1. まとめトップ

テロの連鎖、、「過激主義との戦い」が複雑になった理由が悲しすぎ。

イラクでは今も日々、戦闘が続いている。イスラム国では日本人が殺害される事態に発展。そもそも、なんでこんなドロドロの状況になってしまったのだろうか??石油をめぐって欧米がイラン・イラクでなにをしてきたのでしょうか。歴史を紐解いてみましょう。

更新日: 2016年07月05日

palezioさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
1209 お気に入り 2734978 view
お気に入り追加

世界中に飛び火するイスラム過激派の戦争

イラクでも、シリアでも、今も日々、戦闘が続いている。

イスラム国では日本人が殺害される事態に発展。そもそも、なんでこんなドロドロの状況になってしまったのだろうか??

イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、シリア騒乱、イスラム国との戦い、なぜこれだけの人が犠牲にならなければならなかったのか。今まで起きたことを時系列にまとめました。

現在のイラク問題の始まりは、隣国イランの石油権益をイラン市民が欧米から取り返そうとしたことに始まります。

石油をめぐる欧米の覇権主義は、イランだけでなくイラクに混沌をもたらしました。

テロの連鎖、、「過激主義との戦い」が複雑になった理由が悲しすぎ。 - NAVER まとめ ln.is/matome.naver.j…イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、シリア騒乱、イスラム国との戦い、なぜこれだけの人が犠牲にならなければならなかったのか。

今に始まったわけではない中東情勢を時系列でまとめてみた

中東の情勢は、ずっと続いている、資本による対外支配の一つの側面に過ぎない。

イラクやシリアが起きた経緯を本当に紐解くには、米国の対外政策を連続的に見てみる必要があります。このまとめは、主にイラクと周辺諸国の情勢だけを切り出したものです。より大きな流れを見るには、次のまとめを参照してください。

◻️まとめ「過激主義との戦い」が複雑になった本当の理由#ISIS 石油をめぐる欧米がイラン・イラクでなにをしてきたのか、歴史を紐解いてみましょう 少し長いですが、読む価値はあります。 matome.naver.jp/m/odai/2140304…

民主化をめざした独裁政権への軍事介入が、安定した民主主義政権を実現できず、権力の空白を生み、世界各地でより過激な原理主義が拡大してきているという今日の矛盾をどう考えるか。憎しみの連鎖を生む軍事的行動を避け、非軍事的行動で民主化を促す道を模索すべき。

第二次大戦から続く、イランとアメリカの緊張関係

イランの石油権益問題に始まる米英とイランの対立

第二次世界大戦後、アングロ・イラニアン石油会社(現在のBPの一部)が、イランの石油利権を事実上独占していました。

同社は20世紀初に英国によって設立され、英国85%・イラン15%の割合で利権を分割する協定を結んでいました。

アングロイラニアンの石油権益は不公平な条件でした。

もともと極端に英国に有利な契約でしたが、さらに同社がイラン政府に財務報告を提出していなかったことが明らかになると、外国資本によるイラン国民の財産の不適切な占有とみなされるようになっていきました。ついに、イラン市民の怒りは爆発します。

イランの石油を持っていくなら、財務方向はちゃんとやって!そうじゃないなら国有化してよ

外国資本に石油利権を独占される、しかも約束した財務報告さえなされず、国外に富が持ち出され、当の国民は貧困にあえいでいました。イラン国民の声に支持されて、モサッデグ政権が誕生します。

度重なるイラン議会の要請にもかかわらず、財務報告をしないアングロイラニアン石油に対し、イラン議会は満場一致で、アングロイラニアン石油を国有化すると決定しました。

イラン市民の声をうけて、議会で決議。堂々と石油の国有化を行ったモサッデグ政権。

イラン市民の声をうけて、議会で決議。堂々と石油の国有化を行ったモサッデグ政権。

しかし、欧米政府はそれを許しませんでした。イランの石油は欧米のもの、イラン市民のものではないとみなされたのです。

石油権益を失った西側諸国は、イラン政府をこぞって批判した。

イランからでてくる石油は、イラン市民の財産でした。契約に基づき財務報告をするという、最低限の義務を果たしてこなかった欧米に、論理上の正当性はありませんでした。

正面から正当性を主張できなくなると、欧米勢力は、非合法活動でイランの政権転覆を企てました。

1953年、アメリカ政府、イギリス政府は、CIAによる皇帝派クーデター「アジャックス作戦」を画策し、展開した。

巨大な権益を失うことになった米国と英国の反応は、暴力による財産の奪取・・

テヘランの合衆国大使館の指揮によるもので、反政府勢力を支援し、民主化革命の前の独裁者であったシャーを帰国させてしまうというものでした。

※のちに米国の公文書で明らかになっています。

これによりモサッデグ首相をはじめとする反植民地主義の政権のメンバーは逮捕され、モサッデグ元首相は、軟禁中に死亡しました。

イランの民主主義は、欧米の石油権益のために、非合法に破壊されました。

欧米によるクーデター「成功」、イランに親米政権の樹立へ

民主主義を破壊し、王政を復活させることに成功した。

1953年イランクーデターの結果、シャー(皇帝)の権限を制約する憲法上の規定を撤廃、アメリカの支援下で専制君主として復活しました。

米国傀儡政権による独裁時代、イランではミニスカートを履く女性の姿もありました。今では考えられないくらい「自由」な国になりました。

それは石油利権をイラン国民から米国と英国に取り戻すための手段でした。イランの石油は不当に持ち出され、欧米傀儡体制に従属した一部の者に富が集中します。

貧富の格差が拡大しました。皇帝を支援し、国家をコントロールするという欧米の手法は実は自由主義なものとは言えませんでした。

シャーとワシントンの緊密な関係、大胆かつ急速な西洋化政策は、イラン人の市民階級の慷慨を招くこととなった。

国民の支持は、イスラム指導者へと集まりました。

イランの石油権益のほとんどを意図的に流出させ、しかもイスラム文化とは相容れないアメリカ文化、不完全な資本主義を故意にイランに持ち込んだことで急速に貧富の差が拡大したことに対する反発した国民の動きでした。

欧米よりのマスコミは、彼らを「強硬なイスラーム保守層」と呼びました。

後に、「イスラム原理主義勢力」と呼ばれるようになる「強硬なイスラーム保守層」とは、文化的侵略を批判する人達に対する欧米側の立場からの呼称でした。

中東におけるイスラム文化の破壊に対する敵対心は、宗教に対する不寛容から生じたわけではありません。

強硬な経済破壊・文化破壊に反発する民衆の草の根運動から生じたものでした。

欧米傀儡政権であるパフレヴィー皇帝は、欧米の意向に反対する人々を秘密警察によって弾圧し、近代化革命の名の下、イスラム教勢力を弾圧し排除していった。

「合法」な独裁政権を作ることで、欧米にとって不都合な勢力を駆逐していくという方法は、イランに限らず、韓国、日本、中南米諸国、中東諸国などで継続して行われてきた取り組みでした。

欧米は、皇帝にイスラム勢力を排除させることで、非民主的な体制への転換と、固定を狙ったのです。

イランイスラム革命

市民はねつ造された「自由」を受け入れなかった。

結局、欧米の傀儡政権を受け入れない市民の中から、政権転覆の動きが生じました。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11





このまとめに参加する