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修道院とは?との好奇心から、ほとんど発せられない声と、そのあたりにある静けさと、
静けさのなかにひびくさまざまな音のスペクトルを体感しているうちに、21世紀現在に生きている自分、自分たちのありようへの再考を促される、貴重な169分の体験。

聖務と労働に黙々と打ち込む修道士たちの姿が清々しく美しい。
儀式や聖句の意味が分からなくても、雄弁な映像美が観客の感性を
導いてくれるはずだ。
修道院の四季を通してゆったりと流れる静謐な時間は、そのまま
得難い映画体験になるだろう。

修道士たちは、今この瞬間も沈黙のなかで祈っているかもしれない。
こうした場所が地球の片隅にあるということを知るだけで、ぼくたちの日常もま た少しだけ豊かになるはずだ。

沈黙が映像となり、そして静寂が語られる。
これはあり得ない映画の試み。
沈黙が生活となり、そして静寂を生きる。
それは例え様もない人生の試み。

そのどちらも喧噪にある私たちにとって、
想像すらしない選択に違いない。

静寂。質朴。禁欲。
人里離れた山中で、数百年変わらぬ祈りの生活を、規律のままに生きる修道士たちがいる。
一瞬とも永遠とも思える時間のなかで、神の臨在をあなたは実感するだろうか。

「静寂の中に生きる修道士たちの一途さに僕は畏れを感じ、同時に憧れを抱いてしまうのは、彼らが自分の存在を強く信じることができるからだろう。それは僕が山の深奥でみた幻想に似ている。」

時間が止まり、中世の修道院が冷凍保存されて、まさに現代に再現されている。
古典主義時代の絵画を連想させる、光と影のコントラストが効いた映像が、信仰の厳粛さを表現しているようだ。
内面へと向かう孤独と共同の生との関係について考えさせる映画だ。
時おり現れる、修道院の閉じられた世界と俗世とのつながりを思わせる断片的な場面で、修道士たちが少しかわいい。

もう言葉は 声にもならない
素の姿で 透明なまま 世界と触れ合う
映画は その光に 寄り添った

19世紀の作曲家シューマンが、シューベルトの60分以上かかる第8交響曲について「天国的長大さ」として高く評価したように、まさに「天国的長大さのドキュメンタリー映画」でした。修道院の沈黙の深さを伝えるには169分の時間が必要だったのです。悠久の時間に委ねて描くことにより初めて意味ある映像となったのだと思います。列王記の一説が繰り返し紹介されていましたが「地震の後 火が起こったが 主は おられなかった 火の後 静かなやさしい さざめきがあった」という言葉に、シャトルーズ修道院の生活が見事に表されているのだと思いました。「静かなやさしいさざめき」に耳を傾ける生活が私たちにいかに多くを語りかけるのか。

「衣食住」とこれほどまでにダイレクトに関わる修道士たちの姿は、「生きること」の本質を静かに我々に問いかけてくる。
神との対話を中心に据えた生活の反復のなかにこそ、微差を感じるセンサーが磨かれ、ときに圧倒的美しさを発見する。
映像と音楽による時間芸術である映画のひとつの到達点。

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ooinaruchinmokuさん

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