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『源氏物語』って誰が書いたんだろう?

今となってはわかりません。

更新日: 2018年03月14日

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mototchenさん

華麗なる源氏物語

実は、筆禍問題がおきないのが不思議なくらい現実の貴族社会を小説にした不道徳?な源氏物語

架空の桐壺帝ではありますが、宇多天皇や伊勢や貫之の作品を読んでいるのですから、ひょっとしたら桐壺帝は宇多天皇のお子さんである醍醐天皇(897年-930年在位)あたりがモデルになっているのではないかという想像が出来ます。
さらに「須磨」の巻には、光源氏が須磨の景色を上手に画いたところ、従者たちが、

このごろの上手にすめる、千枝・常則などを召して、作り絵仕うませらばや、と心もとながり合へり。
とあります。千枝や常則は村上天皇の天暦(947年-57年)ごろの高名の絵師です。村上天皇は醍醐天皇のお子さんです。桐壺帝や源氏は醍醐天皇や村上天皇の時代に実在しているかのように書かれているのです。

現実をモデルにした例を少し挙げれば、夕顔は具平親王の雑仕女の大顔が元になっており、六十歳の恋する女、源典侍は作者の兄嫁の源明子が元ネタで宮廷の官職の実名のまま使われているなどなど

山田孝雄博士が「源氏物語之音楽」で詳しく論じていられるが、作者は、一時代前の、延喜天暦期 (九〇一. 九五六) の音楽を描いているのである。作品の出来た一条天皇 (九八六. 一〇一一) の御代と、延喜天暦期とは、四、五十年ほどの隔りではあるが、楽器の種類などにもかなりの変化があるようである。作者は、儀式、制度、その他種々な点で、しばしば、延喜天暦期にはあって、一条天皇の頃にはなくなっているものを描く

系図関連

前坊と光源氏と朱雀帝は兄弟であり、一番兄が前坊、その次の弟が光源氏、一番下の弟が朱雀院となる(もっとも、ほかにも兄弟はたくさんいた。男は20人、女は8人である)

ちなみに私が想定した実在の「光源氏」の兄の中には、即位せずに亡くなった皇太子が、史実として存在している。また、前坊と朱雀院は母が同じである。すると、20歳過ぎの子供がいる女性が40歳近くになってまた出産したことになり、少し不自然である。しかしこれもまた史実なのだから仕方がない。

この系図はあくまで私の『新史・源氏物語』の系図であり、古典『源氏物語』とは大きく異なっていますのでご注意ください。なお、( )内は一般に使われているネーミングを便宜上入れたもので、古典源氏物語でも『新史・源氏物語』でもこのネーミングは使用しておりません。
なお、この系図の中の人物はほとんどすべてが歴史上の実在の人物です
http://www5b.biglobe.ne.jp/~freema/genji/keizu.htm

古典「源氏物語」の系図とは若干異なるが、史実とは符合している。そしてこの系図は、実名こそ伏せているがすべて実在の人物で、架空の人物は一人もいない。
さて、こうして史実と照らし合わせながら『新史・源氏物語』を執筆していくうちに、私は思わず唸り声を挙げてしまった事実にぶち当たった。それは「少女」の巻の朱雀院行幸のシーンで、「がく所とほくておぼつかなければ、おまへに御ことどもめす(楽所が遠くて音楽がはっきり聞こえないので、琴などを帝の御前にとお呼び寄せになる)」とある部分である。この部分に関して私が『新史・源氏物語』で設定したこの年に関する古記録を調べているうちに、これと全く同じ記述が見つかった。その古記録とは醍醐天皇皇子の式部卿宮重明親王の日記『吏部王記』で、そこには「朱雀院御幸。帰徳之間楽所頗遠、絃音不分明。詔右大臣云、『操絃者近候宣歟』(朱雀院に行幸する。楽所が遠くて楽器の音がよく聞こえないので、帝は右大臣に「楽人をもっと近くに呼ぶように」とお命じになった)」とある

源氏物語の作者が罪をおかした風聞

故に深窓に未だ嫁がざるの女は、これを見て、偸(ヒソカ)に懐春の思いを動かし、冷席に独り臥するの男は、これを披(ヒラ)きて徒に思秋の心を労す、故に彼の制作の亡霊と謂い、此の披閲の諸人と謂い、定て輪廻の罪根を結び、悉く奈落の剣林に堕つ

(大野順一『色好みの系譜』創文社 244頁に引用された返り点つきの文章を読み下し)

澄憲『源氏一品経』

ところで

めくるめくる写本の数々

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