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国松長官狙撃事件まとめ【中村泰】

警察庁長官狙撃事件(けいさつちょうちょうかんそげきじけん)とは、1995年(平成7年)3月30日に、日本の警察庁長官國松孝次が何者かに狙撃された事件である。

更新日: 2014年09月01日

win-winさん

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国松長官狙撃事件とは

警察庁長官狙撃事件(けいさつちょうちょうかんそげきじけん)とは、1995年(平成7年)3月30日に、日本の警察庁長官國松孝次が何者かに狙撃された事件である。

1995年(平成7年)3月30日午前8時31分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男が拳銃を4回発砲。國松はそのうち3発を腹部などに受け、全治1年6ヵ月の瀕死の重傷を負った。男は自転車で逃走し、現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。

狙撃から1時間後にテレビ朝日に電話がかかる。電話の声は、國松孝次警察庁長官に続く次のターゲットとして、井上幸彦警視総監や大森義夫内閣情報調査室長らの名前を挙げて、教団への捜査を止めるように脅迫した。10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられて8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。

國松は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務へ復帰した。

銃を発砲した犯人は黒っぽいレインコートに白いマスクをし、黒っぽい帽子を被っていたとされている。

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%BA%81%E9%95%B7%E5%AE%98%E7%8B%99%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%BA%81%E9%95%B7%E5%AE%98%E7%8B%99%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

1937年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。1961年に警察庁入庁後、警視庁本富士署長、フランス大使館一等書記官、内閣官房長官秘書官、大分・兵庫各県警本部長、警察庁刑事局長などを経て、1994年警察庁長官就任。

東京都荒川区南千住6丁目37番11
アクロシティEポート通用口

捜査

オウム真理教の信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)は取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年(平成8年)5月には詳細に供述していた。しかし、警視庁公安部はその事実を警察庁に5ヶ月間報告せず、世間に明るみになることもなかった。同年10月、マスコミ各社に「犯人は警視庁警察官」とする告発文書が捜査関係者と思われる匿名の人物から郵送され、10月25日には各社が供述を報道し始める。同年10月27日には「銃を捨てた」という供述に基づき神田川を捜索するも、事件から既に1年半以上経過しており、川底にヘドロが堆積していたこともあり発見には至らなかった。物証が発見されず、供述に矛盾点が多いとして立件は1997年(平成9年)6月に見送られた。なお、この巡査長はオウム幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、1997年1月には地方公務員法違反容疑で書類送検されるものの起訴猶予処分となった。この供述を警察庁に報告しなかった責任から、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職に到った。

またテレビ朝日に脅迫電話をかけたとして砂押光朗・教団建設省幹部が1995年9月に職務強要罪で逮捕された。最新の声紋鑑定機器での鑑定や電話の録音音声を複数の信者に聞かせた結果では90%の確率で同一人物とされたが「現段階での起訴は困難」として不起訴となった。

特別捜査本部は1999年(平成11年)に捜査のやり直しを決定し、捜査員が元巡査長との接触を繰り返すと新たな供述が捜査結果と合致するようになったことから、事件発生から9年余りを経た2004年(平成16年)7月7日、元巡査長の会社員、岐部哲也・教団防衛庁長官(当時)、砂押光朗・教団建設省幹部の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。 さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一・教団法皇官房次官(事実上の長官)も島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。しかし、元巡査長の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたことや容疑者らと実行犯との関係と役割が解明出来ないことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。

警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた早川紀代秀と端本悟を現場指揮役と実行犯と疑っているが、2人は犯行を否定している。
2008年(平成20年)3月、オウム真理教とは関係ない別の強盗殺人未遂事件で逮捕された男が犯行を示唆する供述をしていると報道された。

