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神戸高塚高校校門圧死事件まとめ

神戸高塚高校校門圧死事件とは、1990年(平成2年)7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭(当時39歳)が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が校門にはさまれ、死亡した事件である。

更新日: 2014年08月04日

win-winさん

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神戸高塚高校校門圧死事件

神戸高塚高校校門圧死事件(こうべたかつかこうこうこうもんあっしじけん)とは、1990年(平成2年)7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭(当時39歳)が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が校門にはさまれ、死亡した事件である。

高校1年の女子生徒(当時15歳)が、校門指導中の教師の押した門扉と門柱に挟まれ圧死するという痛ましい事件

校門前で

1990年7月6日、神戸市西区にある県立神戸高塚高校で、H(当時39歳)は他の2人の教師とともに、通用門で遅刻チェックをしていた。教師は拡声器で「10、9、8・・・」とカウントダウンしていき、この時30人近くが校門に殺到してきた。

 午前8時、チャイムの音と同時に、Hは通用門の内側からスライド式の門扉(高さ1.5m、長さ6m、重量230kg)を後部から押し始めた。この時、10数人の生徒と共に列となって登校していた1年生・石田遼子さん(15歳)が門扉と門柱の間に頭を挟まれていた。Hは、石田さんが挟まれた後も、門扉を押しつづけていた。石田さんの後ろにいた男子生徒が門扉を押し戻したところ、石田さんが耳や口から血を流して倒れていた。生徒が「女の子がたおれている」と声を上げ、Hは初めて事故に気づいた。Hは血を流している石田さんの頭を手で支え、一緒に登校してきた先生やその場にいた教師に、保険の先生を呼びに行くように指示した。
 
 石田さんは頭蓋骨粉砕骨折などで死亡した。

 同校には遅刻をすると、グラウンドを走らせる制裁があった。

 その後、県が遺族に6000万円を支払い和解し、Hは事故から20日目の同年7月26日に懲戒免職処分となった。

http://yabusaka.moo.jp/koumon.htm

神戸高塚高校校門圧死事件まとめ

全体保護者会の録音テープ問題

1990年7月20日に全体保護者会が行われた。内容を記したテープがあり、冒頭には以下の発言があった。会場にはマスコミによって会議の内容が録音されることを恐れ、それをかき消すために音楽が流されていた。
『保護者会は従来から本校では一切公開していないはずのもので、マスコミの方に流れまして、生徒がひどく困っております。』と生徒を盾にとって事件の隠蔽・もみ消しをはかるだけでなくマスコミを批判した。 『また、何かご要望がありましたら、そのときにもう1回来てもらいましたら、録音は聞いてもらえると思います。』と発言したのにもかかわらず兵庫県側は、「録音テープは、公文書の公開等に関する条例において公開の請求の対象にならない。会議の内容を録音したテープの反訳書及び、全体保護者会の会議録は初めから存在しません」と説明した。学校側はテープを処分したが、PTA側はテープを保管していたため、公開されたがそれは事件の8年後のことであった。その間に3名も校長が変わっていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%AB%98%E5%A1%9A%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%A0%A1%E9%96%80%E5%9C%A7%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その後の経過

兵庫県教育委員会は1990年(平成2年)7月26日、校門を閉めた教諭を懲戒免職処分、また管理責任を問い当時の校長を戒告、教頭と教育長を訓告、教育次長2名を厳重注意とする処分を行った。しかし、校門を閉めようと言い出した教員や生活指導部長に対しては処分は無かった。また、校長から出されていた辞表を同日付で受理した。校門を閉めた教諭はその後懲戒免職処分を不服として申立を行った。
同年9月には教育委員会から新校長が就任。(事件の説明を含む)今後の保護者会の開催を打ち切ることを宣言した。
同年11月16日、学校側が安全管理上の過失を認めた形で、兵庫県が女子生徒の遺族に損害賠償金6000万円を支払うことで示談が成立した。
また、遅刻者に校庭を2周走らせたり、スクワット系柔軟体操を数十回やらせるという罰を課していた理由について、1991年4月の転勤者の辞令交付のオリエンテーションで新校長は「8:35の出席確認に間に合わないようにするため」と説明した。つまり、教室でのホームルームは8:35開始となっているため、校門指導での遅刻を出席簿や調査書に反映させるため、罰を課して間に合わないようにしていた、という。

