永禄3年(1560年)、一益は「北伊勢の桑名は美濃との境であり、患となる可能性があるため、桑名長島の地を得、北畠氏や関氏に対し備えようと思う」と信長に進言、まずは尾張荷ノ上の土豪で長島城主・服部友貞の資金によって蟹江城を構築、やがて友貞を放逐し、蟹江城主となる。永禄6年(1563年)には松平家康(後に徳川に改姓)との同盟交渉役を担う(清洲同盟)。
永禄10年(1567年)、永禄11年(1568年)の2度に渡る伊勢攻略の際には攻略の先鋒として活躍しており、源浄院主玄(後の滝川雄利)を通じ北畠具教の弟・木造具政を調略、具教が大河内城を明け渡した際には城の受け取りを任され、戦後は安濃津・渋見・木造の三城を守備することを命じられた。

出典滝川一益 - Wikipedia

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