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lyam-giさん

グラップラー刃牙

『グラップラー刃牙』(グラップラーバキ)は、板垣恵介による日本の格闘漫画。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載された。第1部はOVA化、TVアニメ化(2008年11月より、クラビット・アリーナにて配信)されている。続編として『バキ』、『範馬刃牙』、『刃牙道』があり本項ではこれらも併せて解説する。
外伝作品として、『バキ外伝 疵面-スカーフェイス-』『バキ外伝 創面(きずづら)』(原作:板垣恵介、作画:山内雪奈生)『バキ外伝 拳刃(けんじん)』(原作・構成:板垣恵介、原作協力:浦秀光、作画:宮谷拳豪)などがある。

地下闘技場の最年少チャンピオン範馬刃牙と、刃牙の父で地上最強の生物と謳われる範馬勇次郎を中心とし、様々な格闘家との闘いが織り成す長編格闘ドラマ。

範馬刃牙

年齢:13歳(幼年編)、17歳(地下闘技場編〜)、18歳(『範馬刃牙』〜)、1977年〜1978年頃の生まれ。
ファイトスタイル:トータル・ファイティング(徳川光成曰く、範馬刃牙流格闘術)
身長:155cm(13歳)→156cm →167cm(17歳)→168cm(18歳)
体重:65〜6kg(13歳、自衛隊の最高精鋭部隊による推定)→71kg(17歳)→76kg(18歳)

17歳の高校生ながら、地下闘技場のチャンピオンに君臨する。父親は地上最強の生物と称される範馬勇次郎。母親は朱沢コンツェルンの総帥・朱沢江珠。異母兄にジャック・ハンマーがいる。

モデルになったのは「平直行」

1963年12月15日 - は、日本の総合格闘家、格闘技レフェリー、元シュートボクサー。宮城県仙台市出身。ブラジリアン柔術アカデミー「ストライプル」代表。現在、ブラジリアン柔術、総合格闘技、空手などを教えている。

シュートボクシング時代は阿部健一や大江慎と共に三羽烏と称され、デル・アポロ・クック、マンソン・ギブソン、吉鷹弘らと激闘を展開。 明るいキャラクターとトリッキーなファイトスタイルで人気を集める。
現在も尚、強さを極めんと、様々な武術を学び続けている。

範馬勇次郎

年齢:36歳 - 38歳(地下闘技場編 - )
ファイトスタイル:戦場格闘技
身長:推定190cm
体重:推定120kg強

「地上最強の生物」「オーガ(鬼)」「巨凶」など数々の称号を持つ。本作の主人公・範馬刃牙の父親にして、もっとも因縁が深い敵でもある。悪魔的と例えられる風貌で、ライオンの鬣のような怒髪をオールバックにしている。基本的に軽装で黒のカンフー着、カンフーシューズが多い。

モデルになったのは「坂口松太郎:漫画『のたり松太郎』」

キャラクターの原型となっているのは、ちばてつやの漫画『のたり松太郎』の主人公、坂口松太郎

人並み外れた怪力を持つ暴れん坊の大男・坂口松太郎が相撲部屋に入門し、一人前の力士に育つというストーリーを中心に、相撲部屋の日常や力士達の一喜一憂を描いた作品である。
小学館のビッグコミックにおいて、1973年8月 - 1993年6月、1995年10月 - 1998年5月と合計20年を越え連載、ちばの作品の中では他に類を見ない超長編である。しかし完結との告知はない。

本作品の主人公。長崎県のある廃坑の街で生まれ、3年も留年した中学校で出会った女教師・南令子に憧れる。就職活動のため街へ出るが、その途中で立ち寄った食堂で巡業に来ていた力士と喧嘩を繰り広げた。松太郎は力士に叩かれるが、巡業会場まで追いかけて仕返しした。その並外れた怪力と恵たまれた体格を見た多くの親方がスカウトするが、令子が教師を退職して東京の実家へ引っ越していたため、その近くに住みたいがためだけに相撲部屋「雷神部屋」に入門する。

外見上のモデルは、俳優のマット・ディロン

マット・ディロン(Matt Dillon, 本名 Matthew Raymond Dillon, 1964年2月18日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク州出身の俳優。弟のケヴィンも俳優。左利き。

高校生の時にスカウトされて1978年に映画デビュー。1983年、フランシス・フォード・コッポラの青春映画『アウトサイダー』と『ランブルフィッシュ』に続けて出演し、一躍人気アイドルとなった。その後しばらく低迷するが、1989年にはガス・ヴァン・サントの『ドラッグストア・カウボーイ』でジャンキーを演じ、インディペンデント・スピリット賞の男優賞を受賞した。

愚地独歩

板垣恵介の漫画作品『グラップラー刃牙』シリーズに登場する架空の人物である。
ファイトスタイル:神心会空手(愚地流空手)
身長:178cm
体重:110kg

世界最大の勢力を誇る空手道(フルコンタクト空手)団体・神心会の総帥。1対1で虎を倒す荒業を成し遂げた。その強さは生きながら伝説的存在と称され、空手家に限らず多くの格闘家から尊敬を集めている。闘士としては長く一線を退いていたが、鍛錬は怠っておらず未だ現役。

モデルになったのは「大山倍達」

1923年(大正12年)7月27日(旧暦6月4日 - 1994年(平成6年)4月26日)は、男性武道家・空手家であり、国際空手道連盟総裁・極真会館館長。極真空手十段。別名:マス大山。韓国名は崔 永宜(さい・えいぎ、チェ・ヨンウィ、최 영의)。韓国の戸籍では1922年7月27日生まれとなっており、1923年生まれでは新暦と旧暦の誕生日が一致しないため、実際の生年は1922年と推定される。

非常に握力の強い空手家であった。
1953年(昭和28年)に浅草公会堂で演武会を開いた時、10円玉を曲げていた。後で目の前でやってもらったこともある と証言があり、南本一郎は「初めて会った時に、3つの指で10円玉を曲げたんですよ。それもハンパな曲がり方じゃなくて、しっかり曲がってた 」と証言している。

渋川剛気

実戦合気柔術の達人。「近代武道の最高峰」「武の体現」など数多くの異名をもつ生きる伝説。75歳。身長155cm、体重47kg。警視庁にて逮捕術の指導員を務める。普段飄々とした気さくな好々爺であるが、エキサイトすると生来の好戦的な性格を露にする。

小柄かつ老齢でありながら、力の流れを利用することにより、相手の力に自分の力を加えそのまま返すカウンター技である合気や、己の何倍もの巨体の相手すら軽々と宙に浮かせ地面に叩き付ける投げ技で華麗に戦う。その他にも頭突き・足刀などの打撃や、喉元を指一本で突き気絶させる、相手の足の甲を足指で抑え動きを封じる、顔面にある涙穴を水で刺激し相手を溺れた状態にするなどの秘技も扱う。

モデルになったのは「塩田剛三」

1915年(大正4年)9月9日 - 1994年(平成6年)7月17日)は、東京府四谷区(現・東京都新宿区四谷)出身の武道(合気道)家である。本名・塩田剛(しおだ たけし)。身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体格ながら「不世出の達人」と高く評価され、「現代に生きる達人」「生ける伝説」とも謳われた。

塩田は合気道の理合について、師・植芝が宗教用語や古語を用いた難解・抽象的な説明を行っていたのに対して、「中心力」「スピード・タイミング」と言った用語を使った平易な解説を心がけていた。また短期間で合気道の基本的な動きを身に付けられるよう、高弟である井上強一と共に、6種の基本動作と構えを編纂・制定した。

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