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ダムの底に沈んだ温泉のまとめ

ダムの底に沈んだ温泉やこれから建設されるダムにより沈む予定の温泉。ダムに沈んでから復活した温泉。多くの温泉はダムの建設の際にダムの水面より高い位置に移動し、ポンプで温泉を引いたり新たな源泉を発掘したりして営業を行っています。

更新日: 2015年08月12日

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pharenaさん

ダムの底に沈んだ温泉

湯の花温泉は群馬県利根郡みなかみ町にかつて存在した温泉。
1967年に完成した矢木沢ダム(奥利根湖)により水没しました。

水没物件は東京電力の湯の花温泉保養所1軒のみであり、建設当時人跡未踏の地域でもあった事から一般住民への補償はなかった。

梁場の湯(梁場鉱泉)は秩父市吉田太田部に存在していた鉱泉。
梁場の湯は秩父七湯にも数えられていましたが、1966年(昭和41年)に埼玉県で最も古く利用許可がなされた温泉であったが、1968年に完成した下久保ダム(神流湖)建設と共に水没したため現存しない。

尿前温泉(しとまえおんせん)は、岩手県奥州市にあった温泉。
2013年に完成した胆沢ダム(奥州湖)により水没。

添沢温泉(そえざわおんせん)は、愛知県北設楽郡設楽町に存在した温泉。
設楽ダム水没エリアに位置し、思うように設備投資ができずにいたが、東日本大震災の被害状況を見て施設の耐震性に自信が持てないとして平成23年(2011年)10月に営業を終了、施設は解体された。

ダムに沈んでから移転し復活した温泉

ダムの底に沈んだ多くの温泉はダムの建設の際にダムの水面より高い位置に移動し、ポンプで温泉を引いたり新たな源泉を発掘したりして営業を行っています。

大牧温泉(おおまきおんせん)は、富山県南砺市にある温泉。
1930年に小牧ダムが完成した際に、温泉はダムに沈んだ。ダム建設に際して温泉宿は湖面の上に移転し、また源泉を湖面の上まで引っ張って温泉を存続させた。このときに、道路の対岸側に旅館が整備されたが、ダムを渡る交通手段は船以外整備されず、今日まで至っている。

庄川の上流にある小牧ダム湖岸に貼りつくかのように、一軒宿の「大牧温泉観光旅館」が存在する。交通手段が船のみであることから、正面玄関なども船着場側に存在する。

ダムを渡る交通手段は庄川遊覧船で運営している船のみに限られており、船でしか行けない温泉として知られる。
ナトリウム・カルシウム - 塩化物・硫化塩泉
源泉温度58.0℃

大塩温泉(おおしおおんせん)は、福島県大沼郡金山町にある温泉。
1954年に完成した本名ダムにより、只見川沿いにあった温泉は水没し、現在地に移転した。
只見川沿いには春先のみ温泉が湧出する野湯がある。この湯船は昔は共同浴場として利用されていたが、ダム開発により河岸が近づくことから、取り壊すはずだったもの。また、常に整備されているわけではないので、場合によっては入浴前に清掃を行う必要がある。また、ダム湖のそばの崖沿いにあり、転落などの恐れもあって危険であり、入浴の際には十分注意する必要がある。

含二酸化炭素-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
源泉温度38℃
源泉は湯船で青白く濁る
炭酸水素イオン含有量2856mg

炭酸成分が日本でも有数の多さであるのが特徴。

2011年7月下旬に発生した「平成23年7月新潟・福島豪雨」の土砂災害で、突然現れた60年前の「河原の露天風呂」

湛水前の旧大塩温泉共同浴場で使われていた浴槽が、60年という歳月を経ていながら、そのままの姿を保っていたことです。完全に水没し、空気に触れることが無かったため、腐食することなく残っていたんですね。しかも温泉の湧出も続いていたことは驚きです。

「川底の露天風呂」の湧出場所は、普段は只見川の川底に沈んでいるが、上流と下流の水力発電のダムの放水状況により、出現する。夏場は、概ね午前8時~10時の間が入浴可能という

鶴の湯温泉(つるのゆおんせん)は、東京都西多摩郡奥多摩町にある温泉。
開湯は南北朝時代の延文年間とされる。温泉名の由来は、鶴がこの温泉で傷を癒していたところを発見したことによる。

1957年に完成した小河内ダム(奥多摩湖)竣工時に温泉(湯治場)は水没したが、源泉を汲み上げるポンプを設置した為、完全な消滅は免れた。だが、この汲み上げポンプを活用しなかったため湖底に沈んだ「幻の温泉」と言われ続けていた。
1991年(平成3年)に源泉汲み上げポンプを補修整備し、シカの湯、ムシの湯、ツルの湯の3源泉を合流して汲み上げ、それをタンクローリーで各旅館に配湯することで温泉を蘇らせた。
アルカリ性単純硫黄泉

