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《大学入学共通テスト倫理》のためのカール・ハインリヒ・マルクス

センター試験の倫理科目のために哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。カール・ハインリヒ・マルクス(1818~1883)。キーワード:「物象化」「生産関係」「労働者(プロレタリアート)」「社会的諸関係のアンサンブル(総和)」「労働疎外」主著『経済学批判』『資本論』『経済学・哲学草稿』『共産党宣言』

更新日: 2020年04月04日

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ochabiさん

髪もヒゲも豊かで、笑顔になるとチャーミングそうに思える男性です。これは笑顔?

マルクスの思考の対象は、この現実にある商品交換です!!

どんな商品の交換価値でも、ほかのあらゆる商品の使用価値、それは使用価値全体であろうとその一部分であろうと、それでみずからを表現する。

出典マルクス『経済学批判』(武田隆夫、遠藤湘吉、大内力、加藤俊彦訳、岩波文庫)から引用

マルクス『経済学批判』から。一つの商品の価値が、他の(全体の)商品との比較から生じているという分析を述べています。マルクスはこんな分析を皮切りに、当たり前の商品交換に先人が考えなかった膨大なメカニズムを読んでいきます。「好きな標語は?」という質問に「すべては疑いうる」と答えたマルクスらしいアグレッシブな分析です。

それの解説がこれ。ちょっと長いですがすごく分かりやすいです!!

マルクスの言う「商品」とは単なる「物」ではない。それは人を、人と人との関係を、そして人間と自然との関係をも変えていくモノなのだ。「商品」は(略)社会の様式を反映して作られる品物だ。そこには社会的関係が磁力のように移されている。それに触れた私たちは、その磁力の影響を受ける。(略)このような魔力を持った「商品」というモノを生み出す経済様式の拡大、そのことによって人類が進化していく様相を、西洋思想史上はじめて思考の対象としたのがマルクスだ。

出典モイシェ・ポストン『時間・労働・支配:マルクス理論の新地平』(白井聡、野尻英一監訳、筑摩書房)、「訳者解説」(野尻英一)から引用

現実の当たり前の商品交換が「人類」自体を生んでいるという視点。一つ上で引用した『経済学批判』の有名文句「人間の意識がその存在を規定するのではなく、人間の社会的存在がその意識を規定する」もこの趣向です。このモノの関係が人間関係を主導していく状態を「物象化」と呼んだり、また、こういう具体的なモノが意識や社会通念を生み出すことを「下部構造が上部構造を決定する」と言ったりします。

マルクスが『資本論』で論じたメカニズム(の一部)を見ましょう!

これから三部構成の資本論をちょっとだけ覗いてみましょう。ちなみに、『資本論』は『共産党宣言』といっしょに、歴史的な記録物を指定する「ユネスコ世界の記憶」に登録されているそうです。

◎これが第一部

貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。

出典カール・マルクス『資本論 第1巻第1分冊』(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳、大月書店)から引用

貨幣の存在は、商品の比較がどんどん進み「抽象的(人間労働)」な価値観がオカネに転化されてはじめて生じたという分析です。何だか当たり前ですが、貨幣を創造された商品の一つとみてそのプロセスを考えること(これは「価値形態論」に含まれる議論です)は今でも新鮮な視点だと思います。

流通または商品交換は何ら価値を創造しないのである。

出典カール・マルクス『資本論 第1巻第1分冊』(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳、大月書店)から引用

商品は「もうける」ために作られるもの。そして「もうける」ためには高く売ると考えがちです。しかし、マルクスはそんな流通や交換のし方に価値の創造があるという考えをしりぞけます。なぜなら、ある商品を高く売れば、それはすぐさま他の商品にも反映され、高く買う必要が出て結局は等価交換と変わらなくなるから。マルクスは社会全体の規定から商品交換の行為自体には価値がないと規定しています。

商品市場で直接に貨幣所持者に向かい合うのは、じっさい、労働ではなくて労働者である。

出典カール・マルクス『資本論 第1巻第2分冊』(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳、大月書店)から引用

ちょっと地味なフレーズですが、これは商品の「もうけ」は労働者の収支を超えた働きから生じているという視点から書かれています。つまり、価値の創造は「安く買う=搾取(さくしゅ・しぼりとり)」にあると言っています。これは大分偏った見解に見えますが、20世紀に数理経済学者の置塩信雄や森嶋通夫らによって証明されている数学的定理らしいです。

◎そして第二部

各個の資本はただ社会的総資本の独立化された、いわば個別的生命を与えられた一断片でしかない

出典カール・マルクス『資本論 第2巻』(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳、大月書店)から引用

第二部ではマルクスは現象を捉える視野を広げていきます。無数のつながりによって生じる資本の具体的なつながりを記述しようとしています。ところで、資本自体を成立させているのは「生産関係(生産手段と労働力を足した「生産力」を成立させる社会的関係)」であると説明されます。

与えられた大きさの一資本が、その割合は変わるにしても生産資本、貨幣資本、商品資本という別々の形態に分かれ(略)総資本価値全体のいろいろな部分が絶えずこれらのさまざまな状態で相並んで存在し機能している(略)循環は、互いにからみ合い、互いに前提し合い、互いに条件をなし合っているのであって、まさにこのからみ合いのなかで社会的総資本の運動を形成するのである。

出典カール・マルクス『資本論 第2巻』(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳、大月書店)から引用

