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手塚治虫が褒めたことがある漫画家一覧

漫画の神様、手塚治虫が褒めたことのある漫画家を集めてみました。手塚治虫は藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、松本零士、横山光輝等をアシスタントに使ったことがあります。また富野由悠季、宮崎駿、大友克洋、梶原一騎、さいとう・たかを、白土三平、水木しげる、鳥山明、の関係についてなども。

更新日: 2017年01月15日

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足塚299さん

手塚治虫はしりあがり寿のことを「この人は実はものすごく絵がうまい人だ」と語りました。

また、しりあがり寿の2作目の作品「エレキな春」では手塚治虫は「真似が出来ない」と語っています。

手塚治虫とみなもと太郎の初対面の時の様子です。

「知ってますヨ。ホモホモセブン。ありゃ斬新だよねっ。」

手塚治虫は夏目房之介の作品を褒めています。


(「夏目房之介の学問」より)

手塚治虫はある日、大阪東光堂の社長に連れられたスマートな青年と出会います。社長はその青年は神戸銀行に務めていると言い、社長は「うちでデビューさせようと思いますが、どうでっしゃろ?」と聞きました。
手塚は彼の作品を読み「売れるかも知れませんな」と褒め、その青年は漫画家としてデビューすることになりました。

その青年こそが横山光輝です。横山はその後、手塚と数作品共作をしました。

手塚は横山を「かれほど"彗星のように"という形容のあてはまる男はいない」と絶賛しています。

横山光輝は手塚治虫のアシスタントをしたこともあります。

(横山光輝自伝と手塚治虫自伝より)

横山光輝が手塚治虫のアシスタントをしたのは
鉄腕アトムの「ミドロが沼」の回です。

名作ですので一読してみて下さい。

手塚は横山のことを「横山さんはいろんなジャンルの仕事をされましたが、この『鉄人28号』と『伊賀の影丸』それに『三国志』の三つは、エポックメーキングなものでしょう。娯楽マンガの功労賞があれば横山さんにぜひ一番にさし上げるべきではないかと思います」と語っています。

(「復刻版鉄人28号」第三巻 大都社 1979年 手塚による寄稿文より)

手塚治虫と梶原一騎は仲が悪かったことにされることが多いですが間違いです。

手塚は梶原一騎を褒めたことがあります。

また手塚と梶原一騎の共同企画により「巨人の星対鉄腕アトム」というアニメが作られています。

巨人の星対鉄腕アトムの結末は必見です。

前述した巨人の星の作者は梶原一騎ですが
手塚は同じ梶原作品である「あしたのジョー」も気に入ってました。

そのため、「あしたのジョー」は虫プロダクションでテレビアニメ化されました。

アニメ「あしたのジョー」は大ヒットします。
全79話。

(左の画像はアニメ「あしたのジョー」のOPより)

手塚治虫はあしたのジョーを気に入ってテレビアニメ化したことは前述しましたが
特に主人公の矢吹ジョーの髪型も気に入ってました。

手塚治虫は「どついたれ」を描く際にアシスタントに矢吹ジョーの髪型を気に入っていることを話したそうです。

アシスタントが「この髪型ちばてつやさんが描く髪に似てますね」と言ったところ矢吹ジョーの髪が気に入っていると答えたとのこと。
ちなみに「どついたれ」は社会派漫画です。

梶原一騎なのだ。


(手塚治虫の漫画「三つ目がとおる」ガイコツショーの巻より)

まだ少年ジャンプに「手塚賞、梶原賞」が並列して存在した時は手塚と梶原は何度も会っていました。

梶原一騎は手塚の雑誌「COM」でも連載していました。

梶原一騎が逮捕されてゴタゴタが続いていた頃、手塚は「落ち着いたら梶原さんと共作したい」とテレビのインタビューで語りました。

手塚治虫と劇画作家のさいとう・たかをは「過去からの声」という作品で共作をしました。
脚本:手塚治虫
作画:さいとう・たかを

過去からの声は名作ですので読んだことない人は是非オススメです。
(1979年「ビッグゴールド」小学館)

手塚治虫とさいとう・たかをは生前に何度か飲みに行ったりするほど仲が良かったです。

画像でさいとう・たかをの横にいるのは同じく漫画家の永島慎二。

(永島慎二「ぼくの手塚治虫先生」より)

手塚とさいとうは真剣に漫画について語りあいました。
さいとうも手塚のことを褒めています。

(永島慎二「ぼくの手塚治虫先生」より)

