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もうすぐ夏コミもあるし、コミケの歴史について調べてみた。【コミックマーケット】

何十年と続くコミックマーケット、通称コミケ。歴史とか見てみると面白いんですよね。

更新日: 2016年08月09日

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コミックマーケットは、1975年に始まり既に30年以上の歴史をもつ日本最大の同人誌即売会です。

通常は、年2回、夏と冬に東京国際展示場(東京ビックサイト)全ホールを使って開催しており、2013年冬で85回の開催となります。三日間開催の場合、のべ入場者数約50万人、参加サークル数約3万5千、のべコスプレイヤー数約2万人以上という規模で開催されています。

事実上最大・最強の同人誌即売会として同人界に君臨するもので、ずっと関東で開催されているにもかかわらず、全国津々浦々から同人誌を売りに、又は買いに人がやってきます。

1970年代

◀初めてコミケが開催された「日本消防会館」
しかし、ここが会場となったのは一度きりみたい。

この年の夏、既製の「マンガ大会」への不満から、批評集団「迷宮 '75」により、同人誌即売会「コミックマーケット」が立案され、企画が進められる。この時の中心スタッフは4名。

東京・虎の門の日本消防会館会議室において参加サークル32(ただし委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者約 700名で開催された。

また参加サークルの半分近くを学漫(学校内クラブ活動としての漫画研究会)が占め、萩尾望都作品を中心とした少女漫画ファンクラブがそれに次いだ。

主催者によると、入場者の9割余を「中・高校生の少女まんがファンを中心とした女子」[19]が占めたという。この時既に、「やおい」の先駆的同人誌も出されていた。

やおい=BL。この頃からホモォ…があったとは…。

このC1以降、春・夏・冬の学校の休みに合わせて年3回のコミックマーケット開催が定着する

年2回じゃなかったんですねw

1976年にはC2からC4の春・夏・冬コミが板橋産業連合会館で開催される。この頃はまだ参加サークルは100に満たない状態だったが、1977年(C5)に大田区産業会館に移った頃から入場待ちの行列ができるようになっていく。

途中、四谷公会堂と東京都立産業会館・台東館を1度ずつ使用したものの結局1979年いっぱいまで同館の使用は続き同館最後の開催となったC13では参加サークル300弱、参加者約4,000人とコミックマーケットは確実に大きくなっていった。

また、『宇宙戦艦ヤマト』などアニメのファンサークルの参加も目立ちだした。
特に『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』のブームと非常に初期の現在で言う「おたく」が出現したことは、コミックマーケットを牽引する大きな原動力となった。

1980年代

参加サークル、参加者数共に増大を続け1983年冬のC22において参加サークルは1,000を超え第1期晴海時代の最後の開催であるC30には3,900サークル、約35,000人が参加するに至る。

またこの間に1983年以降、1988年の冬コミが中止になった事から代替として1989年春に開催されたC35を除き春コミは廃止された。

年2回になりました。

晴海で初めてのコミケ。男性参加者が過半数を占める。

この時期まではコミックマーケットといえば女性参加者が主体だったがこの時期『うる星やつら』のファンサークルが激増し、当時のロリコンブームと相まって男性参加者が本格的に進出。現在の男性向創作分野の基礎が作られる。

漫画家・吾妻ひでおらの「シベール」の行列が館外に作られ、今の壁サークルの走りとなったのもこの時期である。

この間、1985年頃から『キャプテン翼』(『C翼』と略された)が女性サークルに絶大な人気を呼び商業作品を題材に男性キャラクター同士の同性愛を表現した同人誌を制作・頒布するいわゆる「やおい」サークルが増加。若い女性参加者を大きく増やすこととなった。

『キャプテン翼』そのものは少年漫画であるにもかかわらず女性がほとんどを占めたことが同人サークルの特異性である。

今でもジャンプが女性に人気があるのは、このC翼があったからだとか。

完全分離2館体制で開催されたが、スムーズにとり行なわれた。アニメの東館に多くが並び、ロリコンからC翼へ人気が移行した。

また、この時期には1980年代末期の『聖闘士星矢』とその成功を受けて製作された『鎧伝サムライトルーパー』などのいわゆる美少年アニメが若い女性のアニメファンの間でブームとなっていた。

しかしその多くが「やおい」と呼ばれる男性同性愛の性描写を多かれ少なかれ含むもので少年向けアニメの二次創作物としては内容面で非常に問題があるとされた事から、それ以降のアニメ制作プロダクションやアニメ関連企業の二次創作に対する姿勢について大きな影響を与える事にもなった。

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