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romonさん

佐藤隆

2006年4月25日、浦和競馬第5競走でトーセンフォワードに騎乗したが、第3コーナー入口付近でトーセンフォワードの故障発生により落馬、前方に投げ出された際に頭部を強打し意識不明の重体となり入院、開頭手術を受ける。手術自体は成功したものの、意識が戻ることはなく、同年8月8日に頭部外傷、急性硬膜下血腫、脳挫傷、静脈洞損傷、肺炎の併発により死去。49歳だった。

竹本貴志

2004年3月28日、1周目第3号障害を飛越しようとしたときに馬が躓き転倒(騎乗馬は予後不良の診断で安楽死処分となった)し落馬、頭を強く打ち、意識不明となった竹本は病院に搬送され、脳挫傷とびまん性脳損傷と診断される。そのまま意識を回復することなく4月2日午前1時12分、死亡、満20歳没。騎手デビューしてわずか3週目での惨事だった。

松井達也

2000年11月23日に行われた第3競走にてヒヤマレディに騎乗中、前の馬に接触し、それに巻き添えとなった3頭の競走馬が落馬する事故が発生。松井は転倒したうえに後続馬にもはねられてしまう。落馬した直後は意識がはっきりしており胸が苦しいと訴えながら直ちに病院に運ばれたが、出血性ショックによりまもなく死亡した。当時、松井は婚約済みで12月には結婚式を控えていた矢先の惨事となった。35歳没。

岡潤一郎

1993年1月、4コーナーで同馬が左後脚に故障(予後不良診断で安楽死処分)を発生し、バランスを崩して馬が転倒するとともに岡が落馬した。その転落の際にヘルメットがずれ、ヘルメットのない頭部を後続の脚が直撃してしまった。救急搬送されたものの、外傷性クモ膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷、脳内出血により意識不明の重体に陥る。その後肺炎を併発して39度の高熱を発し、2月16日に逝去。24歳の若さであった。

玉ノ井健志

1992年9月19日でドウカンパートに騎乗、向こう正面で同馬が故障発生し転倒、落馬した。その際頭部を強打し病院に運ばれたが5日後の24日に脳挫傷のため死去。落馬後運ばれてくるところに駆け寄ったら判別がつかないほど顔がグシャグシャになっていた、という記述をしている。20歳没。

マイク・ベネツィア

アメリカの騎手。1974年1月から3月まで、日本中央競馬会より騎乗許可を得て、関東地区で騎乗。25戦2勝という成績を残した。その後もニューヨーク地区で騎乗していたが、1988年10月13日、ベルモント競馬場の第5競走で騎乗馬が故障して落馬した際、後続の馬に頭を蹴られて即死した。この年を最後に騎手引退を考えていた矢先の事故で、ニューヨーク地区の騎手の中心的存在でもあった。43歳没。

斎藤仁作

1987年4月26日の東京競馬場での障害未勝利戦でグリーンイールに騎乗してのレース中、障害飛越の際に落馬し、東京都立府中病院に収容されるも、脳挫傷、肋骨骨折、右肺血胸のため、その日のうちに死去。33歳没。

千島武司

1977年12月16日早朝、調教中の1歳馬に蹴られたことによる脳挫傷のため逝去、享年25。わずか9年間の短い現役生活で5回のリーディングを獲得したことや、通算勝率の24.2%も安藤勝巳の通算勝率(地方競馬のみ)を上回るなど素晴らしい成績を残しており、早すぎる死が惜しまれる騎手であった。

松若勲

1977年11月5日、前日までの雨の影響で重馬場でのレースとなった。多頭数のなかで先行争いが激化して先団がごちゃつくなか、第3 - 第4コーナーの中間点で、エスプレッソローマが先行馬に触れて落馬した。後方にいた6頭の馬が先に転倒した馬に触れて落馬していった。落馬の際、松若は頭蓋底骨折の怪我を負い、救護室に搬送されたものの、その場で死亡が確認された(即死状態)。33歳没。