手塚治虫はさいとう・たかをのゴルゴ13(デューク東郷)を描いたことあります。
ブラック・ジャックの「デベソの達」に登場します。

(初出:1975年08月04日号週刊少年チャンピオン ブラック・ジャック「デベソの達」)

貴重なさいとう・たかをと手塚治虫のツーショット

さいとう・たかをが描いた鉄腕アトム。
「私のアトム展」が開催された時のさいとうが展示した絵。(実物の絵はもっと大きいです)

(画像はマガジンハウス「私の鉄腕アトム100人のアーティストによる私のアトム展」1993年より)

手塚治虫は鳥山明のことを「鳥山明は純粋でいい。やっと私の後継者がでてきた」 「鳥山明にはかなわない」などと語っています。

現在の手塚賞の審査員は鳥山明です。ある意味本当に後継者です。 鳥山明を手塚賞の後任に指名したのも手塚治虫。


(「対談 都市のヴィジュアル・トポロジー(8)」21世紀の夢を生きる 雑誌「is」より 1982年6月10日発売)

鳥山明は幼少期から手塚治虫の漫画を読んでおり、
大ヒット作である「Dr.スランプ」の登場人物「オボッチャマン」は鉄腕アトムのオマージュだと鳥山明は語っています。
オボッチャマンはアトムと同じロボットです。

アラレちゃんの恋人役という重要人物でレギュラーキャラです。

鳥山明は1980年の雑誌パフ9月号「まんが家WHO'S WHO 14」において影響を受けた人を聞かれると「元をず~~~っとたどれば手塚治虫さんの鉄腕アトムじゃないかと思います」と回答しています。

漫画「Dr.スランプ」には何度か鉄腕アトムのパロディが何度も登場します。

アラレちゃんの適役であるキャラメルマン1号は鉄腕アトムと鉄人28号を組み合わせたデザインでした。

(画像はDr.スランプ単行本6巻「Dr.マシリトの野望の巻」より)

鳥山明が今までで一度だけ泣いたことのある漫画は手塚治虫の「雨降り小僧」だと言っています。

「一度だけ漫画で涙が出てしまったことがある。若い頃読んだ『雨ふり小僧』。プロとなった今、出会い、今度は汗が出た。」

(1998年 ジャンプコミックス「手塚治虫THE BEST 2巻 雨ふり小僧」の帯より)

手塚治虫は週刊少年ジャンプで1971年から1973年の間にライオンブックスという読み切りシリーズを連載していました。

鳥山明は少年ジャンプで手塚作品を読んでいたとのことです。

鳥山明が寄稿した手塚治虫について語る文章。

(雑誌ユリイカ 1983年2月号 第十五巻第二号「前略、失礼。手塚先生へ…:鳥山明」より)

鳥山明はドラゴンボールの悟空の髪型について、手塚治虫の鉄腕アトムの影響だと語っています。

(集英社「ドラゴンボール フルカラー フリーザ編 第五巻より」)

石ノ森章太郎(旧:石森章太郎)は高校生の頃に手塚のアシスタントを経験しました。

手塚治虫は石ノ森章太郎のことを「彼は天才的な絵を描く」と褒めています。

また手塚は仮面ライダーのことを「繰り返し、繰り返し読んでもちっとも見劣りしない作品」と褒めてます。

(画像は手塚治虫の漫画「ガチャボイ一代記」より)

石ノ森章太郎は手塚治虫が編集者に紹介したことにより漫画家デビューしました。

その後、石ノ森章太郎は手塚が住んでいたトキワ荘に住むことになります。

(ポプラ社「コミック版世界の伝記24石ノ森章太郎 漫画:シュガー佐藤」より)

石ノ森章太郎が手塚のアシスタントをした時は、手塚に映画に連れてって貰ってたそうです。

石ノ森「ギリギリの仕事のなかで、ある日、夜になると編集者の目を盗んでこっそりぼくを映画館に連れて行ってくれた。ぼくだって当時のご多分にもれぬ映画少年である。編集者には申しわけないが、ちゃっかり便乗していた」

石ノ森章太郎と手塚治虫は晩年まで仲がよく
しょっちゅう対談や食事に行ったことがあります。
「快傑ハリマオ」という作品の漫画版は手塚がシナリオを書き、石ノ森章太郎が作画を担当してます。

(画像は右が手塚治虫、左が石ノ森章太郎です。)

手塚治虫と石ノ森章太郎のその他、週刊少年誌や青年雑誌の企画で何度か共作をしています。

(画像はブラック・ジャック創作秘話より)

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