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自然農をはじめよう

最近、川口由一さんの「自然農」が注目されています。さまざまな自然農法の中での「自然農」の位置づけと、基本的なやりかた、良さについてまとめてみました。

更新日: 2014年09月22日

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この記事は私がまとめました

yuu2011さん

「自然農法」にはいろいろあります

◎岡田茂吉の自然農法
岡田茂吉(1882年生まれ、宗教家)さんは自然農法の元祖的な存在で、無農薬はもちろん肥料を一切使用せず、土壌本来の力を発揮させ、作物を栽培するというものです。

◎福岡正信の自然農法
福岡正信さんは1947年から自然農法に取り組み、不耕起、無肥料、無農薬、無除草を大原則とした、人為的な関与を避けた自然農法を行うとしています。

◎川口由一の自然農
川口由一さんは独自の「自然農」を確立します。耕さず、肥料は施さず、農薬除草剤は用いず、草や虫を敵としないが原則。ただし、人力による除草は肯定しています。

◎木村秋則の自然栽培
「奇跡のリンゴ」で全国区で有名になった木村秋則さんは初めて無農薬・無施肥のリンゴの栽培に成功した自然栽培実践者の一人です。

◎赤峰勝人の循環農法
赤峰勝人さんは無農薬、無化学肥料、完熟堆肥による独自の循環農法で、陰陽五行による東洋的観点を軸に「大宇宙に存在するすべてのものは回転し循環している」という法則に沿った栽培を提唱しています。

川口由一さんの自然農は、小規模な自給用には最適

鎌一本ででき、あまり手間がかからず、自家用としては十分な実りがあり、自然界のいのちの営みに沿った農的暮らしができるからです。

1939年、専業農家の長男として生まれ、中学卒業と同時に農業を引き継ぐ。農薬をつかった農業のなかで心身の状態を損ねたことをきっかけに、自然と共生する農の在り方を模索。70年代中盤から自然農に取り組み、今年で28年目を数える。自然農の実践は映画『自然農ー川口由一の世界』としても記録され、各地で自主上映が続けられている。「妙なる畑の会(奈良桜井市)」「赤目自然農塾(三重名張市)」などの学びの場を通し、自然農を全国に伝えている。

田畑の中では、お米や野菜、草や虫、小動物や微生物……無数のいのちが別なき一体の営みをする中で、生死を繰り返し、次のいのちへと巡らせます。この完全絶妙な自然の営みと巡りが自ら必要なものを過不足なく用意し続けていきます。田畑に立つ私たちも又、ここに沿うことで平安です。
 農薬や化学肥料、堆肥や微生物、機械や施設、石油やビニールなど、何も用いることなく、健康で清浄な、安全で美味な恵みを手にすることができます。最も単純で小労力で栽培でき、環境に一切問題を招かない永続可能な農です。

自然農の3大原則

野菜作りは耕すのが当たり前に思われていますが、耕すことで土中の微生物が死に絶え、肥料を入れなければならなくなります。自然の営みを壊してしまうので、肥料や農薬ですべて人為的にコントロールして作物を育てることになってしまうのです。

いっぽう自然の森に行くと、誰も耕さないのに土はふかふかで、さまざまな植物が共存しています。
自然農は、こうした自然界の営みに学びつつ、私たちの生命の糧をいただこうとするもの。土を耕さないので、土中に虫やミミズや微生物などが生息し、そのいのちの営みが土を豊かにしてくれるのです。

草(雑草)は根を残して刈るだけ、刈った草は地表に敷きます。小さな草はランドカバーとして土の湿り気を保ってくれるので、そのままにしておいて大丈夫。
こうすることで地表に植物の死骸が堆積した「亡きがらの層」ができ、その下にさまざないのちの営みが生まれます。植物、虫、ミミズ、菌類など、多様ないのちのバランスがとれていて、野菜もその生態系の一部として元気に育てば、害虫も益虫もほどよく共存し、大きな被害が出ることはないのです。自然界では、害虫だけが大発生することはめったにないのですから。

肥料を外から入れることなく、刈った草や野菜くずなどをそのまま置いておけば、やがてそれが豊かな土になり次の実りにつながります。
生態系のバランスがとれていれば、農薬がなくても大きな問題は起きません。野菜を食べる虫がいても、その虫を食べる虫もいるからです。自然界には意味のない存在はいません。
単一作物だけを大量に育てようとする現代の農業では、病気が広がりやすいうえ、肥料で無理に大きくすることで虫が集まりやすくなって農薬が必要になるのです。

実際にはどうやるの?

