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幻想、倒錯、人形、毒薬…妖しくも美しい澁澤龍彦の世界

古今東西の歴史を縦横無尽に語り、独自の美の世界を繰り広げた澁澤龍彦についてまとめました。

更新日: 2014年09月06日

melodienelさん

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澁澤龍彦

しぶさわたつひこ(1928年-1987年):フランス文学を中心とした翻訳から始まり、中世から近世までのヨーロッパにはびこる歴史教科書に載らない人間の歴史を取り上げたエッセイを書いた。
後に、興味は歴史的事実から人間の想像した事物に移り、最終的には小説を編むようになった。しかし、高岡親王航海記をものして、小説家としての地位も固まり始めた頃にガンに侵されて他界。

サド裁判

サド侯爵 (Marquis de Sade)

1959年にマルキ・ド・サドの著作『悪徳の栄え・続』を出版。作品の加虐性、性的表現が問題とされ、澁澤はわいせつ文書販売および同所持の容疑で、現代思潮社社長石井恭二とともに在宅起訴された。

澁澤はこの裁判について「勝敗は問題にせず、一つのお祭り騒ぎとして、なるべくおもしろくやる」との方針を立てていたため最初から真剣に争う気がなく、「寝坊した」と称して裁判に遅刻したことまであったため、弁護側から怒りを買うことがあった。

エッセイ

植物の性器が、色彩においても匂いにおいても、あのように美しく、しかも公然と人々の鑑賞の眼ざしにさらされているのに、一方、動物の性器が、一般に醜く滑稽なものと思われ、誰もこれについて語る者さえいないのは、よくよく考えてみると、まことに不思議なことではないだろうか。

出典『エロティシズム』

おそらく、肉欲の伴わない芸術的衝動は、真の個性とはなり得ないにちがいない。それと同じように、一つの時代の精神的雰囲気を代表するためには、その時代に徹底的に背を向けて、みずからの宇宙に沈潜する必要があるらしいのである。

出典『イコノエロティシズム——澁澤龍彦芸術論集』

コレクションに対する情熱とは、いわば物体(オブジェ)に対する嗜好であろう。生きている動物や鳥をあつめても、それは一般にコレクションとは呼ばれないのである。艶やかな毛皮や極彩色の羽根を誇示していても、すでに体温のない冷たい物体、すなわち内部に綿をつめられ、眼窩にガラスの目玉をはめこまれた完全な剥製でなければ、それらはコレクションの対象とはなり得ないのだ。

出典『少女コレクション序説』

たとえば自動人形だとか、複雑な装置のある時計だとか、噴水だとか、花火だとか、オルゴールだとか、びっくり箱だとか、パノラマだとか……すべてこういった非実用的な、機械と玩具の合の子みたいな巧緻な品物には、なにかしら、正常に営まれるべきわたしたちの生産社会に対する、隠微な裏切りにも似た、ふしぎな欺瞞の快楽にわたしたちを誘い込むものがあるであろう。それは芸術的感動ほどオーソドックスではなく、明らかにそれとは別種のものであり、どちらかといえば、うしろめたい快楽に属すると言った方がよいかもしれない。

出典『夢の宇宙誌』

「毒」という言葉には、あらゆる犯罪者や、ロマンティックな犯罪文学愛好家を強く惹きつける、奇妙に魔術的な、幻惑的な響きがあるように思われる。

出典『毒薬の手帖』

歴史

「実際、伝説によれば彼女は稀代の淫婦、毒物学の知識にすぐれた、おそろしい毒殺魔ということになっているのであるが、―しかし、わたしたちの知るかぎりのルクレチアは、むしろ父や兄の政治的野心に利用されるがままの、完全に受動的な、子供っぽいナイーヴな性格の女でしかないのである」

——『世界悪女物語』

「マリーは毒薬の実験のために、まず犬や猫を使ったが、だんだん、それでは満足できなくなって、人体実験に移っていった。ある日、お菓子や果物をもって、パリ市立慈善病院に姿をあらわし、貧乏な患者たちにそれらをあたえたのである。『さあ、どうぞ、召し上ってくださいね』と言って、やさしい顔をしてすすめる。当時、上流夫人が慈善を行なうのは少しも不思議ではなかった。彼女は大いに感謝され、聖女だという評判になった。しかし、数日後、あわれにも患者たちはばたばた死んでいったのである」

——『女のエピソード』

「この彼女の無謀さ、大胆さは、嬰児殺しジル・ド・レエの錬金術に関する狂気の探求を思わせる。が、ジルと彼女とのあいだには、一つの決定的な相違があることを強調せねばならない。ジルはつねに悪魔ないし神に目を向けた、夢想家肌の男であり、悪事を犯すごとに悔恨の念に苛まれていた。一方、伯爵夫人の心には、彼岸に対する憧憬はまるでなく、悔恨の念はついぞ萌したことがない」

——『世界悪女物語』

美術評論

「デルヴォーの『女の王国』は、わたしたちの意識下の世界、夢の世界に似てくるのだ。ただ、わたしたちが目ざめる瞬間、その克明な細部をあらかた忘れてしまうのを常とする茫漠とした夢の世界を、おどろくべく鮮明なイメージとして再現してくれる」

——「血と薔薇コレクション1 ポール・デルヴォー」『イコノエロティシズム』より

「きみには申し訳ないが、迂闊に近づくわけにはいくまいよ。かりに近づいたとしても、彼女たちはみな自分だけの世界に没入していて、きみなんかには一顧もあたえないだろう」

——「幼虫としての女」『裸婦の中の裸婦』より

「ルーベンスやレンブラントどころか、イタリア・ルネサンスの裸体ともちがうね。彼らのように、色彩の交響のなかに裸体を解き放つのではなく、線と形体のなかに裸体を冷たく凝固させる。裸体をして、われわれの視線に撫でまわされるための、一個の陶器のごときオブジェと化せしめる。これがクラナッハ特有のヌードだな。十六世紀の画家とは思えないほど、おそろしくモダーンな感覚の持ち主だよ」

「エレガントな女」『裸婦の中の裸婦』より

球体関節人形

1965年に雑誌『新婦人』にハンス・ベルメールの球体関節人形の紹介を書いた。有名な人形作家四谷シモンはこの記事を読んで衝撃を受け、球体関節人形を作りはじめた。つまり澁澤は現代の日本における球体関節人形の隆盛のきっかけの一つを作ったと言える。

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