奈良田温泉(ならだおんせん)は、山梨県南巨摩郡早川町にある温泉。
1953年(昭和28年)に西山ダム(奈良田湖)ができた際に奈良田の集落はダムに沈み、奈良田温泉の歴史は一度途切れる。しかし1977年(昭和52年)に奈良田温泉の復活を図るため山梨県企業局が源泉調査を実施し、翌1978年(昭和53年)に深度212m地点で温泉が湧出、1979年(昭和54年)に町営施設「奈良田の里温泉」として開業し、温泉地として復活を遂げた。その後、1997年(平成9年)に元源泉近くの白根屋駐車場付近でも掘削が行なわれ、地下500mで湧出。日々に7色以上の泉色が出たため「七不思議の湯」として開湯している。

温泉宿として「白根館」、町営の日帰り入浴施設として「奈良田の里温泉」が存在する。2つの源泉で泉質が大きく異なる

奈良田の里温泉
ナトリウム‐塩化物-炭酸水素塩泉(低張性アルカリ高温泉)
泉温:42.2度
pH:8.6

白根館
硫黄泉‐ナトリウム‐塩化物泉(低張性アルカリ高温泉)
泉温:49.8度(白根館)
pH:8.8

猿ヶ京温泉(さるがきょうおんせん)は、群馬県利根郡みなかみ町にある温泉。当初の温泉街は1959年に完成した相俣ダム(赤谷湖)建設により温泉地がダムの湖底に沈むことになり、現在の温泉街が存在する場所へ移転した。その時から温泉名も猿ヶ京温泉を名乗るようになった。
温泉の発見は約400年前とされる。開湯伝説によれば、猿が大やけどを負った子供を温泉に入れて助けた、とされる。また、猿ヶ京の地名は上杉謙信の命名とされる。
ナトリウム・カルシウム-硫酸塩塩化物泉
源泉温度42 - 58℃

ダム湖である赤谷湖のほとりに16軒のホテル、旅館が存在する。それ以外にも温泉民宿が多数存在し、それらを含めると約40軒の施設が存在する。

日帰り入浴専用施設は2軒存在する。「まんてん星の湯」と「猿ヶ京温泉センター」である。

入之波温泉(しおのはおんせん)は、奈良県吉野郡川上村にある温泉。古くから薬湯として知られ、平安時代にはすでに温泉として開湯されていた歴史があり、江戸時代には湯治に訪れる人も多かった。

1973年(昭和48年)に完成した大迫ダム(大迫貯水池)が完成した際に温泉はダムに沈んだが、
その後ボーリング作業のいより新しい源泉を掘り当て、 山鳩湯旅館が温泉として営業を始めました。
吉野川の源流に近い山奥、大迫ダムのほとりに1軒の旅館「山鳩湯」、および民宿2軒がある。

山鳩湯は、成分の多い濁り湯で有名。湯船は本来は木の浴槽でありながら、そうであることは全く分からないほどに黄褐色の石灰質の析出物が付着している。巨大なケヤキの切り株で造られた露天風呂は特に付着が激しい。毎分500Lの湧出量がある。
ナトリウム 炭酸水素塩・塩化物泉(山鳩湯)
源泉温度39.0℃。加温掛け流し。
湯色は茶褐色。飲泉可。

日中温泉(にっちゅうおんせん)は、福島県喜多方市熱塩加納町にある温泉。開湯は1813年(文化10年)とされる。

1991年に完成した日中ダム(日中ひざわ湖)の建設で温泉はダムに沈んで一度は途絶えたが、1993年(平成5年)に新源泉を掘り当てて現在に至る。
一軒宿の「日中温泉ゆもとや」が存在。日中ダムのたもとに旅館がある。
浴槽設備は、以下の2種類が存在。
掛け流しの源泉浴槽
放流一部循環の加熱浴槽
源泉温度は約40度の炭酸水素塩泉。

間もなくダムの底に沈む温泉

川原湯温泉(かわらゆおんせん)は、群馬県吾妻郡長野原町にある温泉。
吾妻川の谷間の上部の道路沿いに、数軒の旅館がひしめく様に存在した。

温泉街は八ッ場ダム建設に伴い順次閉鎖または移転となり、2014年6月30日の王湯閉鎖をもってかつての共同浴場は全て閉鎖された。このうち王湯は高台に移転し、2014年7月5日より新たな源泉のもと王湯会館として営業を開始した。

温泉街の有る場所は八ッ場ダムで完成する湖によって沈む場所に存在し、貴重な自然湧出の源泉もダム湖に沈む予定である。対策として温泉街最上部の予定湖面より高い地点にボーリング調査によって新源泉が掘り当てられ、そこに新温泉街を造成中である。しかし、湯量・泉質ともに旧源泉とは異なり、今後観光地として成り立のかを不安視する意見もある。
含食塩石膏硫化水素泉

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