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対馬丸撃沈事件まとめ【撃沈事件から70年】

太平洋戦争中の一九四四年八月、沖縄から長崎へ向かった学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈され、千四百八十五人が犠牲になった事件から七十年を迎えた。対馬丸撃沈事件とは。

更新日: 2014年08月22日

win-winさん

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対馬丸

対馬丸(つしままる)は、日本郵船のT型貨物船の一隻で、総トン数6,754トンの貨物船。日本郵船所有船としては初代。二代目は、1979年(昭和54年)にパナマ船籍タンカー「ゴールデン・ウィスタリア」 (Golden Wistaria) を購入して改名したもので、総トン数87,516トン。1981年(昭和56年)からは藤栄海運との共有船になったが、1982年(昭和57年)以降はブルネイで係船された。

太平洋戦争中の1944年(昭和19年)8月22日、政府命令による学童疎開輸送中にアメリカ海軍の潜水艦の攻撃を受け沈没し、犠牲者数1,476名を出した。

背景

1941年12月にはじまったアジア太平洋戦争。翌年の夏から日本軍は敗戦を重ねるようになり、1944年7月7日、ついにサイパン島が占領されました。「サイパンの次は沖縄だ」と判断した軍の要請で、政府は奄美大島や徳之島、沖縄県の年寄り・子供・女性を島外へ疎開させる指示を出します。
予定人数は、日本本土へ8万人、台湾に2万人の計10万人。しかし県民の疎開はなかなか進みません。「勝つ、勝つ」を繰り返す軍の言葉に、沖縄が本当に戦場になるのか判断がつかず、また周辺海域の危険をそれとなく知っていた県民にとって、船に乗ることは一つの「賭け」でした。7月19日、県は「沖縄県学童集団疎開準備要項」を発令し学校単位で疎開事務をすすめます。多数の兵士が沖縄に移駐し大量の食糧が必要になり、足手まといになる民間人を県外へ移動させることは急務だったのです。いっぽう子ども達は「ヤマトへ行けば汽車にも乗れるし、雪も桜もみることができる」と修学旅行気分ではしゃいでいました。

http://www.tsushimamaru.or.jp/jp/about/about1.html

対馬丸の出航と撃沈、漂流、救助

対馬丸(6754トン)は、1944(昭和19)年8月21日夕方、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1788名を乗せ、同じように疎開者を乗せた和浦(かずうら)丸・暁空(ぎょうくう)丸と護衛艦の宇治(うじ)・蓮(はす)を含む計5隻の船団を組んで長崎を目指し出航しました。しかし翌22日夜10時過ぎ、鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け対馬丸は沈められてしまいます。建造から30年も経った老朽貨物船・対馬丸は航行速度が遅く、潜水艦の格好の標的だったのです。
ほとんどの乗船者は船倉に取り残されましたし、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波にのまれました。犠牲者数1418名(氏名判明者=2004年8月現在)。イカダにすがって漂流した人々は、付近の漁船や海軍の哨戒艇に救助されたほか、奄美大島まで流されるなどして生き延びたのです。

http://www.tsushimamaru.or.jp/jp/about/about1.html

事件前後から終戦まで

「対馬丸」が撃沈された事件については緘口令が布かれたが、疎開先から来るはずの手紙がない事などから、たちまち皆の知るところとなった。このため一時は疎開に対する反発などがあったが、1944年(昭和19年)10月10日の那覇市への空襲(十・十空襲)があってからは疎開者が相次いだ。「対馬丸」沈没の前後には潜水母艦「迅鯨」および「長鯨」、軽巡洋艦「長良」、練習巡洋艦「鹿島」などの艦艇も、沖縄へ兵力を輸送する任務の帰途に、疎開輸送を行った。沖縄からの疎開輸送には、1944年(昭和19年)7月から1945年(昭和20年)3月まで艦船延べ187隻が繰り出され、8万名以上が日本本土と台湾へ疎開した。ただし、この数字にそれ以外の時期や、客船や漁船などによる自主的疎開は含まれていない。

「対馬丸」の他に、事故やアメリカ軍の攻撃によって27隻もの各種船舶が沖縄・奄美近海に沈んだ。その多くは、「湖南丸」「宮古丸」のような定期船や、「富山丸」のような軍隊輸送船であった。厚生省の調査では、3月上旬までの沖縄からの187隻の疎開船のうち犠牲者を出したのは「対馬丸」が唯一の事例である[64]。調査外の時期の疎開船で犠牲者を出した事例としては、約70人が死亡したとみられる尖閣諸島戦時遭難事件が存在する。また、鹿児島県徳之島からの疎開船「武洲丸」も潜水艦に撃沈されており、「対馬丸」以外で唯一潜水艦に撃沈された南西諸島からの疎開船と見られる。

