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高スペックながら活躍できなかったザラ級重巡洋艦

ザラ級重巡洋艦はイタリア海軍が建造した重巡洋艦で同世代の中で高い性能をもっていましたがいずれも目だった活躍のないまま悲劇的な最後を迎えました。

更新日: 2017年07月22日

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takamatsu31さん

ザラ級の開発経緯と基本性能

イタリアが初めて建造した重巡洋艦であり武装は20.3cm連装砲4基で英仏の重巡洋艦に劣りませんでした。速力は35ノットであり重巡洋艦全体の中でも高速でした。しかし、装甲は70mmと条約重巡洋艦の中では薄く防御面に不安がありました。

ザラ級重巡洋艦は基本的にトレント級重巡洋艦の改良型で、フランス海軍の新鋭巡洋艦「シュフラン級」への対抗で計画された。トレント級重巡洋艦はイタリアの長大な海岸線で哨戒・防衛の行動をとるために速力を優先して設計され、比較的軽装甲にとどめられたことから、同程度の火力を備える艦との戦闘には難点があった。そこで、イタリア海軍は同種艦との水上砲戦を優位に行える艦として再設計したのが本級である。

当初は200mmもの装甲板を設置する計画であったが、これでは条約の制限排水量より上回ってしまうため、150mmに減量。船体の長さを短くし(居住区を確保するため形状も船首楼型になった)、推進軸も2軸とした。また、魚雷発射管は廃止、艦橋構造物を当初の予定より小型化(この為に後にレーダー等を搭載できなくなる)するなど軽量化を図っているが、それでも基準排水量は条約制限を1割以上越えているのが難点。

前級であるトレント級の20.3cm砲より重量のある砲弾をより遠距離に発射可能でした。しかし、砲の間が狭く散布界が悪い点は改善されませんでした。

この高角砲はこのころのイタリア艦の多くに搭載されていました。しかし、この砲は第一次世界大戦時オーストリア軍が運用していた平射砲を改造したもので目標追随能力に劣っていました。

ポンポン砲として有名な対空機関砲です。大口径でしたが信頼性に欠けていました。

イタリア海軍の水上偵察機であり第二次世界大戦でザラ級などの水上艦に搭載されていました。ザラ級は艦首部にカタパルトを搭載しており発艦は容易でしたが水偵搭載時に主砲が前方に撃てなくなるなど欠点が多く後に建造された重巡ボルツァーノでは修正されました。

ザラ級の欠点

イタリア海軍の条約型重巡洋艦は最後まで左右の砲身を同一の砲架に据えつける形式を採用した。これは、砲身の間を狭める事により砲塔の小型化と機構の簡略化を狙った物であるが、代償として斉射時に左右の砲弾の衝撃波が相互に干渉しあって散布界が広がる弱点があり、イタリア巡洋艦のウィークポイントとなった。

散布界が小さいほうが集弾率が上がり命中率が向上します。

上部構造物の縮小化は後にレーダーアンテナの増設を困難にさせ、全ての姉妹艦が搭載することはなかった。後の海戦を経て、これは致命的な間違いであることが判明した。

ザラ級の戦歴

カラブリア沖海戦でザラ級は4隻全てがイギリス艦隊と砲撃戦を行いましたが戦果はありませんでした。

スパルティヴェント岬沖海戦でザラ級はザラ以外の3隻が参加しフィウメかポーラの砲弾がイギリスの重巡べリックに損傷をあたえました。

マタパン岬沖海戦でザラ級はゴリツィア以外の3隻が参加しましたが28日にポーラが雷撃で損傷し行動不能になりました。ザラとフィウメはポーラの護衛に留まりましたが夜に戦艦3隻を含むイギリス艦隊のレーダー射撃を受け3隻とも沈没しました。

ゴリツィアはサルデーニャ島のラ・マッダレーナに停泊していましたがB-24の爆撃によって爆弾3発が命中し大破しました。修理のために本土のラ・スペツィアで修理を受けましたが修理中の9月8日にイタリアは降伏しました。

ゴリツィアはイタリアの降伏後にドイツ軍に鹵獲されましたがラ・スペツィアに係留されたまま放置されていました。しかし連合国側は復旧を恐れ1944年6月26日に連合国側についたイタリア海軍の特殊潜航艇によって爆破され沈没しました。

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