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戦前の神道は 本当に「日本人の伝統的信仰」だった?

「神道が重んじられていた戦前はよかった」という人もいるようです。日本古来の伝統的な信仰が実は明治時代に無理やり変えられたことがあまり知られていないようなので、流れをまとめてみました。

更新日: 2014年10月15日

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yuu2011さん

日本では昔から、神仏習合した仏教・神道、修験道、自然・祖先崇拝、シャーマニズムなどが共存してた

修験道(修行する山伏)

庶民信仰には、田の神講・山の神講・庚申講など民間信仰から派生したものと、仏教から派生し観音堂や地蔵堂等を中心にした、観音講や地蔵講などがあります。

農村や山村、漁村などには…超自然的存在がいろいろ信仰されていた。山の神や田の神、海の神、雷神、地神、水神、石神、市神、道祖神、屋敷神、かまど神、歳神、荒神、子安神、産神、庚申などがそれで、いずれも、アニミズム的汎神論の世界に住んでいる小さな神がみである。どの神がみも、神社や寺院に祀られる神仏と共存関係をたもちながら、長いあいだ、村落社会の宗教的世界を彩っていた

道祖神。集落の境や道の辻に置かれる。

東北地方の「かまど神」

各地の村の神社も、アマテラスのような皇統神(天皇家の祖先とされる神)ではなく、ローカルな氏神や鎮守神を祀ったところが多かった。

氏神(うじがみ)・産土神(うぶすながみ)・鎮守神(ちんじゅがみ)は「その土地並びにそこに住む者を守護する神」としての意味合いで、ほぼ同義的に捉えられている。

しかし明治維新で一変。政府は、天皇と神道を中心にして国民をまとめることにした。

明治政府が王政復古を打ち出した理由として、クーデター政権であった維新政府が自身の権威を正当化するために、幼い明治天皇を擁立し神権的天皇制のイデオロギーを利用した

明治維新政府が…一言でいえば神仏を分離した。神仏混淆を断罪した。「神と仏」を分けたのだ。“上級の神々”を国家神道システムにくみこむためだった。

神仏分離で、それまで神と仏の両方が祀られていた多くの神仏習合の神社から、仏教的要素が排除された。いま私たちが見ることができる神社は、その変化を経た後の姿。
たとえば出羽三山(山形)もその代表例で、いまは神社だけになっている。

出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で明治時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の山であった。 明治以降神山となり、羽黒山は稲倉魂命、月山は月読命、 湯殿山は大山祇命、大国主命、少彦名命の三神を祀る

牛頭天王を祀る祇園社、天王社は総て廃滅させられ、スサノオを祭神とする神社へ改組された。 代表的な祇園社・京都の「感神院祇園社(かんじんいんぎおんしゃ)」も、「祇園社」部分は所在地・愛宕郡八坂郷の名を取り、 「八坂神社」と改称させられた。

神田明神も…明治七年(1874)、明治天皇が行幸することが決まった際は、逆臣・平将門を祀るなどということはあってはならないこととされ、 急遽、祭神から外し、わざわざ茨城県大洗磯前神社から少彦名命を勧請して据えた。

もともと仏教を日本に輸入して信仰し、国内に普及されたのは天皇家です。…天皇家は神仏を併せて信心されていました。しかし「神仏分離」で…天皇家は仏教の信仰をお止めになり、信仰は伊勢神宮の神様だけになりました。葬式は孝明天皇(明治天皇の父上)までは仏式でしたが、明治天皇、大正天皇、昭和天皇は神式となりました。

神仏分離令をきっかけに、全国で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が盛んに。全国各地で仏像や仏具などが破壊された。

千葉県の鋸山には五百羅漢像があるが、全ての仏像が破壊された。
薩摩藩では寺院1616寺が廃され、還俗した僧侶は2966人に。

首を落とされた五百羅漢(鋸山)

越前禅定道の石仏。廃仏毀釈により破壊され今に至る

廃仏毀釈は…人々の信仰心そのものの衰滅や道義心の衰退をひきおこす結果になりやすかった。
伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は…民衆の精神生活の実態からみれば、なんらの復古でも伝統的なものでもなく、民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制であった。

広く行われた祭神の変更は、一種の歴史の忘却をもたらしたのではないだろうか…日本の伝統、と思われているもののうちのいくつかは、この時期に改変を被ったきわめて近代的なものなのではないか。

そして政府は、天皇を頂点とする「国家神道」をつくっていく。

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