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高校野球の名将。済美高校上甲正典監督。

選抜高校野球大会で2回の優勝を果たした、済美高監督の上甲正典さんが9月2日、胆管がんのため愛媛県東温市の病院で亡くなった。67歳。笑顔を絶やさず上甲スマイルで親しまれ、今夏の県大会も指揮を執っていたが体調を崩し、8月下旬から入院していた。

更新日: 2016年05月29日

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saburou428さん

高校野球界には大きな損失

高校野球の監督として2度のセンバツ優勝を果たした済美(愛媛)の監督、上甲正典監督が9月2日午前、胆道がんのため愛媛県東温市の病院で死去したことが関係者の話で分かった。67歳。愛媛県出身

その笑顔は上甲スマイルと呼ばれ、多くのファンの心を掴んだ。

逆境を跳ね除け、勝ち進んで行く姿には感動しました。

これほど野球に情熱を注ぐ人もいない

練習試合などでは、相手チームの選手にも1時間近く野球指導したり、その情熱は自チームに留まらなかった。

「野球のことを熱く語る人だった。『甲子園はいいところだ』と何度も話していた。再スタートを切ったところだったので本当に無念だったと思う」。済美高校野球部の創部当時に副部長として上甲さんを支えた同校の永井康博教頭(56)は悔しそうな表情をみせた。

▼上甲監督の残した熱い思いは、彼らが引き継ぎますよ。

●岩村明憲 35歳 三塁手、二塁手

●福井優也 26歳 投手

済美高校の上甲監督を慕って入学。1年秋からエースになり、2004年春のセンバツでは創部2年目で甲子園初出場初優勝。

2010年ドラフト1位で広島入団。

宇和島東で上甲監督の指導を受けたヤクルトの岩村明憲内野手は「後の人生でたくさんの大切なことを教えていただいた。もっとしかってほしかった」とコメント。04年に選抜大会を制した済美のエース、広島・福井優也投手は「監督がいなかったら、今の僕はない。高校3年間で人間的にも成長させてもらった」と言葉を絞り出した。

晩年は色々と問題もあったが・・・

高校野球の強豪・済美(さいび)(松山市)が、下級生部員にカメムシを食べさせようとするなどしたいじめ問題を受け、9~10月の秋季四国地区高校野球愛媛県大会への出場を辞退したことがわかった。

残念な出来事です。

“上甲スマイル”と呼ばれた笑顔の裏に、「鬼」と呼ばれたほどの実像があったことは後述する。宇和島東高での平井正史(現オリックス)、宮出隆自(現ヤクルト・コーチ)、岩村明憲(現ヤクルト)。済美高での鵜久森淳志(現日本ハム)、福井優也(現広島)…。のちにプロ野球に進む選手たちの時代には、今では大問題になる“鉄拳指導”もいとわなかった。

指導法にかなり悩んでいたようです。

その情熱、魂は未来へと受け継がれる

亡くなった愛媛・済美高監督の上甲正典氏は、亡くなる前に長女の夕美枝さんに「馬淵君だけには会いたい」と懇願した。

 高知・明徳義塾の馬淵監督は8月26日に見舞いに訪れた。ベッドに横たわり、酸素チューブを鼻に通した状態で約1時間半「ほとんど野球の話」(馬淵監督)に花を咲かせた。

馬淵監督は「球界の大きな灯が消えた。星が落ちた」と、30年来の付き合いの上甲氏の死を悼んだ。8月26日に見舞いに行った際、上甲氏が「安楽のドラフトまで、ちゃんとしたらなあかん」と、ドラフト候補右腕の将来を気にかけていたことを明かした。

親交が深かった高知・明徳義塾の馬淵史郎監督や、指導を受けた済美・安楽智大投手、プロ野球ヤクルトの岩村明憲内野手ら約700人が参列し、別れを惜しんだ。

ご冥福をお祈り致します。

2日に胆管ガンで亡くなった済美(愛媛)の上甲正典監督(享年67)の告別式が行われ、プロ注目の右腕安楽智大投手(3年)が弔辞を読んだ。

「監督さんのためにプロ野球で活躍します。それがぼくができる最高の恩返しだと思います」。これまで進路を明らかにしなかった安楽だが、原稿にない言葉でプロ志望を明確にし、恩師に別れを告げた。

活躍が何よりの報告です。

足を止めた。福井は肩を震わせ、涙があふれた。目頭を押さえながら泣き続けた。「悔しいです。今日は勝ちたかった」。チームのためにも、恩師のためにも、どうしても勝利を届けたかった。

その力投は上甲監督に届いてると思います。

同校入学時に上甲氏と「甲子園優勝」「球速160キロを出すこと」「ドラフト1位でプロ野球に行くこと」と3つの約束を交わした。「2つの目標は果たせなかったのですが、今、3つ目の目標に向かって歩んでいます」

最後の教え子となった済美高野球部の安楽智大投手も、入学したときに上甲監督と3つの約束(甲子園優勝、球速160キロ以上、ドラフト1位)を交わしたことや、ヒジの治療に付き添ってもらった思い出などを紹介。「ここまで上達し人間的に成長できたのも、監督さんに出会えたから。もう一度、あの『笑顔』が見たい。心からそう思う」と悲しみを語った。

上甲監督が最後に見た夢

「夢叶うまで挑戦」。上甲監督の座右の銘。

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