2010年(平成22年)3月30日午前0時に公訴時効到来(ただし、後述の強盗殺人未遂犯説については、事件後に計1年近く海外渡航しているため、刑事訴訟法第255条によって1年近く公訴時効が停止している)。
30日には警視庁公安部長が記者会見を開き、公訴時効が午前0時を以って成立したことと共に、この事件がオウム真理教の信者による組織的なテロであるとの所見を示したが、この記者会見に対し識者から批判が相次いだ。会見では14ページの「捜査結果概要」を公表し、この中で麻原を含めた教団元幹部や元信者ら計8人(麻原を除く7人は匿名)についてそれぞれの行動や会話内容などを列挙したものの、「犯行に関与した個々の人物やそれぞれの役割を、刑事責任の追及に足る証拠をもって解明するには至らなかった」とした。また警視庁が捜査結果概要をホームページで公開したことに対し、教団主流派で構成するアレフが苦情申し立てを行ったが、国家公安委員会は5月27日、「特段の対応はない」と通知、東京都公安委員会も同28日、「不適切な点は認められなかった」と回答した。

公訴時効を受けて國松は、警視庁の捜査を「不合格の捜査」と評したが、自ら油断があったことを認めた。そして「時効は残念だが、苦労した捜査員にご苦労様と言いたい」と捜査員をねぎらった。また「狙撃事件は、自分の中で終わったか」との問いには、「被害者にとって絶対に忘れられない」と答えた。

東京地方検察庁は2010年(平成22年)10月25日、長官狙撃事件への関与を認めて殺人未遂容疑で告発されていた男(80歳、服役中)を嫌疑不十分で不起訴にした。「自白の信用性に疑義があり、犯人と認めるに足りる証拠がない」としている。

2011年(平成23年)2月18日、警視庁公安部は長官狙撃事件の捜査について検証結果を公表した。その中で初動捜査で目撃情報の聞き込みや防犯カメラの回収が不徹底だったこと、事件への関与を認める供述をしたとされる元巡査長について、秘密保全を優先し裏付け捜査に遅れが出たことを認めた。また元巡査長が着用していたコートの鑑定に大型放射光施設「スプリング8」の使用が遅れるなど科学捜査の課題について指摘した。

2011年5月12日、教団主流派で構成するアレフは、警視庁が「オウム真理教によるテロ」とする内容の捜査結果を公表したことで名誉を傷つけられたとして、東京都と池田克彦警視総監を相手に5千万円の損害賠償などを求める行政訴訟を東京地方裁判所に提訴した。また2012年1月26日、日本弁護士連合会は、アレフの人権救済申し立てに基づき、警視庁に対して発表内容の撤回などを求める警告を行った。2013年1月15日、東京地裁は「警視庁公安部の行為は推定無罪の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として名誉毀損の成立を認め、アレフへ100万円の賠償と謝罪文交付を東京都にのみ命じ、池田への請求は棄却した。朝日新聞も社説で“恥の上塗りという他ない、警察の完敗” “わが社は当時、警察のやり方を批判した。警察が違法行為に手を染めてどうする” “都は求償権を発動し当時の幹部(公安部長だった青木五郎など)に賠償金を負担させるべきだ”と論じている。都は判決を不服として控訴したが、東京高裁は11月27日、捜査結果の公表については「国民の関心が高く、警察が国民に説明する必要性はある」と一定の理解を示したが、オウムを犯人と断定した記述については警察権限の乱用と認め、謝罪文命令については「一審判決の内容が報じられたことで一定程度、名誉は回復された」として控訴を棄却。2014年4月17日、最高裁は上告を棄却し、判決が確定した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%BA%81%E9%95%B7%E5%AE%98%E7%8B%99%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

国松長官狙撃事件の真犯人は「中村泰」なる スナイパー?

中村泰

1956年11月、27歳の時に銀行強盗に失敗して警官を射殺して無期懲役 で服役。1976年に仮出所して、2002年11月にUFJ銀行強盗殺人未遂 事件で逮捕された中村泰。この間、数々の事件への関与が疑われている。


http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1325690664/

特に、1995年3月の国松警察庁長官狙撃事件は新潮45誌の 「国松長官狙撃事件と私」で自分がやったと告白。また、同年1995年7月の スーパーナンペイ殺人事件では犯行に使われた銃の線状痕が中村の所有 する銃と酷似。

