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栃木兄弟誘拐事件まとめ【下山明宏】

栃木兄弟誘拐事件(とちぎきょうだいゆうかいじけん)は、2004年9月11日、栃木県小山市で兄弟(4歳と3歳)が誘拐され後日、遺体で発見された事件。被害者家族が同居していた家の家主の男が逮捕された。

更新日: 2014年09月02日

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栃木兄弟誘拐事件

栃木兄弟誘拐事件(とちぎきょうだいゆうかいじけん)は、2004年9月11日、栃木県小山市で兄弟(4歳と3歳)が誘拐され後日、遺体で発見された事件。被害者家族が同居していた家の家主の男が逮捕された。

過去に被虐待の件で、幼い兄弟は児童相談所が一時保護した後の事件であったため、児相の対応が大問題になった

概要

栃木県小山市の兄弟誘拐事件は十四日、小林保徳さん(四〇)の三男、隼人ちゃん(三つ)が遺体で発見され、最悪の結末に。下山明宏容疑者(三九)=未成年者誘拐で逮捕=は、二男の一斗ちゃん(四つ)も殺害、川に捨てたという。容疑者のアパートに父親とともに転がりこんできた幼い兄弟は、下山容疑者から虐待を受けていた。「生活費を入れない小林さんに出ていってほしかったが、先輩からの頼みで断り切れなかった」。下山容疑者は小林さんに意見できなかった末に不満を募らせ、子供に八つ当たりし、犯行をエスカレートさせたとみられる。兄弟の容疑者宅での約三カ月間の暮らしを振り返った。


 ≪人懐っこい≫

 「一斗ちゃんは物分かりのいい子。隼人ちゃんはわんぱく坊主」。小林さん一家と下山容疑者をよく知る知人男性(三四)はこう話す。隼人ちゃんは末っ子のためか、しかっても知らんぷりしてみせるが、一斗ちゃんは聞き分けがよかった。

 二人は今年二月から五月まで、東京都品川区の保育園に通っていた。その前の昨年七月から十二月までの約五カ月間は父子家庭で、小林さんの仕事も不規則なため、栃木県内の施設に預けられていた。

 品川区の保育園での二人は「人懐っこい元気な子だった」(関係者)。だが、月の半分しか通園しなかったため、区が何度か自宅に電話。小林さんは六月に入り「自分の母親のいる栃木へ行く」と、栃木へ戻った。一家は当初、下山容疑者の実家に居候していたが、すぐに下山容疑者が今年三月に借りた3DKのアパート(五十六平方メートル)で同居。家賃は共益費込みの五万二千円という。


 ≪異変≫

 七月に入り、近所の人が異変に気付く。同じアパートの主婦(三六)は駐車場で七月一日夜、下山容疑者らしい男性が一斗ちゃんと隼人ちゃんをけっていたのを目撃。そばには下山容疑者の長男(六つ)とみられる男の子がいたが、けられていたのは二人だけだったという。

 向かいのマンションの女性は、二人の顔にあざがあるのを何度も見た。「かわいい子なのでよけい気になった」。一斗ちゃんらと同年代の男の子も「いつもあざがあったよ」と話す。

 「いつまで起きてるんだ」「うるさい」

 下山容疑者の怒鳴り声と子供たちの泣き声は、アパートの住人たちに丸聞こえだった。住人は小林さんの姿はあまり見掛けなかったという。

 七月八日、近くのコンビニの店長(三六)が店にきた二人の顔と腹にあざがあったため一一〇番。警察の通告を受けた県南児童相談所が二人を保護したが、九日に小林さんが「祖母宅に住む。下山と同居しないから」との条件で引き取った。しかし、八月に入ると下山容疑者のアパートへ戻ってしまった。


 ≪不満≫

 「子供の居候がいる。食費もおれが払っている」「自分が下(後輩)だからといって、突然転がり込んできやがって」

 小林さん一家のアパートへの同居に、下山容疑者は不満を募らせていた。周囲の何人かが、ぐちを聞いていた。

 下山容疑者は自分の長男にも暴力を振るっていたが、小六の長女(一一)には「家事をやってくれているので頭が上がらない」と話し、手をあげなかった。

 その長女も、近所の女性(六八)には「小林兄弟が部屋を荒らす。お父さんは壊れかけた扇風機を使っているのに、おじちゃん(小林さん)たちはクーラーを朝から晩まで使うのに、お金も払ってくれない」と話していた。

 下山容疑者は、この女性から「じゃあ、(文句を)小林さんに言えばいいのに」と言われると、黙りこんでしまった。捜査関係者は「小林さんとの間の学生時代から続く主従関係やねじれた上下関係が、下山容疑者のフラストレーションになり、今回の事件につながった」とみている。

http://www.asyura2.com/0406/nihon14/msg/413.html

事件の経過

2004年9月11日 - 兄弟の誘拐事件が発生。

2004年9月13日 - 男(40歳)が未成年者誘拐の容疑で逮捕される。男は被害者家族と同居しており、家主はこの男である。男は2人を連れまわしたことを1度は認めるが、「わからない」と供述が一変する。

