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足利義昭まとめ[最後の室町幕府将軍]

足利義昭・足利義秋(あしかがよしあき)は、室町幕府第15代将軍。兄の義輝らが松永久秀らに暗殺された後、織田信長に擁され上洛し。第15代将軍に就任。やがて信長と対立し、京都から追わることに。(信長のシェフ、軍師官兵衛、他)

更新日: 2017年04月21日

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hogehogemanさん

足利義昭はいつの時代の人?

1537-1597年
天文(てんぶん)6年11月3日生まれ

足利義昭の概要は?

1537-1597 室町幕府15代将軍。在職1568-73。
天文(てんぶん)6年11月3日生まれ。足利義晴(よしはる)の次男。僧籍にはいり覚慶と号したが,兄義輝(よしてる)が殺されたのち,還俗(げんぞく)。

兄義輝らが松永久秀らに暗殺されると、三淵藤英・細川藤孝ら幕臣の援助を受けて奈良から脱出し、還俗して「義秋(よしあき)」と名乗る。

幕府再興をこころざし,織田信長とむすび永禄(えいろく)11年将軍となる。

のち信長と反目し,武田氏,朝倉氏らとむすんで信長打倒をくわだてるが失敗,天正(てんしょう)元年室町幕府は崩壊した。

信長の死後出家して昌山道休と称し,文禄(ぶんろく)の役では肥前名護屋に従軍。慶長2年8月28日死去。61歳。前名は義秋。法号は霊陽院。

足利義昭の最後は?

慶長2年8月28日死去。61歳。前名は義秋。法号は霊陽院。

足利義昭は最後の室町幕府の将軍であった。

織田信長との関係性

織田信長は、1567年に足利義昭を奉じて京都に入ることに成功しました。

まず、その後の動きを簡単に確認します。

<織田信長の天下統一過程②>
・1568年 足利義昭を奉じて入京
・1570年 姉川の戦い
・1571年 浅井・麻倉に加勢した延暦寺を焼打ち
・1573年 足利義昭を京都から追放(=室町幕府滅亡)

前記事でお伝えしたとおり、足利義昭を奏じていた背景には

室町幕府の再興という建前がないと諸勢力を従わせることが出来なかった、ということがありました。

足利義昭は、織田信長に軍事的サポートをしてもらいながら京都に入り、室町幕府第15代将軍に就任します。

ドラマなどでは

参考リンク

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