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小林多喜二拷問死事件(1933年 日本)

警察当局は翌21日に「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。

通州事件(1937年 中華民国)

1937年(昭和12年)7月29日に中国(中華民国)の通州において、中国人部隊(冀東防共自治政府保安隊)による日本人への襲撃が行われ、日本人居留民および日本軍部隊・特務機関が襲われて、日本人らが大量虐殺された事件。日本軍は壊滅し、日本人居留民の385名のうち223名が虐殺され、女性はほとんど強姦されて殺害された。殺害方法も猟奇的なものが多かったとされる

飲食店の旭軒では40から17~8歳までの女7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、「血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった。

旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺さされ、また陰部は刃物でえぐられていた。帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた。女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった。カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた。南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。

守備隊の東門には、数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた。鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた。14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた。

「恐怖の館」殺人事件(1962-1992 イギリス)

フレデリック・ウォルター・スティーヴン・ウェストは、妻のローズとともに若い女性を惨殺し遺体を自宅の庭などに埋めた。逮捕後、自宅は「恐怖の館」と呼ばれ世界中に報道され注目された。

手足の指を切り落とす、手首を切り落とす、膝を叩き切る、膝蓋骨を抜く、肋骨と胸骨を取り除く、首と胴体を切り離すなどの行為を行った。彼は遺体を徹底的に解体するのを好んだ。なぜなら、彼女達から人間性を剥奪することは相手に対する究極の支配権を得るからである。

インディアナ少女虐待死事件(1965年 アメリカ)

ガートルード・バニシェフスキー は、自身の子供達や近所の若者達を監督しながら、被害者であるシルヴィア・ライケンスへの拷問を助長させ、皮膚に文字を刻み付け、最終的に死に至らしめた。

インディアナの犯罪史上で最も恐ろしい犯罪であると評された。

1965年8月には、ガートルードはシルヴィア・ライケンスを言葉や物理的手段で虐待し始め、年長の子供達にはシルヴィアを殴打させ、階段から突き落とさせた。

また、ガートルードはシルヴィアがボーイフレンドを作ったことに激怒し、性器を幾度も蹴りつけた。また、それは事実ではなかったにも関わらず、シルヴィアが妊娠していると糾弾した。その後さらに、シルヴィアを淫売と罵るようになり、淫売の汚らわしさと一般の女性のありかたについての『説教』をするようになった。

クラスメートや近所の若者達の前で、強制的に下着を脱がせてストリップさせた。シルヴィアは涙を流しながらぎこちないストリップを行ったという。その後、ガートルードはシルヴィアの膣にコカコーラの瓶を強引に挿入したりした。

コーラのボトルの強引な挿入によりシルヴィアが失禁するようになった結果、ガートルードは彼女を地下室へ閉じ込め、それ以降、『洗い清め』と称して熱湯をかけて入浴させ、火傷を生じた肌に塩を塗りこむようになった。また、トイレの使用も一切禁じられた。

そして、シルヴィアはしばしば全裸の状態におかれ、食事もほとんど与えられず、時折、ガートルードと12歳の息子であるジョン・バニシェフスキー・ジュニアにより彼女自身の排泄物を食べるよう強いられた。

ガートルードはシルヴィアがベッドで失禁したことで激怒し、再びシルヴィアの膣にコカコーラの瓶を強引に挿入し、赤く熱した縫い針で腹部に "私は淫売で、そのことを誇りに思う(I'm a prostitute and proud of it)"と刻み付けた。

コイ・ハバードはシルヴィアの身体を踏みつけ、箒の柄で頭部を幾度も強打したため、彼女は地下室で昏倒した。10月26日火曜日の夕方に、バニシェフスキーは子供達に、シルヴィアを(今回は熱湯ではなく)生ぬるい湯に入れてやるよう命じた。ステファニー・バニシェフスキーとリチャード・ホッブスは、シルヴィアを地下室から上の階へ運び、服を着せたまま湯の入ったバスタブに放り込み、その後、服を脱がせて床のマットレスの上に全裸の状態で寝かせた時点で、シルヴィアが息をしていないことに気づいた。ステファニー・バニシェフスキーは蘇生処置を試みたが、シルヴィアは蘇生することなく死亡した。

女子高生コンクリート詰め殺人事件(1989年 日本)

1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。

この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。

誘拐の経緯は、バイト帰りの女子高生の自転車を少年が蹴り、少年Aが親切な素振りで近づき、「お前はヤクザに狙われている」「俺が助けてやる」と言い、

ホテルに連れ込んで女子高校生を強姦し、事件の現場となった家の自宅2階の居室に監禁した。少女を帰そうとせず、輪姦、性器にビン・マッチ・タバコなどの異物挿入、裸踊りや自慰行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナーを吸わせたりした。

少女は少年らの隙をついて警察に通報したのだが少年Aに見つかり阻止され、その腹いせに足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶるという暴力行為し、彼女の焼け焦げた足の腐臭を疎ましく思い強姦の対象から暴力へと変貌し、

1m以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6kgの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部などを多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がるほどの殴る蹴るなどの行為を繰り返し、

少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。

女子高生を監禁していた家の両親は女子高生の存在を認知しており、一度1階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。

1989年(昭和64年)1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、

自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果被害者は死亡した。

翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。

白暁燕誘拐殺人事件(1997 台湾)

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