暫くは『陸主海従』の状態が続くのだが,1893年,日清戦争の直前の頃になると海軍は「陸軍は朝鮮海峡に自力で橋をかけて,朝鮮に兵を送るのだろう」と嫌味を言ってきたので,止むを得ず海軍が独自の統帥機関をもつことを認めた.
 これが軍令部となるが,陸軍は戦時に,陸軍が最高統帥権を握ることを確保する為に,「戦時大本営条例」を制定し,参謀総長を『統合幕僚長』とし,戦時には参謀次長と軍令部長をその配下に置くこととした.
 そして日清戦争はなんとか『陸主海従』で乗り切った.

出典Establishing Meiji New Force|軍事板常見問題 戦史別館

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