モ05船団、609船団、ナモ103船団で「対馬丸」と行動をともにした「暁空丸」は、約1ヵ月後の9月18日、節船団で門司から上海に向かう途中にアメリカ潜水艦「スレッシャー」 (USS Thresher, SS-200) の雷撃により沈没し、「和浦丸」は途中病院船に転じて再び輸送船に戻ったあと、1945年(昭和20年)7月20日に釜山港外で機雷に触れ座礁し放棄され、後に浮揚されて韓国船「コリア」となった。疎開した民間人の多くは疎開先の本土(主に九州、鹿児島県や熊本県、宮崎県)や台湾で終戦を迎えている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E4%B8%B8

「対馬丸記念館」の建設

1950年10月、犠牲者の家族たちは遺族会の活動をスタートさせました。1997年、遺族会からの要請に基づいて行われた悪石島(あくせきじま)沖海底捜索の結果、12月12日船体が発見されました(北緯29度31.93分、東経129度32.90分、水深871m)。遺族は引き揚げを要求しましたが政府は対馬丸船体引揚げ可能性調査検討専門家会議の結論を受けこれを不可能とし、代替案として「記念館」の建設が持ち上がりました。2001年6月、「対馬丸記念館」が全額国庫補助で建設されることが決まり、対馬丸遭難者遺族会は財団法人対馬丸記念会へ組織移行し、記念館建設のための独自運営を始めたのです。

対馬丸に乗船していた疎開者のうち、半数は学童集団疎開の子どもたちだったことから、館内の展示は 「子どもと戦争」に焦点をあてることとしました。対馬丸記念館は「対馬丸の子どもたち」と「今を生きる子どもたち」が出会い、戦争や平和について対話できる空間でありたいという思いがありました。
しかし、記念館には展示する「もの」がありませんでした。犠牲者の遺品や遺影は、十・十空襲やその後の地上戦でほとんど消失しましたし、たとえ残っても戦後の混乱の中で紛失してしまったり、持ち主がいない「もの」たちを遺族が廃棄してしまう例も少なくなかったのです。なによりも60年の年月の経過によって、多くの遺族が他界してしまったという現実的な問題もありました。
わずかな一次資料や館内の映像「海よ、いのちよ」より遺品・遺影を集めながら、同時進行させたのは生存者・遺族の証言を記録することでした。展示スペースが狭隘なため(常設展示室の面積は、ひめゆり資料館の約4分の1)集めた証言を「展示物」として設置できないことから、資料と証言を一つのパネルにおさめることにしました。来館者に、頭と心の両方で対馬丸撃沈事件を知って欲しいというねらいです。
また、来館する子どもたちが等身大であの時代を感じ、受け止めることが出来るよう、文字ばかりでなく写真やイラスト、復元物なども多用しました。小学校高学年生でも理解できるよう、漢字にはルビをふり、解説文では出来る限り難解な語句を避けるなど、注意しました。
開館時には遺影101点(116名分)、14名分の遺品を展示します。また「対馬丸の子どもたちがもし言葉を発してくれるなら今の社会に何を語りかけるだろう」という発想で、常設展示室の最後に「対馬丸の子どもたちからあなたへ」というメッセージを掲げました。対馬丸の子どもたちとの対話の時間です。

http://www.tsushimamaru.or.jp/jp/about/about1.html

「対馬丸」撃沈70年

太平洋戦争中の一九四四年八月、沖縄から長崎へ向かった学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈され、千四百八十五人が犠牲になった事件から七十年を迎えた二十二日、那覇市の慰霊碑「小桜の塔」で慰霊祭が開かれ、生存者や遺族らが犠牲者を追悼、平和の象徴とされるチョウのオオゴマダラ数十匹を放し、不戦の誓いを新たにした。
 対馬丸記念会の高良(たから)政勝理事長(74)は「年々、遺族や生存者が少なくなっている」と述べ、事件を語り継ぐ重要性を強調。「み霊の安らかならんことを願う」と追悼の言葉を贈った。四歳で事件に遭遇した高良さんは、家族九人を失った。
 「二人を引き留めていれば…」。引率教員として乗船した兄と姉が犠牲になった遺族の津波古(つはこ)ヒサさん(86)=南風原町=は戦後、学童に疎開を勧めた兄と姉が批判の対象に。「やり切れない思いでいっぱいだった。戦争が憎い」と声を振り絞った。
 二十二日で開館から十年を迎えた対馬丸記念館では、対馬丸が沈没した午後十時二十三分に追悼式を開き、遺族らが沈没現場の鹿児島県・悪石島(あくせきじま)沖に向かい黙とうする。記念館は二十二日、新たな判明分を加え、犠牲者数を千四百八十五人と発表した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082202000240.html

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