中村は1930年東京に生れる。

父は中国・大連で仕事をしており、中村自身も幼少期をそこで過ごす。

帰国後は、茨城県に居住、「秀才」の呼び名も高く東京大学に入学する。

人生の歯車が狂うきっかけとなったのは、東京大学在学中に参加した左翼運動だった。

学生組織にも所属、警官隊と衝突する事もしばしばだったという。

平成7年3月、国松孝次警察庁長官(当時)が東京都荒川区の自宅マンション前で銃撃された事件で、別の強盗殺人未遂事件で実刑判決を受けて上告中の中村泰(ひろし)被告(77)が警視庁に対し、犯行を示唆する供述をしていることが19日、分かった。中村被告は犯行前後の現場の状況について詳細に供述しているほか、銃撃に使用したとされる回転式拳銃と同種の拳銃を米国内で購入していたことも判明した。

 長官銃撃事件について警視庁はオウム真理教による組織的犯行とみていたが、新たに中村被告の供述を得たことで、その信憑(しんぴょう)性についても慎重に捜査を進めている。中村被告は13年10月に大阪市で発生した現金輸送車襲撃事件などで強盗殺人未遂や銃刀法違反の罪で起訴され、昨年3月に大阪地裁で無期懲役の判決を受け、最高裁に上告している。

 中村被告は警視庁に対し、犯行当時の状況について詳細に述べたうえで(1)犯行に使用した自転車を現場から南西約600メートルの喫茶店前に乗り捨てた(2)犯行後にJR山手線に乗り拳銃を東京・西新宿の貸金庫に預けた-と供述。このうち(1)については、事件直後の放置自転車一斉捜索で供述通りの場所で発見されていたことが判明。(2)についても、中村被告が契約していた貸金庫の記録から当日の午前9時26分に開扉されていたことが分かった。また、当初は犯行の2日前に銃撃しようと長官の住むマンションに向かったが、スーツ姿の警察官2人が長官を出迎えたことから警備が強化されたと思い、この日の犯行を断念したと供述。実際、2人の警察官が長官宅を訪れており、この事実は警察内部でもほとんど知られていなかったという。警視庁では、こうした供述が「秘密の暴露」にあたる可能性があるとみている。

 長官銃撃事件では、米国コルト社製の38口径回転式拳銃と、殺傷力が高く国内で使用例がない特殊なホローポイント型のマグナム弾が使用された。拳銃と銃弾の入手ルートについて中村被告は、1980年代後半、偽名を使って米カリフォルニア州のガンショップで購入したと供述。警視庁が捜査員を米国に派遣して調べた結果、中村被告の供述を裏付ける記録が見つかった。拳銃は犯行の翌月、伊豆大島へ向かうフェリーから海に投げ捨てたとしており、警視庁はこのときの乗船記録も入手している。

 中村被告は、14年11月に名古屋市で発生した現金輸送車襲撃事件で現行犯逮捕され、この事件では懲役15年の実刑判決が確定している。名古屋の事件で逮捕後、警視庁などが捜査を進めた結果、中村被告が大阪の事件を引き起こしていたほか、西新宿の貸金庫などに大量の拳銃や実弾を隠し持っていた。中村被告は産経新聞の取材に対して「(犯行への関与について)否定も肯定もしない」としたうえで、警視庁の調べを受けていることは認めている。

http://seesaawiki.jp/w/niwaka368/d/%C3%E6%C2%BC%C2%D9%A1%CA%A4%D2%A4%ED%A4%B7%A1%CB%C8%EF%B9%F0%3A%B7%D9%BB%A1%C4%A3%C4%B9%B4%B1%BD%C6%B7%E2%A4%F2%B6%A1%BD%D2

中村が関与した事件、または関与が疑われる事件

1956年11月23日 山川治男巡査殺害事件(東京)

1988年04月03日 金融業者夫妻強盗殺人事件(金沢)・・・未解決

1995年03月30日 国松警察庁長官狙撃事件(東京)・・・未解決

1995年07月30日 スーパーナンペイ殺人事件(東京)・・・未解決

1997年08月04日 大阪厚生信金深江支店強盗事件(大阪)・・・未解決

1999年03月05日 三和銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・未解決

1999年07月23日 東海銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・未解決

2001年10月05日 三井住友銀行現金輸送車襲撃事件(大阪)・・・未解決

2002年11月22日 UFJ銀行強盗殺人未遂事件(愛知)

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