これがマルクスの「社会的諸関係のアンサンブル(総和)」。『資本論』はこんな現実の「からみ合い」のレベルで経済事象を考察しようとします。たとえばこの第二部では、商品の流通費や保管費などもかなり細かく論じられていたり、リアルに即した追求のすごみを感じさせます。

◎最後の第三部です

利潤率の漸進的な低下の傾向は、ただ、労働の社会的生産力の発展の進行を表わす資本主義的生産に特有な表現でしかない(略)資本の価値量にたいしてますます小さい割合にならざるをえないのである。

出典カール・マルクス『資本論 第3巻第1分冊』(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳、大月書店)から引用

つまり、もうけるほどにもうけにくくなるという話。これは「利潤率の傾向的低下の法則」と呼ばれるもので、マルクスの提起の中で議論が続いている(そして、どちらかというと否定されている)法則です。第三部はこれの論証と、これまで産業資本ベースで考察していたものを他のあらゆる金もうけ(商人資本、地代、銀行利子、金融)に範囲を広げてこれまでの考察を適用させていきます。

資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。

出典カール・マルクス『資本論 第3巻第1分冊』(マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳、大月書店)から引用

第三部でマルクスは資本制が自体にとってエラーを生んでいるというリミットを見いだしました。しかし、上の「利潤率の傾向的低下の法則」の直後に断定されるこの言葉は未定でしょう。ただし、ほとんど世界そのものである資本制を丸ごと考察しその負をも見すえたマルクスの功績は消えることはありません。

ところで、マルクスは資本制の外を2つ描いたと言えます!!

⇒一つは過去に

疎外された労働が、人間の生産活動の対象を人間から奪うのだとすれば、それは(略)現実に対象となったものを――人間から奪うことだ。(略)人間の非有機的肉体たる自然が人間から取り上げられる。

出典マルクス『経済学・哲学草稿』(長谷川宏訳、光文社古典新訳文庫)から引用

これがマルクスの「疎外された労働」。労働が人間本来のあり方を奪っているとすれば、本来のあり方が過去に求められます。マルクスの疎外論はそんな理想を描いたと言えるでしょう。なお、「疎外」はマルクスがヘーゲルから受けついだ概念で、そのためにマルクスの論を「唯物弁証法」と呼んだりもします。「唯物史観(史的唯物論)」もその仲間です。「絶対精神」のヘーゲルに対して、「物」が強調されています。

⇒もう一つは未来に

プロレタリアは、革命においてくさりのほかは失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。

出典マルクス エンゲルス『共産党宣言』(大内兵衛・向坂逸郎訳、岩波文庫)から引用

マルクスはプロレタリア(労働者)の解放される未来の可能性を描いています。これが題名通り「共産主義」か、あるいは社会主義か生産協同主義か他の可能性があるかなど議論は尽きませんが、マルクスの理論は現代でも世界に大影響を与えつづけていることは間違いありません。

おまけとして、マルクスの家計感覚をみておきましょう!

マルクス家の出納帳は収入に対してしばしば支出が上回っていたが、マルクス自身は贅沢にも虚飾にも関心がない人間だった。マルクス家の主な出費は、マルクスの仕事の関係だったり、家族が中流階級の教育や付き合いをするためのものが大半だった。

出典フリー百科事典「ウィキペディア」、カール・マルクスのページから引用

このエピソードから読めるマルクスのイメージは、家計をふりかえらずに自分の仕事に一心に取りくんだ人という感じ。ところで、好きな仕事という質問に「本の虫になること」と答えたマルクスは、その仕事で行動の必然をつかんで本の世界の外での政治活動も開始します。つまり、思考と実行の両方をフルスロットルで生きた人物で、倫理の教科書で大きく扱われるのもうなずけます。

学科の星屋です。センター倫理の小ネタ。『資本論』の作者カール・マルクスの人物を伝えるエピソード。「遠慮が必要なばあいは、彼はいわばほとんど子供じみたともいえる不器用さを示し、これが彼の友人たちをよくおもしろがらせた」。友人たちは彼の素直すぎる性格を愛したようである。

直情径行なキャラクターだったみたいです。

学科の星屋です。センター倫理の小ネタ。「ある歴史的現実の(略)メカニスムを明らかにし、その機能する様態を記述するという分析の方法を、われわれはマルクスに負っている」と言うのは哲学者ミシェル・フーコー。マルクス主義の学者に批判的なフーコーも、マルクスを率直に肯定している。

蓮實重彦『批評あるいは仮死の祭典』(せりか書房)のインタビューから。ちなみに、ここでフーコーはマルクス学者はマルクスのテキストを読みすぎて現実を読まないという趣旨を述べていますが、彼はマルクス主義的言論人から「このブルジョア哲学者め」的なののしりを受けていたので、批判と言うより批判への反論としてあるのだと思います。ちなみに「ブルジョア(資本家)」は「プロレタリア(労働者)」と対に扱われる用語です。

学科の星屋です。センター倫理の小ネタ。マルクス『資本論』で商品の具体例によく挙げられる「亜麻布(あまぬの=リンネル)」はこれ。亜麻は、麻と並んで布に加工される植物です。亜麻布はよりやわらかい。 pic.twitter.com/ZEB5xhzQCK

マルクスの『資本論』は当時イギリスで流通していた商品を具体例にあげています。

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