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【キャンディーズ】本物の国民的アイドルグループだった奇跡の3人組

昨今はアイドル戦国時代とも云われ、特にAKB48やももいろクローバーZの活躍ぶりは「国民的アイドル」とも称されます。そのことにまったく異論はありませんが、しかしながらあの頃のキャンディーズは特別でした。

更新日: 2017年09月18日

Mark818さん

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アイドルグループとして初めての5万人超

1978年4月4日、後楽園球場で開催された解散コンサートの観客は55,000人。さらにチケットを入手できなかったファンが会場の外に10,000人以上集まって音漏れを聞いていたと云われています。今では、ももいろクローバーZなどのアイドルグループが活躍し、5万人以上を集客することも珍しくなくなりましたが、35年以上前の当時は日本のアイドルグループが後楽園球場のような巨大なスタジアムでコンサートを行うなど考えられないことでした。

単独アーティストによる音楽番組で過去最高の視聴率

解散コンサートを録画中継した番組「さよならキャンディーズ」が1978年4月7日にTBS系列で放送されました。この番組の平均視聴率は32%で、オンラインでの調査開始以降、単独の日本人アーティストによる音楽番組では過去最高、未だ誰にも破られていない記録なのだそうです。番組で中継された解散コンサートの模様は今でもDVDで観ることができます。

TBS「さよならキャンディーズ」
1978年4月7日放送

78年4月に後楽園球場で行った解散コンサートに、フィルムコンサート用に撮影した映像を追加したDVD。「アン・ドゥ・トロワ」「微笑返し」「春一番」ほか、全21曲。

流行語大賞間違いなし?の大流行

1977年7月、人気絶頂のキャンディーズは突如解散を発表しました。7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサート終演後にメンバーが泣きながら叫んだ「普通の女の子に戻りたい」という言葉は当時大流行しました。当時はまだ「流行語大賞」はありませんでした(1984年~)が、あれば間違いなく「普通の女の子に戻りたい」が1977年の大賞となったことでしょう。

キャンディーズカタログという本に付録予定だった音源より。

皆が知ってた ラン・スー・ミキ

昨今はアイドル戦国時代とも云われ、特にAKB48やももいろクローバーZの活躍ぶりは「国民的アイドル」とも称されます。そのことにまったく異論はありませんが、しかしながらあの頃のキャンディーズは特別でした。現代の若い方には考えられないかもしれませんが当時、日本人なら誰でもラン・スー・ミキの3人のことを知っていましたし、誰もがキャンディーズの解散を惜しんでいました。何しろ彼女たちの最後の姿を3000万人以上の日本人がテレビの前で見守っていたのです。キャンディーズは、本物の国民的アイドルグループでした。

ちなみに・・・もうお気付きかもかもしれませんが、キャンディーズはメンバーごとにイメージカラーが決まっています。色分けした最初のアイドルグループはキャンディーズなのです。ももクロさんのように徹底してませんけど。ミキちゃんが黄色、ランちゃんが赤、スーちゃんが青です。

それではご覧ください

1976年発表の7キャンディーズの代表作。

ハゲヅラもノリノリでかぶってコントしてましたね。ドリフターズとのコントは最高でした。

初期の名曲。4枚目のシングルまではスーちゃんがセンターでした。

このシングルの大ヒットで一気にスターダムへ。

あの吉田拓郎さんが作曲を担当。この曲のフリの一部「デビルサイン」も流行しました。

やたらとカバーされる名曲。しかしどのカバーもオリジナルを超えられない典型。

ラストシングルの1コ前のシングル。ランちゃんとスーちゃんが、シングル曲で一度もセンターになれなかったミキちゃんを「是非センターに!」と大人たちに掛け合ったという伝説が残っています。そんなわけでシングル唯一のミキちゃんセンター曲。

最後のシングル。オリコンシングルチャート1位。今では当たり前ですが、曲の途中でセンターが入れ替わるフリが当時とても珍しかったのです。そういうことを初めてやったのもキャンです。