多少雑草が生えていて土がフカフカな土地が理想です。大きな根だけを除き、あとは草を抜かずに刈ってかぶせておきます。草のない堅い土でも、どこかから草を刈ってきて敷いてやります。痩せた土地では米ぬかを撒くと発酵が促進されます。
水はけの悪い土地では、排水と通路を兼ねた溝を堀り、その土を盛って畝を立てます。

生えている草で土の性質がわかります。化学肥料を入れていた畑は土が固く(微生物が少なく)、スギナやセイタカアワダチソウが生い茂ります。そのような畑でも、刈った草を敷いていれば土は次第によくなってきます。
土のpHや湿り気(水はけ)、日照などに合わせて作物を選びます。

草刈り鎌と移植ゴテ(苗の定植など)、それに軍手があれば、とりあえずなんとかなります。耕さないから、重労働もあまりありません。

「種をおろす」とも言います。
作物の種類によりますが、直播きの場合は株間を2〜3十センチあけ、一箇所に2〜3粒おろします。
耕さずに周りの草を刈り、種をまく場所だけ土を露出させ、種の直径と同じくらいの厚さだけ、上から土を振りかけて、水をやります。
さらに乾燥しないよう、上を細かい草葉で覆っておきます。

やがて草葉の間から芽が出てきます。

春蒔きのナス科、ウリ科、それにキャベツやレタスなどはポットやトレイで苗を育ててから畑に移植します。春蒔きの場合3月だと霜がおりるので室内で育てたりします。

作物には相性があり、うまく組み合わせることで虫や病気を防いだり、育ちが良くなったりします。トマトとバジルなど、代表的な組み合わせを知っておきましょう。カボチャとトウモロコシのように、日照を考えて高さの異なる作物を組み合わせることも大事です。マリーゴールドやネギ科は、虫除けに重宝します。
左図で、実線で結ばれているものを隣り合わせましょう。それぞれの野菜が何科で、どの科と相性がいいかがわかると、菜園を計画するのが楽しくなります。収穫時期や背丈なども考えて組み合わせを考えます。

前に何を植えていた場所かも注意し、連作障害(ナス科、ウリ科、マメ科は続けて植えない)を避けたり、地力を使う野菜を続けて植えないようにしたりします。

自然に任せるといっても、農作物は自然の草より弱いものが多いので、とくに小さいうちは周りの草に負けないよう、時々草を刈って敷きます。
土を露出させないことで乾燥を防ぐとともに、積み重なった「亡きがらの層」の下にミミズや微生物が増え、土が豊かになっていきます。根を残しておくことで、土が固くならず土中にスキマができます。
肥料は基本的にやりませんが、場合によっては油粕を軽く株間に撒くことはあります。

ウリ科などの苗は、定植したらビニルで行灯型の覆いをつくったりして虫から守ります。
作物を食べる虫がいれば手で除きます。大きく元気に成長すれば、そのような手間はあまりいらなくなります。

作物によって、必要に応じて間引き、苗の保護、芽かき、支柱立てなどを行ないます。収穫後も、できるだけ種取り用の株を残して自家採種しましょう。

私の畑です。夏の様子(カボチャ)。
最初のうちは、夏はニジュウヤホシテントウやカメムシなど、春先はアオムシなどにやられたりもします。(たくさん出る場合は手で取ります)
しかし3年くらいすると土も良くなり、生態系のバランスができてきて、特定の虫がたくさん出ることは少なくなります。一般に、虫は元気のない作物や、化学肥料を与えすぎた作物につきやすいのです。

赤ピーマン。右上にカメムシがいます。

冬の様子です(1月中旬)。手前が赤かぶ、奥に葉物(タカナ?)が見えます。
丈の低い草はそのままにしてあり、その間で野菜が実ります。虫やミミズなど、さまざまないのちが共存しています。
とにかく作物や畑の状況をしっかり観察することが大切です。ガチガチにならず、状況に応じて柔軟に対応していきます。

ブロッコリー。無農薬・無肥料ですが虫もつかず元気です。株間にはランドカバーとしてクローバーを生やしています(マメ科なので窒素分を固定して土を豊かにしてくれます)。

自然農で、いのちの世界に触れる

自然農の畑とともに暮らすことは、その土地と、そこに生きる幾多のいのちと共存して生きていくことです。四季を通じて土地の生態系に程よく介入し、虫やミミズや草や微生物など多様な生命に触れつつ、実りをいただく。そうするうちに私たちは自然との深いつながりを実感し、そのつながりと循環によって生かされていることに気づきます。それは21世紀を生きのびる上で、とても大切な体験になるでしょう。日々の食料の自給ということを越え、地に足をつけて、生きていることの意味に触れることができるはずです。自分が地球の営みの一部となって生きることです。

自然農は、自然本来である自然なるいのちの営みに添い、応じ、従い、任せる農です。
人類の誕生も、この今の存在も、やがて寿命至っての死滅も、自ずから然らしむるものであり、農において、 衣食住において、生活すべてにおいて、いのち自ずからなる自然に添い、応じ、従い、任せるところに、真の平和と豊かさがあり、 人類の全うがあります。(川口由一)

大切な私の人生を考える時に、基本になるのは、いのちの世界でいのちあるものとしてのあり方を明らかにすることです。いのちあるものとしてのあり方を明らかにするには、このいのちの世界がどうなっているのか、それを明らかにしないと見えてくることはありません。(川口由一)

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