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くも膜下出血で死去した有名人まとめ

くも膜下出血で亡くなった俳優/女優/芸能人/タレント/スポーツ選手/文化人/アーティスト/著名人(復帰、リハビリ中の有名人も)

更新日: 2018年12月13日

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romonさん

映画監督。東京大学文学部仏文科を卒業。2007年、『妄想少女オタク系』を監督する。2011年、『魔法少女を忘れない』を監督する。同作は『映画芸術』の年間ベストテン第9位に選ばれた。
2017年、くも膜下出血により東京都新宿区の病院で死去。47歳没。

プロレスラー。1995年、FMW川崎球場大会において大仁田厚の引退試合の相手を務め、電流爆破マッチに初挑戦。その後は「新生FMW」のエースとして団体を引っ張る立場となった。1997年より全日本プロレスに参戦。多くの好勝負を展開した。2001年に頚椎を損傷し、治療とリハビリに臨む。
2016年、くも膜下出血でハヤブサが死去していたことを所属事務所が発表した。47歳没。

白川澄子

声優、女優。『サザエさん』(中島弘)や『ドラえもん』(出木杉英才)など、少年役を得意としていた。2015年、クモ膜下出血のため東京都内の自宅で死去。『サザエさん』の収録に出演する予定であったが、集合時間を過ぎても現場に姿を見せず、スタッフなどが自宅アパートを訪れたところ、風呂場で亡くなっているのが発見されたという。80歳没。

田宮五郎

俳優。父は俳優の田宮二郎。幼少時から俳優を志していたが、「俳優になるなら人間を知ってから」との父の遺言を守り、新聞配達、料理人、大工、など数十種に及ぶ職業を長年経験し、2006年、39歳の時に「田宮英晃」名義で『人生はフルコース』で俳優デビュー。その後『功名が辻』に黒田長政役で出演。主にテレビドラマで活躍。
2012年4月にくも膜下出血で倒れ、東京都内の病院に入院していたが、2014年11月6日に急死。47歳没。

諏訪美緒

モデル。ギャル系ファッション誌「小悪魔ageha」や「BETTY」などで活躍した。
2014年、23歳の若さで死去。公式ブログが約半年ぶりに更新され、姉の諏訪のんさんが報告。更新されたエントリー「ファンの皆さまへ」では、「美緒を応援いただきありがとうございます。ご報告が大変遅れましたが 美緒は昨年11月16日 くも膜下出血のため永眠しました」「あまりに突然の事で 今でも真実を受け止めることが出来ずにいます」と、胸中を吐露した。

料理研究家として、簡単ではあるが手抜きではない料理を研究、紹介しており、生涯で出版した著書は200冊を超える。また、台所用雑貨や食器のプロデュース、講演活動も行っていた。長男のケンタロウも料理研究家。
2005年8月にクモ膜下出血を発症、その後は入院療養を続けていたが、2014年に多臓器不全のため逝去。76歳没。

日本のレスリング選手。レスリング指導者。吉田沙保里の父。2012年のロンドンオリンピックでは女子代表チームコーチを務めた。
2014年、路肩に停車した自動車の中でぐったりしている所を発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。死因はくも膜下出血とされる。61歳没。

演歌歌手。夫は元プロ野球選手の伊藤幸男。1960年(昭和35年)に発売された「潮来花嫁さん」が大ヒットして、その年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。
2011年、くも膜下出血のため東京都の病院で死去。73歳没。

元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)、プロ野球コーチ。愛称はキムタク。、「俊足・強肩・巧打」と、攻守ともに優れたユーティリティープレイヤーとして重宝された選手だった。
2010年、試合前、シートノック中に突如として意識を喪失しそのまま倒れ込んだ。搬送後クモ膜下出血と診断され、治療を受けていたが、意識不明の重体から容態は改善することのないまま、入院先の病院で息を引き取った。37歳没。

歌手。25歳で失明。その頃より音楽の勉強を始め、演歌師として出発する。「奥飛騨慕情」でデビューし、1981年には第32回NHK紅白歌合戦に出場。2000年頃に脳卒中で倒れたあとは、療養していたため歌手活動はしていなかった。
2010年、くも膜下出血により岐阜県高山市の病院で死去。74歳没。

脚本家、小説家。主にアニメ関係の仕事を中心にしていた。代表作にはアニメ『宇宙戦士バルディオス』、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』シリーズや『戦国魔神ゴーショーグン』、『ポケットモンスター』などがある。洒脱な台詞に定評があり、シリーズ構成を担当した作品における次回予告がユニークなことでも知られている。『ポケットモンスター』では、ロケット団の口上「なんだかんだと聞かれたら〜」という名フレーズを生み出した。
2010年に訪問先の奈良駅の喫煙所でクモ膜下出血を起こして倒れた。緊急手術を受けたものの回復せず、死去した。61歳没。

玉川善治

芸能プロモーター、作詞家。お笑い芸人専門の芸能事務所『プロダクション人力舎』の前代表取締役社長。人情に厚く温厚な人物で、タレントのことを親身に考えていた。
2010年、くも膜下出血の為、東京都中野区の自宅で死去。63歳没。

