後に兼寛の研究はビタミンの発見につながり、脚気はビタミンBの欠乏で発症することが証明されます。このことから、高木兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれるようになるのです。

出典高木 兼寛|宮崎県郷土先覚者

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