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自らを「職人」と呼ぶ世界的な彫刻家 佐藤忠良 作品集(Churyo Sato)

パリのロダン美術館で日本人初の個展を開催。フランス・アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙されるなど国際的にも高い評価を得ている佐藤忠良氏の作品集||群馬の人、微風、蒼穹、道東の四季 夏、若い女、帽子・夏、冬の子供、二歳、ボタン、ジーンズ 夏、亜古、オリエ、佐藤忠良の遺した言葉

更新日: 2014年08月07日

JSCさん

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佐藤忠良氏

1912年7月4日生まれ
宮城県出身の彫刻家。
当初は、画家を目指していましたが、ロダンやデスピオ等の作品写真を見て彫刻家を目指すようになり、東京美術学校に入学。
この時期に出会ったのが、生涯の友でライバルとなる舟越保武でした。卒業する年には、本郷新、柳原義達らと共に新制作派協会彫刻部を設立し、以降、現在でも新制作展が開催されています。
昭和56年には、パリの国立ロダン美術館で日本人初の個展を開催。フランス・アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙されるなど、国際的にも高い評価を得ている。2011年3月30日永眠。

生前、日本芸術院会員に推薦され、文化功労者や文化勲章の候補にも選ばれたが、本人は「職人に勲章はいらない」と語り、これら国家の賞を全て辞退した。

別のインタビュー(「アーティストの言葉 | 日本彫刻センター」参照)では、”大体僕は人間を何等とかつけるの気に食わないの。下手な代議士よりも百姓のほうがよっぽど一等なひとがいるでしょ。”と語っていらっしゃいます。

佐藤忠良の作品

群馬県出身の詩人、岡本喬がモデルとなっています。

一般にこの作品は「日本人による日本的日本人の最初の表現例」と言われます。それは、ヨーロッパ彫刻(最初はイタリアの、後にロダンを中心としたフランスのもの)を学ぶことから出発した日本の近代彫刻史の上で、その影響を払拭し、質朴な市井の日本人の姿の本質を簡潔に表現しているからにほかなりません。その意味で、この首は岡村、そして群馬の人の像である以上に、典型的・象徴的な日本人の顔であるといえるでしょう。

名古屋銀行本店ロビー(名古屋市中区錦)に設置

舟越保武「春」」、柳原義達「秋」、本郷新「冬」との競作。

幣舞橋が5代目へと架け替えられるとき「橋の機能性だけではなく、街のシンボルとしてふさわしいデザインに」との声が次々とあがり、その願いとともに多くの浄財が寄せられ、橋脚上に4体の女性像「道東の四季の像」が設置されることとなった。舟越保武、佐藤忠良、柳原義達、本郷新の手によるこの優美な女性像は、すなわち、橋によせる市民の愛情が形を成したものといっていい。

佐藤忠良氏は、女優の佐藤オリエさんの父親。

佐藤忠良の著書

作ることにあこがれ、二二歳ではじめて粘土を手にしてから、ひたすら土を手にしてきた――自らを「職人」と呼ぶ、世界的な彫刻家の自伝。〈解説〉酒井忠康

彫刻家のあたたかな眼差しが捉える危惧がストレートに浸み込みます。

佐藤 忠良, 舟越 保武 (著)
東京美術学校以来、共に彫刻の道を歩んできた二人が、若き日の思い出、人との出会い、人生などについて彫刻家の眼を通して語り合う。希少本。

安野 光雅:佐藤 忠良 (著)
世界的な彫刻家と画家が、ものを作ること、見ること、そしてこれまで歩んできた道を語る。カラー図版多数収載。

佐藤忠良の遺した言葉

こつこつこつこつやって生まれた作品というものには、何かそういう、「人間の思い」というものを、観る人に伝える力があるんじゃないかなあと僕は思うんだけどね。

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