キャンディーズの歴史

1972年(昭和47年)4月: NHK『歌謡グランドショー』のマスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として「キャンディーズ」誕生
1972年(昭和47年)12月31日: スクールメイツとして『第23回NHK紅白歌合戦』の舞台を踏み、多数のメンバーのうち3人は別の色の衣装を着て舞台中央で踊る[2]。また橋幸夫が歌唱した『子連れ狼』でバックコーラスを務めた(出場歴に数えず)
1973年(昭和48年)4月7日: TBS『8時だョ!全員集合』のアシスタントとしてレギュラー出演
1973年(昭和48年)9月1日: 「あなたに夢中」でレコードデビュー(当時のメインボーカル・センター位置は田中が担当)
1974年(昭和49年)3月: 広島ナタリーでCM初出演[3]
1974年(昭和49年)3月17日: 代々木・山野ホールで初コンサート(800人)
1975年(昭和50年)2月21日: シングル「年下の男の子」リリース・初の大ヒットでオリコン9位を記録(メインボーカル・センター位置を同曲以降田中から伊藤に交代)
1975年(昭和50年)10月19日: 『キャンディーズ10000人カーニバル』開催(蔵前国技館 / 8600人)
1975年(昭和50年)12月31日: 「年下の男の子」で第26回NHK紅白歌合戦初出場
1976年(昭和51年)3月1日: シングル「春一番」リリース・オリコン3位を記録
1976年(昭和51年)10月11日: 『キャンディーズ10000人カーニバル Vol.2』開催(蔵前国技館 / 13500人)
1976年(昭和51年)12月31日: 「春一番」で『第27回NHK紅白歌合戦』出場(通算2回目)
1977年(昭和52年)7月17日: 日比谷野外音楽堂でコンサート中、突然の解散宣言
1977年(昭和52年)11月26日: NHK『男たちの旅路 第3部 墓場の島』で歌手役でゲスト出演する
1977年(昭和52年)12月5日: シングル「わな」リリース(メインボーカル・センター位置はミキが同曲で唯一の担当)
1977年(昭和52年)12月31日: 「やさしい悪魔」で『第28回NHK紅白歌合戦』に出場(通算3回目、最後の紅白出演)
1978年(昭和53年)2月25日: シングル「微笑がえし」リリース・初のオリコン1位を達成(3月12日付)
1978年(昭和53年)4月4日: 『ファイナルカーニバル』(後楽園球場 / 55000人)をもって解散
引用:wikipedia

シングルレコード
1973/09/01 「あなたに夢中」 詞:山上路夫 曲:森田公一 編:竜崎孝路
1974/01/21 「そよ風のくちづけ」 詞:山上路夫 曲:森田公一 編:穂口雄右
1974/04/21 「危ない土曜日」 詞:安井かずみ 曲:森田公一 編:竜崎孝路
1974/09/21 「なみだの季節」 詞:千家和也 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1975/02/21 「年下の男の子」 詞:千家和也 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1975/06/01 「内気なあいつ」 詞:千家和也 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1975/09/01 「その気にさせないで」 詞:千家和也 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1975/12/05 「ハートのエースが出てこない」 詞:竜真知子 曲:森田公一 編:竜崎孝路
1976/03/01 「春一番」 詞:穂口雄右 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1976/05/31 「夏が来た!」 詞:穂口雄右 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1976/09/01 「ハート泥棒」 詞:林春生 曲:すぎやまこういち 編:船山基紀
1976/11/21 「哀愁のシンフォニー」 詞:なかにし礼 曲:三木たかし 編:馬飼野康二
1977/03/01 「やさしい悪魔」 詞:喜多条忠 曲:吉田拓郎 編:馬飼野康二
1977/06/21 「暑中お見舞い申し上げます」 詞:喜多条忠 曲:佐瀬壽一 編:馬飼野康二
1977/09/21 「アン・ドゥ・トロワ」 詞:喜多条忠 曲:吉田拓郎 編:馬飼野康二
1977/12/05 「わな」 詞:島武実 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1978/02/25 「微笑がえし」 詞:阿木耀子 曲:穂口雄右 編:穂口雄右
1978/11/21 「つばさ」 詞:伊藤蘭 曲:渡辺茂樹 編:渡辺茂樹

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Mark818さん

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