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satou333さん

追悼特番事件

1991年10月31日、木梨憲武が盲腸による休養から復帰することになっていた放送で、冒頭から『緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…』と題し、木梨憲武が死亡したという設定で、生放送の追悼特番を模したドッキリを放送した。

・とんねるずのみなさんのおかげです

お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成されたバラエティ番組。1989年から1994年までの6年間、バラエティ番組で年間平均視聴率一位の記録を収めた。(wikiより)

「緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…」

木梨の大きな遺影とそれを取り囲むたくさんの菊の花をバックに、石橋と野崎昌一(当時フジテレビアナウンサー)が悲しみをこらえて語っている背後から、緑のジャージ姿の木梨が現れるというもの。

野崎アナ「こんばんは、野崎昌一です」

石橋「石橋貴明です」

野崎アナ「今日午後5時30分過ぎ、タレントの木梨憲武さん、盲腸のために信じられないことになってしまいました。本日は通常のみなさんのおかげですの番組内容を変更いたしまして、<木梨憲武を偲んで>と題しまして、特別番組をお伝えしてまいりたいと思います。なにしろ突然のことでした。我々関係者一同も本当に驚いたんですが、お茶の間の人気を集めていた人物だけに、日本のこれからのコメディ界にとって大変大きな痛手になると思うんですね、石橋さん」

石橋「そうですね、昨日は日本テレビの番組に生出演で、一応盲腸の手術後はじめての仕事で、関係者含めてですね、体がベストな形になるまでは芸能活動は控えておいたほうがいいと言ったんですが、やはり本人の強い希望で昨日は出演したんです。そういった意味では、10何年か一緒にやってきた僕から言えるのは、はげる前にしねてよかったな」

(木梨背後から登場)
木梨「何言ってんの?」

石橋「本人はですね、まだ結婚してませんでしたし、これからの未来っていうものが非常に開けていたですよ」

野崎アナ「そうですね」

石橋「未来が開ける前に額が開けちゃったということですね」

石橋「それでこういった形でみなさんのおかげですのファンの方にも、木梨憲武の今日の1時間でですね、胸に刻んでほしいですね」

野崎アナ「そうですね」

木梨「なに刻むの?ねぇ?」

石橋「本当にあの、コンビを組んでた僕からも本当に安らかに眠ってほしいですね」

木梨「眠んねーよ、この野郎」(石橋の頭を叩く)

木梨が登場した後も2分程無視して喋り続けるものの、石橋が「出口3箇所ふさがれてましたから・・・」といった直後笑い出して木梨に気付き、セットチェンジ。結局『木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編』として番組の総集編が放送された。

発案者

ゼネラルプロデューサー(当時)の石田弘が考えた企画と言われる。

元ネタ

ニッポン放送『吉田拓郎のオールナイトニッポン』での「吉田拓郎死亡放送事件」が元ネタとされている。

吉田拓郎死亡放送事件
1981年、拓郎は風邪による発熱と胃けいれんで急遽出演できなくなった。代役を務めたその日の宿直勤務のアナウンサーとディレクターが「何か面白いことをやろう」と発案し、ネタで放送した。リスナーの問い合わせの電話は鳴り続け、マスコミも駆けつける大騒ぎに。

抗議殺到

放送終了後フジテレビには約800件もの抗議の電話が殺到した。また木梨自身も、親戚のおばあちゃんにこっぴどく叱られたという。

視聴率

この回の視聴率は23%で多くの視聴者を驚かす結果となった。

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