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自衛隊が派遣されるかもしれないホルムズ海峡の悲しすぎる歴史

確かに、商業的に重要な海峡であるホルムズ。軍事産業だけでなく、石油産業、自動車産業、電力事業においても、重要な意味を持つだろう。だが、その商業はそもそも膨大な命の犠牲の上に成り立ってきた。

更新日: 2017年12月08日

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palezioさん

自衛隊の海外派遣のときに、常に想定される場所、「ホルムズ海峡」

ホルムズ海峡での機雷掃海に強い意欲を表明する安部首相。だが、日本人のどれだけが、ホルムズ海峡という場所の歴史的な意味を理解しているだろう。

イラン側とオマーン側の領海が中央で分かれている。それぞれの幅は約15kmしかないデリケートな場所だ。

イラン航空655便撃墜事件

ホルムズ海峡で、もっとも衝撃的な出来事が起きたのは、1988年のことだ。事件の記憶は、いまでもイラン市民の心に刻まれている。

アメリカ海軍のミサイル巡洋艦「ヴィンセンス」がイラン航空のエアバスA300B2を撃墜、子供66人を含む6カ国あわせて290人の乗員乗客が全員死亡した。

民間航空機の撃墜というあってはならない事態。
それをやったのは、イラン・イラク戦争には名目上参戦していないアメリカ合衆国海軍であり、そのとき行っていたのは、ホルムズ海峡の海上警備だった。
しかし、アメリカ合衆国海軍のミサイル巡洋艦は、イラン領海に侵入し交戦したあげく、民間旅客機を撃墜した。

イラン航空655便撃墜事件の発生

イラン海軍から追跡・威嚇をうけたパキスタン商船の保護を名目に、艦載ヘリを接近させたところ、イラン海軍に発砲される。この発砲を根拠に、ヴィンセンスはイラン領海内へと侵入。イラン軍戦闘艇との交戦を開始していた。

ホルムズに面した国際空港から、イラン航空655便が離陸。655便は民間旅客機の信号を発していた。

領海内に侵入して交戦状態にあったために、航空機攻撃を受けても仕方のない状況にあったヴィンセンスは、この民間旅客機を迎撃用のF-14であると誤認したと主張している。

ヴィンセンスから、便名や航空会社名すら含まれない漠然とした警告を受けた655便は、そのまま飛行を継続、距離16km、高度4000mの「目標」に対し、SM-2ブロックII艦対空ミサイルを2発発射、このうち少なくとも1発が命中し、これを撃墜した。

米国海軍は後になって公表したテレビカメラによる上層部の映像を根拠として「誤射」を主張した。

すでに双眼鏡による目視確認が可能な距離関係にあり、民間旅客機と、レーダー反射面積が大幅に少ない戦闘機を誤認した可能性も低いとされる。

現在でも犠牲者を悼むイラン市民

当時副大統領だったジョージ H. W. ブッシュは、事件の一ヶ月後、「我々はアメリカ合衆国のために、永久に、絶対に謝罪しない。真実がいかなるものであろうと、配慮することはないだろう。」と1988年8月15日号Newsweek紙面で宣言した。

この、「事故」で、イラン人犠牲者248人。アメリカは、1人当たりおよそ2500万円の補償の支払いに行った。イラン航空に対する航空機自体への賠償は2014年現在も行われていない。

当時、イラン政府は海外メディアにも救助の様子を公表、国際社会に悲劇を訴えた。

アメリカ合衆国はあくまで、混乱によって生じた不幸な事故であるとの立場をとった。

しかし、そもそもホルムズ海峡での軍事行動が正当化されるべきものだったのだろうか。

日本でも、航空機事故は忘れてはならない悲劇として語られる。民間航空機が、宣戦布告もしていない他国のミサイルによって打ち落とされたという記憶は、イラン市民に深く刻み込まれている。

そこにあるのは、単なる事故の悲劇ではない。

イラン・イラク戦争の経緯

実質的にイラクを軍事支援していたアメリカ合衆国と欧米諸国は、さも無関係であるかのように、船舶をイラクの目と鼻の先であるホルムズ海峡を通行させた。

さらに、「対戦国以外の民間タンカー保護」という名目で、アメリカ軍が艦隊を展開、「軍事演習」を行った。

当時、イランと戦争状態にあったイラクは、アメリカ合衆国から軍事・経済両面で支援を受けていた。ホルムズ海峡へのアメリカ海軍の軍事展開は、イランの原油の流通を阻止し、イラクへの物資輸送をするための軍事行動だった。

あくまで、戦争ではない、自衛権の行使にすぎないとの立場をとっていたアメリカ

戦場に物資を送り届けながら、自国は対戦国ではないとの立場をとり続けるということはどういうことだろうか。

水深75m - 100m、最も狭いところでの幅は約33km。
当然、イラン領海に接近する商船は、イラン海軍による監視行動の対象となっていた。

米国による軍事作戦は、名目上は「タンカー保護」だった。

背景にある歴史

そもそも、欧米とイランの緊張状態はなぜ生じたのか?

第二次世界大戦後、アングロ・イラニアン石油会社(現在のBPの一部)が、イランの石油利権を事実上独占していた。同社は20世紀初に英国によって設立され、英国85%・イラン15%の割合で利権を分割する協定を結んでいた。それ自体不公平な契約でしたが、さらに同社がイラン政府に財務報告を提出していなかったことが明かになると、イラン国民の財産の不適切な独占とみなされるようになってくる。

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