1990年(平成2年)7月21日に兵庫県警による実況見分が行われた。その結果門扉はヘルメットが割れるほどの速度で押されていたことが分かった。生徒が集団で登校しているのに教諭が勢いよく門扉を閉めたこと、教諭は過去にも門扉で生徒のスカートなどを挟んだことがあること、などから教諭は門扉を閉めることの危険性を把握しながら安全を充分確認しなかったことが明らかになり、業務上過失致死の容疑で取り調べることとなった。

校門を閉めた教諭は業務上過失致死罪で書類送検、正式起訴され、刑事裁判では、教諭は「門扉の閉鎖は教員3人で行う共同作業であり安全・合理的な方法。学校から安全面の指導や注意はなく業務性は無い。わずかな隙間に生徒が頭から走り込んでくることは予見不可能で過失責任は無い。充分な安全策も無く教師に校門指導をさせた学校に責任があり、誤った教育理念を押し付けた学校管理者や兵庫県教育委員会、文部省の責任が問われるべき」などとして無罪を主張した。
神戸地方裁判所は1993年(平成5年)2月10日、「門扉の閉鎖は反復・継続して行う行為であり、その重量、構造から登校時に閉鎖することは門扉を生徒の身体に当てるなどして身体に危害を与える恐れがあり業務上過失致死罪の業務にあたる」とした上で「生徒が制裁などを避けるため閉まりかけの門に走り込むことは予測できた。他の当番教師との安全面の打合せはなく過失があった」と検察側の主張をほぼ認める形で教諭に禁錮1年・執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。教諭は「判決には不服だが、自身や家族の心労を考えて控訴しない判断をした」として控訴せずに有罪が確定した。

判決では教師の過失を認める一方で「被告個人の刑事責任とは別に生徒の登校の安全に対する配慮が足りなかった」としたが、同校では当時、遅刻者には校庭を2周走らせるペナルティを課していたことや、生徒を家畜呼ばわりする言葉の暴力の容認、女子生徒が生理の日でも水泳をさせられることなどの人権侵害、管理教育の問題が事件の背景にあったことや、校門での遅刻指導を始めた頃は5人体制であったが、3人に減らされてしまったことについては言及を避けた。
なお、教諭の禁固刑の有罪確定に伴い、教育職員免許法に基づき同人の教員免許は失効し、教諭が起こしていた懲戒免職不服申立の審理は中止された。

教諭は、有罪確定直後の1993年(平成5年)4月にこの事件を題材とした本を出版しており、「警察的な校門指導を正義だと思っていた」と述べているが基本的には自らの行動に問題はなかったという姿勢を貫いている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%AB%98%E5%A1%9A%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%A0%A1%E9%96%80%E5%9C%A7%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

教諭は、有罪確定直後の1993年(平成5年)4月にこの事件を題材とした本を出版しており、「警察的な校門指導を正義だと思っていた」と述べている

事件現場の校門撤去

事件現場となった校門の門扉は、学校側は事件直後に撤去しようとしたが、「事件の風化を図っている」などとして保護者や一部住民らが反発した。

「裁判前に撤去するのは好ましくない」という裁判所からの意見を受けて学校側は一時校門撤去を保留したが、教諭の有罪確定を受けて再び校門撤去をすすめようとした。撤去後の門扉を溶解工程に回すことも決定した。PTAや保護者に説明することなく、記者会見という形で明らかとなった。保護者や住民らは撤去反対の運動を起こしたが、校門は1993年(平成5年)7月30日、住民や保護者との小競り合いの中で撤去され、サイズと重量を小さくした別の門扉が設置された。

その後、門扉の撤去は不当だとして工事費などの返還を求める住民訴訟が起こされたが、1999年(平成11年)7月12日の最高裁第三小法廷の判決で、学校側の措置を適法として住民側の訴えを棄却する判決が確定した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%AB%98%E5%A1%9A%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%A0%A1%E9%96%80%E5%9C%A7%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

事件現場となった校門の門扉は、学校側は事件直後に撤去しようとした

関連書籍

この事故はなぜ、どのようにして起こったのか。それは本当に管理教育の生んだ悲劇なのか。裁判は終わり、私への刑は確定した。しかし、マスメディアが隠蔽した事件の真は意味を探る私自身の裁判は終わっていない。世の中を震撼させた「校門圧死事件」の真相と背景を当事者が綴る。

何が死の校門を押させたか―校門でビラをまいて見えてきた絶望の構図。 第1章 立ち上がらない中高生「往復書簡」 第2章 僕たちが立ち上がらなければ 第3章 管理主義教育の廃止を(神戸高塚高校生徒会の「アンケート」を読む 第4章 学校の「日常」を支える中高生たちとのたたかい 付 神戸高塚高校校門圧殺事件日誌

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