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【閲覧注意】三島由紀夫 割腹自殺の全容

日本の作家・三島由紀夫が憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。この事件は日本社会に大きな衝撃をもたらしたけではなく、海外でも、国際的な名声を持つ作家の起こした異常な行動に一様に驚きを示した。

更新日: 2017年03月07日

romonさん

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自衛隊突入決行

戦後の日本文学界を代表する作家の一人である。代表作は小説に『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『鏡子の家』、『憂国』、『豊饒の海』四部作など、戯曲に『鹿鳴館』、『近代能楽集』、『サド侯爵夫人』などがある。人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。

1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会メンバー4名とともに訪れ、面談中に突如益田兼利総監を、人質にして籠城。

楯の会

間接侵略に備えるための民間防衛組織(民兵)として、三島由紀夫が結成した軍隊的な集団。隊の名称は万葉集防人歌と、歌人・橘曙覧の2首の中に出てくる「大皇の醜の御楯」に由来。

三島に同行した楯の会メンバー

森田必勝、小賀正義、小川正洋、古賀浩靖の4名である。

小賀正義

当時22歳
「楯の会」の2期生で第5班班長

小川正洋

当時22歳
「楯の会」の3期生で第7班班長

古賀浩靖

当時23歳
「楯の会」の2期生で第5班副班長

午前10時58分頃、三島由紀夫は楯の会のメンバー4名と共に原勇1等陸佐に案内され総監室に通された。

小賀はすばやく総監・益田兼利陸将の後ろにまわり、持っていた手拭で総監の口をふさぎ、つづいて小川、古賀が細引やロープで総監を椅子に縛りつけて拘束した。森田は総監室正面入口と、幕僚長室および幕僚副長室に通ずる出入口の3箇所に、机や椅子、植木鉢などでバリケードを構築した。

原1佐がドアに体当たりし、隙間が2、30センチできた。室内から「来るな、来るな」と森田必勝が叫び声を挙げ、ドア下から要求書が差し出された。

自衛隊員らは幕僚長室のドアのバリケードを破壊し部屋へ突入、楯の会メンバーと乱闘を繰り広げた。乱闘により自衛隊員8人が負傷、総監の安全も考え、一旦退散。

その後、幕僚幹部らは三島の要求を受け入れることを決め、三島に演説する許可を与えた。

出典 三島事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E3.83.90.E3.83.AB.E3.82.B3.E3.83.8B.E3.83.BC.E3.81.A7.E6.BC.94.E8.AA.AC

演説

三島は集合した自衛官たちに向かい、白い手袋の拳を振り上げて絶叫しながら演説を始めた。〈日本を守る〉ための〈健軍の本義〉に立ち返れという憲法改正の決起を促す演説であった。

おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。(中略)
おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。

切腹

自衛隊の決起・クーデターを促す演説をした直後に割腹自決した。45歳没。

続いて森田も切腹した。

演説を終えた三島は、側らにいた森田と共に「天皇陛下万歳」を三唱したのち、総監室に戻った。

三島はその後、上半身裸になり、バルコニーに向かうように正座して短刀を両手に持ち、背後の森田を見上げ、「君はやめろ」と三言ばかり殉死を思いとどまらせようとした。

また、割腹した血で“武”と指で色紙に書くことになっていたので、小賀が三島に色紙を差し出すと、「もう、いいよ」と言って淋しく笑い、右腕につけていた腕時計を、「小賀、これをお前にやるよ」と渡した。

そして、「うーん」という気合いを入れ、「ヤァ」と叫び、自身の左脇腹に短刀を突き立てた。総監が、「やめなさい」、「介錯するな、とどめを刺すな」と叫んだ。

三島の左後方に立った必勝は、尊敬する師へのためらいがあったのか、三島の頸部に二太刀を振り降ろしたが切断が半ばまでとなり、三島は静かに前の方に傾いた。

まだ三島が生きているのを見た小賀と古賀が、「森田さんもう一太刀」「とどめを」と声をかけ、森田は三太刀目を振り降ろした。介錯がうまくいかなかった森田は、「浩ちゃん頼む」と刀を渡し、古賀が一太刀振るって頸部の皮一枚残すという古式に則って切断した。最後に小賀が短刀で首の皮を胴体から切り離した。

三島の遺体と隣り合う位置に正座した森田は、切腹しながら、「まだまだ」「よし」と合図し、それを受けて、古賀が一太刀で介錯した。

午後0時20分過ぎ、3名は総監室正面入口から総監を連れ出て、日本刀を自衛官に渡し、警察に逮捕された。

出典 三島事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.B1.BA.E8.B5.B7.E3.81.AB.E8.87.B3.E3.81.A3.E3.81.9F.E7.90.86.E7.94.B1

腹の傷

三島は、小腸が50センチほど外に出るほどの堂々とした切腹だったという。また一太刀が顎に当たり大臼歯が砕け、舌を噛み切ろうとしていたとされる。介錯に使われた日本刀・関孫六は、警察の検分によると、介錯の衝撃で真中より先がS字型に曲がっていた。(Wikipediaより)

事件後

小賀正義、小川正洋、古賀浩靖に懲役4年の実刑判決が下された。

嘱託殺人、傷害、監禁致傷、暴力行為、職務強要の5つの罪で起訴

著名人の反応

川端康成

ただ驚くばかりです。こんなこととは想像もしなかった。もったいない死に方をしたものです。

開高 健

三島さんは本気だったんだな。

五木寛之

もし三島由紀夫がロックに興味を持っていたなら、ああいうことにはならなかったろうと思う。

中曽根康弘

常軌を逸した行動というほかなく、せっかく日本国民が築きあげてきた民主的な秩序を崩すものだ。徹底的に糾弾しなければいけない。

佐藤栄作

三島由紀夫は気が狂ったとしか思えない。

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