石井正善

1969年9月6日、阪神競馬場でのサラ系障害未勝利戦において、ダテストレイトポロに騎乗、最初の障害で飛越に失敗して落馬し、頭部を強打して昏睡状態に陥った。直ちに関西労災病院に搬送され治療を行ったが、その甲斐もなく9月24日に死去した。享年22。

小野定夫

1969年8月3日の中京第4レース(砂1700m)でヒシツルギサンに騎乗、4コーナーで先に故障転倒した馬に躓く形で落馬。頭部を強打して昏睡状態に陥り、直ちに病院に搬送され手当てを受けたものの、回復せずに2日後に死去した。

矢倉義勇

1959年10月25日の第5回東京競馬2日目第3競走で、先に落馬した馬に触れて落馬転倒し、頭部外傷などの怪我を負って入院した。しかし退院後も後遺症が残り、引き続き治療を続けたものの、1962年1月8日に頭部外傷後遺症により死去した。26歳没。

目時重男

1960年7月3日、1周目の第2障害(土塁)飛越の際に落馬、頭部を強打して意識不明となった。直ちに東大病院に入院して精密検査を受けたところ、脳挫傷に脳内出血を発症しており、重篤な状態が続いたが、やがて医師からの呼びかけにわずかながら反応するなどの回復も示した。しかし、意識は回復することなく、落馬から8か月後の1961年3月9日に、肺に合併症を発症して死去した。34歳没。

近藤武夫

1960年12月24日、阪神競馬場の第7競走(障害特別・9頭立て)でチトセチカラに騎乗、第7障害で馬が飛越を拒否したところに後続のミヤギオーが激突して落馬。肋骨骨折による外傷性気胸を発症して入院したが、翌年1月6日に右肺損傷のため39歳で死去した。

茂木光男

1960年4月9日、発馬前にバリヤー式発馬機に触れて落馬し、頭部を打撲した。軽い脳震盪を起こしたものの、医師の診察で問題なしとされたことと、放馬した馬も取り押さえられたことから、ふたたび騎乗して競走に出走した。しかし、残り400メートル地点に差し掛かったところで前の馬に触れて落馬転倒。直ちに病院に搬送されて治療を受けたが、翌10日に死去した。22歳没。

大柳英雄

1955年12月24日のレース中、襷コースに入って最初の障害(生籬障害)を飛越の際、着地時に蹉跌転倒して落馬、直ちに救護室に運ばれたが、頭蓋骨骨折による脳内出血により、まもなく息を引き取った。21歳没。

横山靖

1953年2月18日、第1回小倉競馬3日目第6競走のサラ系4歳競走(1800メートル)において、フクモンに騎乗したが第3コーナーで落馬転倒。直ちに病院へ運ばれたが、脳挫傷や頭部外傷により、当日夕刻に死去した。33歳没。

谷岡敏行

1953年12月13日の第6回中山競馬4日目第10競走で行われた第5回朝日杯3歳ステークスにおいて8番人気のテルフジに騎乗、第3コーナーで落馬転倒して直ぐに医務室に運ばれたが、頭蓋骨骨折により死亡が確認された。31歳だった。

ジョージ・ウルフ

1946年1月3日、サンタアニタパーク競馬場の第4競走において落馬、翌日死亡した。35歳の若さでのトップ騎手の死は国内に衝撃を与え、1950年には「ジョージ・ウルフ記念騎手賞」という彼を記念した騎手賞が創設されたほどであった。

アール・デュー

1941年2月2日、リーディングジョッキーの表彰と記念の金時計の授与式が行われた。そして、授与式後の第6レースに騎乗することになった。しかし、その競走において騎乗馬が直線半ばで故障し、落馬したところにさらに2頭の馬が激突するという事故に遭遇、頭蓋骨骨折による脳内出血の為、搬送中の救急車の車中で死亡した。わずか20歳の若さでトップ騎手に上り詰めながら、表彰式当日の事故による死は、悲劇としか言いようのない出来事であった。

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