の要として先発出場したエスコバルだったが、前半35分に痛恨のオウンゴールをアメリカに献上した。その後追加点を許したコロンビアは、終了間際に1点を返すも届かず1-2で敗戦。この時点でコロンビアの1次ラウンド敗退が決定した。

1次ラウンド終了後、代表チームはアメリカで解散となり、選手の多くは国民の非難や報復などの後難を恐れて帰国を拒否してアメリカに留まった。

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