女優。芥川賞を受賞した話題作『太陽の季節』が映画化され長門裕之とともに主演。この映画は大ヒットし2人は日活の看板スターとなり、多くの作品に出演する。1961年に長門と結婚。おしどり夫婦のイメージのもとに最晩年まで多彩な活動をしていた。2004年頃から認知症の症状が表れ始め、ドラマや映画の台詞が覚えられなくなるほど悪化し、芸能活動を引退。専門医によりアルツハイマー病との診断が下された。
2009年に自宅で倒れ、クモ膜下出血との診断を受けた。危篤状況が続いていたが、意識が戻らず、同10月21日に死亡した。76歳没。

放送作家。『クイズ!紳助くん』『探偵!ナイトスクープ』構成を手がけるほか、『上方落語をきく会』『日曜落語 〜なみはや亭〜』などの演芸番組の構成を手がけた。
2009年、クモ膜下出血のため死去。54歳没。

グラフィックデザイナー。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴。「日本のエッシャー」とも称される。画家の福田美蘭は娘。1994年に、TBSドラマ「天までとどけ3」にて本人役で特別出演している。
2009年、くも膜下出血のため東京都三鷹市の病院で死去。76歳没。

島村麻里

フリーライター。女性と社会や文化のかかわりをテーマに新聞、雑誌などで執筆活動を行っていた。鬱病を10年以上患って、その体験を闘病記として発表。
2008年、くも膜下出血により死去。51歳没。一人暮らしの自宅で倒れているのを死後数日してライター仲間に発見された。

元水泳選手、タレント。高校在学時に1964年東京オリンピックに出場し「ミミ」の愛称で一躍アイドル選手となった。競技を引退後は東レの水着モデルを務めるなどタレントに転向。各種スポーツ団体や岡山県関連の理事・委員や日本水泳連盟理事を務めるなどの多方面で活躍していた。
2007年、親子水泳教室の指導中に倒れ、意識不明のまま搬送された。一時は意識を回復したものの、クモ膜下出血のため死去。59歳没。

1960年代から2000年代にかけて活動した日本の映画監督。妻はエッセイストでポプリ研究家の熊井明子。多くの監督作が『キネマ旬報』ベスト・テンに選出され、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭の各賞を受賞した。日本を代表する社会派映画の巨匠である。
2007年私邸の敷地内で倒れているところを発見され、搬送された病院で意識を回復したものの、クモ膜下出血のため死去。76歳没。新作の準備に意欲を見せていた中の無念の死だった。

男性声優、ナレーター。テレビ草創期の時代から声優やナレーターとして活躍した。声優としての代表作に『おそ松くん』のイヤミかある。
脳梗塞による1年間の闘病生活後、2007年、くも膜下出血のため東京都世田谷区の病院で死去。75歳没。

お笑い芸人。1991年、「フォークダンスDE成子坂」(ツッコミ担当)としてデビュー。『タモリのボキャブラ天国』に出演し、爆笑問題や海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)、ネプチューンらと共に人気を博した。解散後は元坂道コロンブスの松丘慎吾と新コンビ「鼻エンジン」を結成。
2006年、東京都品川区の自宅マンションで倒れていた所を発見される。発見時、既に息を引き取っていた。周囲に頭痛などの体調不良を訴えていたが、クモ膜下出血のため急逝していた事が判明。まだ35歳の若さだった。

言語学者、国語学者。国語辞典などの編纂、方言の研究でよく知られている。次男はテレビに出演する日本語教師の金田一秀穂。
2004年、クモ膜下出血のため甲府市の病院で死去する。91歳没。

少年雑誌『週刊少年ジャンプ』第7代編集長。当時の『週刊少年ジャンプ』編集長西村繁男の方針である硬派路線に反し、美少女を描けるまつもと泉、富沢順、萩原一至、冨樫義博などの作家を次々発掘し続けた。後に鳥嶋とともに『Vジャンプ』創刊にも携わる。
2003年、クルーズ客船上で催された同誌『ONE PIECE』のアニメ映画作品の製作発表会見に出席した際、その席上で突然倒れる。会見は中止されて急遽帰港、搬送されたが死去。死因はクモ膜下出血であった。44歳没。

伊藤俊人

俳優。ほとんどの三谷作品に出演している。黒ぶちのメガネを使うことも多い、個性派名脇役であった。2000年10月、『ショムニ』の撮影で出会ったスタイリストの女性と交際半年でスピード結婚。
2002年、レギュラー出演していたテレビドラマ『ショムニ』の続編『ショムニFINAL』の撮影数日前にクモ膜下出血のため、40歳の若さで急逝した。なお『ショムニFINAL』以降は野々村課長の代役を立てず、海外赴任中という設定になっている。

劇作家・演出家として活動し、野田秀樹・渡辺えり子らとともに1980年代の小劇場ブームをリードした。また、エッセイストとしての著作も多く、司会者・コメンテーターなどとしてもテレビにも出演していた。
2000年、クモ膜下出血により死去。44歳没。

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