2004年9月14日 - 容疑者が2人の殺害を認めた。その供述通り、思川で弟の遺体が発見される。

2004年9月16日 - 兄の遺体も同じ川で発見される。

2004年9月17日 - 容疑者を殺人の容疑で再逮捕した。

2005年9月8日 - 被告人が1審の宇都宮地方裁判所で死刑判決。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%83%E6%9C%A8%E5%85%84%E5%BC%9F%E8%AA%98%E6%8B%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

父親には、下山被告以上にバッシングも膨らんでいた。
最悪の行為に走ったのは下山被告だったが、元を辿ればこの父親がすべての引き金だったからだ。
借金から逃げるように、下山被告の家に居候。
家のなかでは“支配者”となり、家賃も公共料金も払わず、夏場はエアコン部屋を占領。
下山被告の娘に悪戯することもあり、会見ではその実名まで暴露した。

あいつの言うことは全部うそ

「憎しみしかない」。2人の息子を同居の下山明宏容疑者に殺害された父親の小林保徳さんが15日午前、悲しみの記者会見を行った。

 小林さんは同居の経緯について、「下山(容疑者)から『行くところがなければ、うちに来なよ』『うちにも子供がいるから気にしないで来なよ』と言われ、言葉に甘えた」と説明した。

 さらに「あいつの言うことは全部うそ。自分が助かりたいばっかりに、言いたい放題だ」と声を震わせながら反論。「家賃は下山が支払っていたが、食費は自分も半分は負担していた」と述べた。

 下山容疑者が犯行に走った理由については、「暴走族の先輩後輩関係で自分に何も言えなかったのがうっとうしかったのではないか」と吐き捨てた。

http://www.asyura2.com/0406/nihon14/msg/425.html

幼い兄弟の父逮捕=覚せい剤使用の疑い

2004/09/30(木)

栃木県小山市で幼い兄弟2人が同居の自称会社員下山明宏容疑者(39)=同市神鳥谷=に誘拐、殺害された事件で、小山署捜査本部は30日、2人の父親で塗装工小林保徳容疑者(40)=同=を覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕した。小林容疑者は容疑を認めているという。
 捜査本部は下山容疑者に対しても逮捕後に尿検査を実施。覚せい剤反応が検出されていることから、覚せい剤をめぐり、2人の間でトラブルがなかったかや、入手経路などについて追及する。
 調べによると、小林容疑者は8月下旬ごろから9月初旬ごろまでの間、栃木県内か近県で覚せい剤を使用した疑い。 

http://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/ryuno0914/?Y=2004&M=9&D=30

小林容疑者は8月下旬ごろから9月初旬ごろまでの間、栃木県内か近県で覚せい剤を使用した疑い。

下山被告が病死

2006年6月4日

小山市で幼い兄弟2人を殺害したとして一審の宇都宮地裁で死刑判決を受けた下山明宏被告(41)が4日、控訴審開始を待たずに病死した。小林一斗(かずと)ちゃん(当時4)、隼人(はやと)ちゃん(同3)の遺族は「罪を償わせたかった」と悔しさをにじませる一方、弁護人は突然の死に驚きを隠さなかった。
 「きちんと罪を償わせたかったのに、残念でショック。被告に子どもと同じ苦しみを味わわせて、償いをさせたかった」。事件で2人の孫を失った黒須シゲ子さん(64)は6日、小山市内の自宅でそうつぶやいた。
 黒須さんのもとには5日夕に検察関係者から「下山被告が死亡した。かぜをこじらせたことによる病死」と連絡があり、被告人の死亡により裁判が終結することを告げられたという。
 黒須さんは今も毎日、2人の遺影に手を合わせている。5日夜には下山被告の死亡をすぐ報告し、「天国で万一、あのおじちゃんの姿を見ても、今度はもうついていっちゃいけないよ」と話しかけたという。
 「下山被告はちゃんとした反省の態度もなかった。事件を本当はどう思っているのか知りたくて、(裁判の行方を)見守っていたのでくやしい」。公訴棄却の見通しに黒須さんはそう言って顔をゆがめた。
 下山被告の主任弁護人の白井裕己弁護士によると、下山被告と最後に会ったのは5月9日午後。東京拘置所の接見室に現れた下山被告は車いす姿だった。腕には点滴をしており顔色は青黒かったが「受け答えは普通にできた」という。
 「おれは大変なことをした。2人には本当に申し訳ないことをした」。この日も反省の言葉を口にしていた。「早く元気になってがんばりましょう」と語りかけると笑顔をみせた。だが「生への執着があまり感じられなかった」と振り返る。
 5月30日に予定されていた第1回控訴審は体調不良を理由に延期され、ついに開かれることはなかった。助命嘆願を求める署名などを材料に情状酌量を訴えていく予定だったという。白井弁護士は「まさかこんな結末になるとは。やったことはとんでもないが、哀れな人生だったと思う」と話している。

http://blog.livedoor.jp/avalon0/archives/50492380.html

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