1. まとめトップ

プロ野球・あのドラフト1位は今

ドラフト1位で華々しくプロ入りしても、みんながみんな活躍できるとは限りません。活躍したとしても、引退後に監督、コーチや球団職員でプロ野球界に残れる人は一握り。アマ野球や女子野球の指導者、教師、飲食店経営などプロ野球を離れて活躍しているドラ1選手たちのまとめ(自由枠、希望枠も含む)。

更新日: 2016年10月17日

8 お気に入り 1125464 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

TANABUさん

増渕竜義(2006年ヤクルト高校生1巡目)

引退後は野球教室を中心としたスポーツ事業を行う「株式会社King Effect」を設立、代表取締役社長となり少年野球の指導に携わっている。

宮崎充登(2006年広島希望入団枠)

引退後は社会人野球の永和商事ウイングの投手コーチを務めている。2014年に都市対抗野球出場を果たした。

辻内崇伸(2005年巨人高校生1巡目)

1年目から左肩、左肘の故障に見舞われ、さらに制球難もあって伸び悩む。背番号は入団時の15から39、98と重くなった。
そして8年間で1度も1軍登板を果たせぬまま戦力外通告を受けた。トライアウトは受けず、引退を決意した。

引退後は野球から離れ、不動産会社への就職を考えていたが、日本女子プロ野球機構からオファーを受け、イースト・アストライアのコーチに就任した(のちレイアに移籍)。

杉山直久(2002年阪神自由獲得枠)

龍谷大学時代に日米大学野球で代表入りするなど大活躍し、自由獲得枠で阪神に入団。

背番号18を与えられ、先発として期待されたが伸び悩み、2011年限りで戦力外となった。2012年はBCリーグ・富山で選手兼任コーチとしてプレーしたが1年限りで退団、現役引退した。阪神では通算9年で94試合に登板、21勝23敗、2完封。

引退後はスポーツ選手のマネジメント業務を行う会社のオフィスS.I.Cに入社し、阪神時代の先輩赤星憲広氏のマネージャーとなる。また、赤星氏がオーナーの少年野球チーム・レッドスターベースボールクラブのコーチも務めている。

浅井良(2001年阪神自由獲得枠)

桐蔭学園高校では2年まで捕手だったが、3年夏にはエースとして甲子園に出場。法政大学で再び捕手に転向し、持ち前の強肩のみならず打撃でも活躍、自由枠で阪神に入団。

しかし当時正捕手だった矢野の壁は厚く、打力を生かすため7年目に外野手に転向。2010年には自己最多の85試合に出場し44安打を放つもレギュラー定着にはいたらず、2013年限りで戦力外通告を受けた。トライアウトに参加するも獲得球団はなく、ユニフォームを脱いだ。通算11年で486試合に出場、171安打、12本塁打、66打点、打率.249。

引退後の2014年10月より、大阪・心斎橋でバー アザス(BAR AZAS')を経営している。

喜多隆志(2001年ロッテ1巡目)

智弁和歌山高校時代、2年春の甲子園で準優勝、3年夏には優勝。慶応大学に進み2度のリーグ優勝に貢献し、4年秋にはシーズン最高打率の.535を記録した。当時あった自由枠ではなかったが、ドラ1でプロ入りを果たす。

1年目の5月1日、ダイエー戦で打ったプロ初安打がサヨナラ安打となり、さらに2日後にもサヨナラ安打を放つ勝負強さを見せ、大いに期待された。しかしその後は伸び悩み、チャンスにも恵まれず2006年に戦力外通告を受けた。通算5年で53試合、22安打、0本塁打、4打点。一軍出場は最初の2年のみだった。

井場友和(2000年日本ハム1位)

九州学院高-福岡大-富士重工業を経て逆指名で日本ハムに入団。主にリリーフで活躍したが、2006年限りで戦力外となった。

2007年からは台湾でプレー、2008年途中から四国・九州アイランドリーグ長崎で投げたがその年限りで退団。オフのトライアウトを受けたものの獲得球団はなく引退した。NPBでの通算成績は149試合登板、8勝7敗15S。

引退後2013年から少年硬式野球のヤングリーグ兵庫西支部・東加古川レッドアローズで監督を務めている。

田中一徳(1999年横浜1位)

出典ameblo.jp

PL学園の2年生だった1998年夏、甲子園の伝説となっている準々決勝のPL学園-横浜戦に1番レフトで出場。延長17回の末敗れたが、松坂から4安打を放ち注目された。俊足、巧打が評価され同級生の七野(6位指名)とともに横浜に入団。

1年目から一軍出場し、プロ初ヒットも記録したが、レギュラー定着にはいたらず、2006年限りで戦力外通告を受けた。2007~2008年にはアメリカの独立リーグでプレーし、帰国後トライアウトを受けるも獲得球団はなく引退した。NPBでの通算成績は341試合、75安打、1本塁打、13打点、打率.229。

宮本大輔(1999年近鉄1位)

引退後は義父が経営するちゃんこ店で修業したのち、大阪・心斎橋で「創作料理Miyamoto」を経営している。

1 2 3 4